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医療者には良心に基づいて人工妊娠中絶を拒否する権利があるか

医療者には良心に基づいて人工妊娠中絶を拒否する権利があるか

                                (室月 淳  2013年2月3日)

 はじめに

無侵襲的出生前遺伝学的検査(non-invasive prenatal test; NIPT)といった出生前診断の問題を倫理的にかんがえるにあたって,その中心にあるのが選択的中絶の是非の問題です.これに対するこたえはもちろん「自己決定の尊重」ですが,それは具体的にはつぎのような意味になります.

「検査はいかなる形においても強制的,威圧的ではなく,自発的におこなわれ,検査をうけたカップルの自己決定により以後のことが決められる.検査の前後にはじゅうぶんな説明とカウンセリングがおこなわれ,そのカウンセリングには一切の指示的要素がはいってはならない」

周知のとおり日本では,母体保護法のいわゆる経済条項に基づいて人工妊娠中絶がほとんど制約なく行われているという実態があります.もちろん人工妊娠中絶をみずから望んでする女性はほとんどいないでしょうし,どのような状況であっても当事者にとってはたいへんな負担であることはまちがいありません.このように選択的中絶の問題は女性と家族にとって深刻な問題なのですが,実は医療者にとっても,その職業的,あるいは個人的良心に反する人工妊娠中絶の施行は大きなストレスとなっている事実があります.

さきにわたしは,「出生前診断におけるご夫婦の「明らかに好ましくない選択」について考える(2012年8月5日)」 という文章を書いて,医師が個人的正義感や倫理観を押しつけることは禁忌であり,いろいろな選択があるのだという一種の諦念ともにご夫婦の最終的な決断を尊重しなければならないということを書きました.しかし医療者が自らの倫理観に反した行為を行わなければならないときでも,自らくだした決定なのであればなんとか耐えられるかもしれませんが,医師ではなく看護師や助産師にとっては,それが他からの指示に基づいたものであればそのストレスははかりしれないものがあります.そういったストレスがつみかさなってバーンアウトし,離職を選ぶものすら過去には存在しました.

ですから妊婦・家族の「明らかに好ましくない選択」について考える場合,医療者,とくに助産師・看護師は人工妊娠中絶のケアを拒否する自由があるかを考えたいと思います.いわゆる「医療の良心的拒否」と呼ばれる問題です.

 

 医療における良心的拒否

もっとも基本的な考え方は,世界人権宣言,人権と基本的自由の保護のための国際協定,および日本国憲法において,思想と良心と宗教の自由が認められており,その権利の行使においてある行為に対して自己の良心的拒否を表明することができることにあります.すなわち良心的拒否(conscientious objection)とは,宗教的,哲学的,思想的あるいは政治的な信条に基づいて,なんらかのあたえられた義務を拒否することを意味します.

もっともよく知られた例としては「良心的兵役拒否」があげられるでしょう.良心的兵役拒否とは,自己の信仰上の理由によっていっさいの武器をとらず兵役を拒否することを意味します.国家の命令よりも神の命令のほうが上であるという信念のもとでなされる行為であり,おおくはキリスト教信仰のもとでなされてきました.しかしキリスト教以外の宗教であれ,個人の道徳律であれ,政治的信条からであれ,生命を尊重する思想から兵役拒否という行為がなされる可能性があります.歴史的には良心的兵役拒否は宗教的理由によってはじめられましたが,次第に宗教以外の道徳的信条によるものまで認める方向にあります.

こういった兵役拒否以外に,動物実験にたいする拒否,納税にたいする拒否などいろいろな良心的拒否が論じられてきましたが,特定の医療を良心に基づいて拒否することが医療における良心的拒否です.ホメオパシー信奉者によるワクチン接種の拒否やユダヤ教信者による脳死判定拒否などが例にあげられますが,日本ではエホバの証人による輸血拒否が有名かもしれません.

しかしこの「医療における良心的拒否」は,患者のみならず医療者についても認められるべきと論じられるようになっています.これは宗教的自由と良心の自由という大原則より生まれてくる考え方ですが,特にアメリカにおいては人工妊娠中絶にからめて議論されてきました.法律が女性たちに妊娠中絶に関して自己決定の権利を認めているのとおなじように,医療専門職にも自ら倫理的にただしいと考える行動をとる法的権利を定めています.これは良心の権利(right of conscience: ROC)とよばれることもあります.

その一方で医療者は,自らの良心的に反する医療であっても専門職として提供しなければならない義務が存在するという意見もあります.プロフェッショナルとして良心的拒否はふさわしくないというものです.医療サービスは公的側面を持つことから,法的に可能な範囲の診療は,たとえそれが医療者自ら反対するものであるとしても提供すべき,また医療は専門職であって自己の利害は抑制すべきとする考え方です.兵役とことなり医療サービスには良心的拒否になじまないとも主張されることもあります.

