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谷崎潤一郎「細雪」とオキシトシン

谷崎潤一郎「細雪」とオキシトシン

                                  (室月 淳 2012年8月22日)

谷崎潤一郎の代表作「細雪」のなかに,産婦人科医にとっては非常に興味深いシーンがあります.末の妹が出産するとき,逆子のためにたいへんな難産になり何日も苦しみます.このままでは母体の命があぶないということで,家族が必死に頼み込んでドイツ製の陣痛誘発剤を入手するというエピソードです.

「細雪」は蒔岡家の鶴子,幸子,雪子,妙子の4姉妹の物語ですが,奔放な四女の妙子はバーテンと同棲して妊娠し,病院でひとりで子どもを産もうとします.しかし難産となって苦しみぬいているため,見るに見かねた女中のお春が姉の幸子に電話をかけるシーンが以下の引用となります.小説全体からはほぼ終幕にあたる部分です.

ここでは名文との誉れの高い谷崎潤一郎の文章をそのまま引用します.なんとこれで一文です.現代の源氏物語を意識した「細雪」はこういった長文が改行もされずにえんえんと続くことによって構成されています.わたしのもっている新潮文庫であわせて1000ページを軽くこえる長大な小説です.

----- どないしたん? もう済んだん? と云うと,いいえまだでございます,お産がえらい重いらしいて,二十時間も前から苦しがっていらっしゃいます,とお春は云って,院長先生の話では陣痛微弱と云うことで,促進剤の注射もしてくれたのではあるけれども,昨今は独逸製の良い薬が払底しているとかで,国産品を用いるせいか,あまり利き目が現れない,こいさんはずっと呻りつづけに呻って身を悶えておられて,昨日から全然物が食べられず,変などす黒い青いものを嘔いてばかりおられ,こう苦しくてはとても助からない,今度こそ死ぬのだと云って,泣いておられる,先生は大丈夫のように云っておられるけれども,看護婦さんは心臓が保たないかも知れないと云っておられるし,しろうと眼にも可なり危険な状態のように見受けられるので,電話を懸けてはならない約束であったけれどもお懸けした,と云うのであった.

「お春の話だけでは様子がはっきりしないけれども,独逸製の陣痛促進剤が得られないために産婦が弱っているのであるなら,何とでもして手に入れる道はあるであろう」と幸子は考え,「神戸の船越病院」というところいって院長にかけあいます.この「独逸製の陣痛促進剤」はおそらくオキシトシンでしょう.オキシトシンという名前自体は小説中にはでてきませんが,すでに戦前から薬として使用されていたことが知られています.

----- 幸子は時を移さずに院長室へ駈け込んで貞之助の名刺を示し,…… 先生,どうしても独逸の陣痛促進剤が手に入りません,……どんなに値段が高うても構いませんから神戸じゅうを捜してください,……何処かに誰か持っている人は,……と,わざと甲高い声を出して半狂乱のように云い,人の好い院長を泣き落すことに成功したが,実は此処の病院にもたった一つ取って置きのがあるだけです,ほんとうにこれ一つしかないのです,と,院長はそう云って,やっと渋々出して来た.

「細雪」は戦争中に書きつがれましたが,小説の舞台は昭和16年となっています.ヨーロッパでは第二次世界大戦の真最中,日本は日中戦争のまさに泥沼のなかにあります.太平洋戦争の開戦直前の時期であり,世間ではドイツ製の薬はすでに払底していたと考えられます.

ここで姉の幸子は院長に必死で頼みこみ,病院が秘蔵していたドイツ製の陣痛促進剤をなんとか手に入れます.そして驚いたことには,その薬を筋注すると5分後には陣痛が始まりました.

----- それから妙子は分娩室に運ばれて行き,幸子と三好とお春とは外の廊下のベンチに掛けて待っていたが,妙子の呻きが二声ばかり聞こえたかと思うと,中から院長が赤ん坊を堤げて非常な勢で走って出,手術室に飛んで這入った.そして三十分ぐらいの間,繰り返し繰り返し実に根気よく平手でピタピタ叩く音が聞こえたが,赤ん坊は遂に泣き声を立てないのであった.

分娩は骨盤位であり,出生直前まで生きていた児も,泣き声をあげないまま残念ながら死産となってしまいました.妙子自身はオキシトシンのおかげでなんとか助かり,「それから一週間後に退院」となりました.