 

 日本の現状について

日本では上記のような「医療における良心的拒否」が公に論じられたことはこれまでないようです.医師法第19条第1項には「「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には,正当な事由がなければ,これを拒んではならない」とあります.いわゆる「応召義務」です.もちろんここでいう「正当な事由」に自己の良心に基づく拒否はふくまれていません.法律の解説書によると,数多い医療職の中で応召義務を課せられているのは医師,歯科医師,助産師,薬剤師のみであり,このことは「業務独占」と「公共性」から説明されるそうです.医師については,「医師でなければ医業をなしてはならない」(医師法第17条)と規定され,業務の独占をゆるされるかわりに「応召義務」をはたすという論理です.またわが国の医療は法の下の平等をうたう憲法第14条,生活権を保障した憲法第25条に基づいていて,その公共性から応召義務が課されたそうです.

とくに「母体保護法指定医」は母体保護法により人工妊娠中絶の業務を独占的にゆるされていますから,患者から求められた場合に勝手に拒否することは認めがたいとされています.人工妊娠中絶は私費診療であるから拒否は可能であるという意見もたしかに散見されます.人工妊娠中絶について社会的公共性があるかどうかは議論可能ですが,しかし保険診療ではないから応召義務から免れるという法的解釈はないようです.

それでは人工妊娠中絶を拒否した場合に罰則は生じるでしょうか? 「医師が第十九条の義務違反を行った場合には罰則の適応は無いが,医師法第七条にいう『医師としての品位を損するような行為のあったとき』にあたるから,義務違反を反復するが如き場合において同条の規定により医師免許の取消又は停止を命ずる場合もあり得る」(昭和30年 厚生省医務局医務課長回答)とあり,基本的には行政処分が科せられる可能性がいわれています.しかし医師の職業的良心に基づいて拒否するわけですから,それが「医師としての品位を損するような行為」という解釈はむずかしいかもしれません.

助産師における応召義務は,「助産又は妊婦,じょく婦若しくは新生児の保健指導の求めがあつた場合」(保健師助産師看護師法第三十九条)です.文面を読む限りでは人工妊娠中絶の介助については義務とはなりませんが,それでも専門職として求められた女性のケアを自由に拒否できないと考えられます.看護師は,「厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者」とされています(保健師助産師看護師法第5条)が,過去の判例をみると,医師の指示が非常識なものだった場合には,看護師は意見を述べ場合によっては拒否する義務があるとされています.しかしそれは自己の良心に基づく医療拒否とはだいぶ距離があるものです.

実際の医療の現場をみてみると,たとえばキリスト教系の病院では産婦人科が人工妊娠中絶を一切とりあつかわないといった状況はときどき見聞きします.一定の医療行為について良心的拒否を認めていない日本においても,宗教的信念あるいは病院の理念に基づく医療の良心的拒否は行われており,そうした行為が慣例的に認められてきたという状況は存在します.良心に反する医療の提供が高いストレスになることはあきらかなので,このような問題自体に対して何らかの実際的なとりくみは必要とされていると考えられます.

人工妊娠中絶のみならず,脳死臓器移植や終末期医療,エンハンスメントといった医療者の信念が影響する医療問題は日本にもおおくあります.これまで根本的な議論がほとんどなされてこなかったので,将来的に新たな医療が標準となるときには潜在的問題となりえるでしょう.さらには患者の理性的でない要求に対し,医療者が拒否権を行使するということが一般的ではない日本の医療への問題提起ともなっています.

 

 欧米での議論について

以下の欧米での状況は,アメリカに関しては文献1,イギリスに関しては文献2の解説に主によりました.人工妊娠中絶について社会的におおきな反発がみられない日本と違って,宗教的反対勢力が強い欧米では,「良心に基づく医療拒否」はおもに人工妊娠中絶に反対する思想と結びつけられ活発な議論がなされています.

アメリカ(文献1)では1970年代以降,主に「中絶」に対する良心的拒否の法律群が連邦法として存在しています.1970年代のChurch Amendments,1996年の公衆衛生法(Public Health Service Act)第245節,2000年代に入ってからのWeldon Amendmentなどです.この中でChurch Amendmentsは,公的資金を受けている医療機関でも中絶にたいする良心的拒否を認めています.Weldon Amendmentでは,強姦や近親相姦,医学的緊急事態の場合においてさえ良心の権利を保護しています.これらの法律は中絶に反対する保守派のあとおしで成立してきた要素が大きいようです.あるいは良心的拒否の権利を保護することによって、多様な宗教的・文化的背景をもつ人材が医療に携わることを可能にするという国の意図も感じられます.

一方,米国産科婦人科学会(American College of Obstetricians and Gynecologists; ACOG)が,医師のプロフェッションを良心的拒否の権利保護の各州法律のうえにおく見解「生殖医療における良心的拒否の限界」を発表しています.ACOG Committee Opinion No. 385 (2007) (文献3)では,生殖医療に関して医師が正確で偏りのない情報を提供し,ほかの医療者に紹介することは義務であるとしています.ACOGは専門家の団体として,たとえ自らの良心的に反する医療であっても提供するのが医療者の義務があるという見解です.