当時の事情について以下のことがうかがわれます.オキシトシンがすでに戦前から薬剤化されていたこと,ドイツ製のものは高品質で効果が高いが貴重であったこと,国産の粗悪品もかなりでまわっていたらしいこと,母児の生命の危険を救う貴重な薬とされていたことなどです.仮死の蘇生するため赤ちゃんを逆さにもってしりや背中を手で何度もたたくのは,昔は分娩室でよくみられた光景でした.

オキシトシンのアミノ酸配列と構造が決定されたのは1950年代であり,良質で安価なオキシトシン製剤が国内にでまわるようになるのは1960年代以降となります.陣痛促進剤として目の敵とされることが多い昨今にくらべ,戦前は母児の命を救う貴重な特効薬としてだいじにされたことがよくわかりました.

陣痛促進中の事故が報告されて,陣痛促進剤のイメージは昨今すっかり悪くなってしまいました.しかし産科医療の歴史を振り返ると,陣痛促進剤が分娩の安全化に果たした役割というのは本当に大きいといえます.妊産婦200人にひとりが分娩で亡くなった明治時代から,今日では妊産婦死亡は1-2万人にひとりくらいまで低下しており,日本の妊産婦死亡率の低さは世界でも五指にはいります.大局的にみると麻酔や手術法の進歩,超音波診断,分娩モニターなどの発達に加え,安全な分娩誘発法の確立がこの進歩の寄与したことは事実でしょう.平凡な結論になりますが要は薬の使い方,適応の問題なのでしょう. 

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(追 記) 2012年8月22日

何人かの知人の先生がたから以下のような貴重なコメントをいただきました.それぞれの先生の経験と知識をご披露いただいき,それによる議論の過程がとても興味深いものとなりましたので,特にお断りしてここに掲載させていただきます.

それぞれの先生方にここで改めてお礼を申し上げます.  

千葉 喜英 先生(千葉産婦人科医院院長)

戦前、もしくは戦争中ですね、この中に出てくる陣痛促進剤、オキシトシンとは考えにくいですね。まだ合成オキシトシンはできていません。ヒトのオキシトシンの抽出技術もあったかどうかあやしいですね。私が医者になったころ、まだ麦角アルカロイド系の陣痛誘発剤は使われていました。持田が出していたデリバリンという薬です。内服薬で、竹村晃の日本産婦人科学会シンポジウムの調査で、明らかに分娩障害と相関がありました。パルタンとかエルゴメトリンと同じ製剤です。麦角剤は戦前から開発されており、細雪の陣痛促進剤は麦角剤かなと思っていましたが、オキシトシンであった事を伺わせる記述があるのでしょうか。 

 

衣笠 万里 先生(尼崎医療生協病院産婦人科部長)

オキシトシンが多くの女性と胎児を救ってきたことは紛れもない事実であり、いかに適応を見きわめて安全に使うかが問題なのだと私も思います。しかし、時代考証からみると千葉先生の言われるように、この物語で谷崎潤一郎が想定していた薬剤はオキシトシンではなく、植物アルカロイド由来の薬剤の可能性が高いのではないでしょうか?

英国の研究者ヘンリー・デールがオキシトシンを発見したのは1906年ですが、合成オキシトシン製剤が市販されたのは1956年からですので、戦前には入手不可能であったと思われます。一方で植物アルカロイド由来の薬物は1804年のモルヒネに始まり、19世紀中に多数発見されています。シャーロック・ホームズのシリーズやアガサ・クリスティの小説の中にもしばしば植物アルカロイド由来の薬剤が登場しています。その中でも1851年に発見されたスパルテインは現在でも家畜の陣痛促進に使用されているようです。どちらかといえば、このスパルテインか、あるいは千葉先生が書かれているように麦角剤であった可能性が高いと思います。                                                           

 

室月からの返信

確かに小説中には,オキシトシンという単語は出していないのはもちろんそれを示唆する記述もありません.わたしもそこはよくわからないところで,どなたかからご教示をいただければとひそかに願っていました.

わたしも少し調べみましたが,抽出オキシトシンが1911年から実地臨床で使われ始めたという記録がありました.ただし当初は同じ下垂体後葉ホルモンであるバゾプレッシンとうまく分離できなかったため,副作用がかなり強く,陣痛促進効果自体もいまひとつでした.しかし1928年になってKammが精製技術の確立に成功し,ある程度純度の高いオキシトシンが得られるようになったとのことです.ですから,精製技術が進んだドイツ製のオキシトシンは効果も高く,一方,粗悪な国産品は純度が低いため,小説のなかに描写されているように副作用の嘔吐やけいれんに苦しめられたのではないかと想像した次第です.

戦前に使われた陣痛促進剤としては,そのほかにキニーネや麦角剤などがあったようです.いま調べてみたらデリバリンは,キニーネと,麦角剤をさらに精製したエルゴメトリン,それからパパべリンの合剤で,発売されたのは1950年代なかばとのことでした.ですから「細雪」にでてきた陣痛促進剤がもしオキシトシンでなければ,可能性としては千葉先生の推測された麦角剤か,あるいはキニーネかもしれません.とてもおもしろいテーマだと思います.今度ひまをみつけたら図書館にこもって古い本を調べて,何かわかったらまたアップさせていただきます.

衣笠先生のご説では麦角剤かスパルテインということですね.わたしの手持ちの資料ではスパルテインも古くから使われていた薬ですが,戦前はおもに妊娠初期の中絶や分娩第3期の子宮収縮に使われ,陣痛促進剤として使われたのは1950年代からとあります.それで候補からは一応はずしたのですが,スパルテインも改めて検討したいと思います. 

 

衣笠 万里 先生

1928年のKammの論文のabstractが見つかりました。下記のサイトから入っていただいて、References 1Kamm, O., Aldrich, T. B., Grote, I. W., Rowe, L. W. & Bugbee, E. P. J. Am. ehem. Soc. 50, 573−601 (1928). の後の "ChemPort?"のリンクに入っていただければ、abstractを読めます(お金を払えば本文も読めます)。

http://www.nature.com/nature/journal/v291/n5815/abs/291491a0.html

最後にこう書いてあります。"The 2 principles are being manufactured for exptl. clinical use under the trade names oxytocin and vasopressin and a preliminary discussion of the therapeutic indications is presented. "

確かに化学合成が可能になるずっと以前から(戦前から)、動物の下垂体後葉から抽出されたオキシトシンが、(試験的に)臨床応用されていたようです。しかし少量しか抽出できなかったために、容易に入手できない薬品であったということですね。

谷崎潤一郎の「細雪」は彼の(3番目の)妻の姉妹が小説のモデルになっているようですが、骨盤位・難産・陣痛促進のところは実体験に基づいているのか、まったくのフィクションなのか私は存じません。しかしフィクションであったとしても、似たような話を聞き知って執筆したのでしょうね。その当時はお産も命がけであったということです。もちろんリスクの大小は別にして今でもそれは変わりありません。

これはまったくのフィクションですが、私が高校生の頃に読んだヘミングウェイの「武器よさらば」で、ヒロインのキャサリンが流れ弾に当たって死ぬのではなく、帝王切開後に大量出血で亡くなったことを印象深く覚えています。これも今なお完全には防止し得ないリスクではあります。 

 

堀口 貞夫 先生(元愛育病院院長)

私が入局したのは、1958年で、此の頃オキシトシンの一単位のアンプルがありました。1960年頃5単位のアンプルが市販されたと思います。オキシトシンは不安定で高濃度のものが作れなかったと聞きました。逆だったかもしれません。高濃度で使い難くあまり使われなかったのかとも思います。

何故かと言うと点滴静注というのはあまり使われなかった技術です。ガラスとゴム管のガートルを煮沸消毒をして使っていました。ですから点滴静注をすると悪寒が来る事があったのです。子宮がんの手術もしていましたが(「岡林式」が行なわれ始めていたと思います)、術後の輸液は大量皮下注射で行なわれるのが普通でした。点滴静注が使われるようになったのは朝鮮戦争の後です。戦場での大量輸液に必要な技術開発だったのです。

陣痛の誘発は「ヒニンクール」と呼び習わしていたキニーネとひまし油の内服でした。

今でも、自己輸入で、新薬が使われて居るようにその頃も、目先の効く人はツテを頼んで秘薬として持っていたのでしょう。ドイツから来た医師達が秘薬として持って来て愛弟子に内緒で渡した。チョビチョビ使っているうちに賞味期限を過ぎて効かなくなくなったというのはありそうなことです。周産期医学40巻9号1317〜1320,2010に習作的に触れています。

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続・谷崎潤一郎「細雪」とオキシトシン

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カウンタ 6027(2012年8月22日より)