イギリス(文献2)では,第4条で,妊娠中絶へのかかわりにたいする良心的拒否を認めています.同条はつぎのように述べています.「当条第(2)項によると,いかなる者も契約,法定またはそのほかの法的要件によるとかかわらず,本人が良心的に反対しているこの法律が認可しているいかなる治療にも参加する義務はないものとする」.ただし第2項において,「当条第(1)項のいかなる規定も,生命を救うために必要な医療処置,または妊娠女性の身体的ないし精神的な健康を恒常的にかつ重大な損傷を防止するために必要な医療処置に参加する一切の義務に影響するものとしてはならない」とあります.すなわち,医療者は良心に基づいて人工妊娠中絶にかんするケアをたとえまぬがれても,出血,心拍停止,子癇発作などの緊急事態の場合にはケアにあたる義務があります.

イギリス助産師会(RCM)は”Conscience Objection”(良心的拒否)というポジションペーパー(方針説明書)(文献4)をだして,特に人工妊娠中絶にたいする助産師の良心的拒否の権利を擁護しながら,同時に専門職としての義務の兼ね合いには苦慮しているのがみてとれます.これは上記のACOGと同様の態度です.「良心的拒否とは人工妊娠中絶の処置への直接の関与のみを対象とする.すなわちすべての助産師は,産科診療における人工妊娠中絶の前,最中,後のケアについては受け入れなければならない」と勧告しています.

 

 考 察

すべての診療行為は患者の同意が必要であり,同意なしに診療を行ってはならないのは当然のことです.これは倫理学的には「自己決定権の尊重」に基づくものであり,この原理の最大限の尊重なしには今日の医療は存在しえません.ところでこの「自己決定権」は患者のみならず医療者にも適用されるとすればどうなるでしょうか? たとえば人工妊娠中絶について,社会が女性に妊娠中絶に関して自己決定によって選択できると認めているならば,医療専門職にも自ら倫理的にただしいと考える行動をとる権利があるはずです.

理性的とはいえない理由による人工妊娠中絶に関して,職業的良心あるいは個人的良心に照らしてうけいれがたいと医療者が表明したときは,病院組織としてどこまで命令,指示可能かという問題がでてきます.「自己決定による人工妊娠中絶をすべて受け入れる」という原則をすべての医療者はうけいれなければならないという義務がないかぎり,医療組織による命令によって強制するのは適切でないと判断されます.当該患者の担当をはずすことを考慮したり,患者を他の医療機関へ転送することも必要となってきます.

医療者の良心的拒否では,「良心」の本質をどの程度の真摯さ,誠実性をもっているかということで評価する必要があるでしょうか? 実際に,良心的拒否について個人的な確信の「真実性」ではなく「誠実性」を評価するという提案もなされています.あるいは患者にたいする差別や偏見からうまれた拒否が存在するかもしれません.しかし医療現場でそれらを区別することは必ずしも現実的ではありません.医療者の良心的拒否の誠実さについては,結局のところ専門職としての常日頃の行動によって類型的に判断するというのが現実的です.

それでは「良心に基づく拒否の権利」を具体的にはどのように保障していくのでしょうか? まず自己の良心的拒否を表明した者は,特定の医療行為にむすびついた診療やケアに直接参加しないですむことを明確にします.この良心的拒否の表明はいつでも撤回することができます.病院側は特定の医療行為への良心的拒否ができるという権利を周知させる義務がありますし,そのための書式をあらかじめ準備する必要があります.とくに重要なのが,いかなる者も特定の医療行為の実行や拒否をしたことによって不利益や差別待遇をこうむらないと保証することでしょう.

 

 まとめ

良心にもとづく医療拒否の権利,あるいは「良心の権利」は医療者にとってきわめて重要な問題であり,これは患者−医療者関係のなかで考えていくべきものかもしれません.医療者に「良心の権利」を認めることは決して患者の権利の軽視ではなく,長期的にみれば患者-医師関係にとってプラスになるものと考えられます.医療者は単なる技術者や情報提供者でないのであり,医療者は「良心の権利」をもつことにより,患者に対してむしろより共感的になれるのではないでしょうか.

NIPTよってあらわになった出生前診断における倫理的問題を解決する道筋は,やはり適切な情報を与えられたうえでの自己決定によるしかありませんが,そのためには「良心の権利」を妊婦や家族のみならず,医療者にも認めていく方向性が必要と考えられます.

 

 参考文献

1. 加藤 穣:アメリカの医療者による良心的拒否に関する最近の議論と考察−「医療提供者の良心に関する規則」をめぐって.医療・生命と倫理・社会 2011;10:95-108

2. ジョーンズ,久米美代子監訳:母と子の生命倫理−6つの看護事例研究.EDIXi出版部,東京,2006

3. ACOG Committee Opinion No. 385: The limits of conscientious refusal in reproductive medicine. Obstet Gynecol. 2007;110:1203-1208

4. The Royal College of Midwives Position Paper No 17: Conscientious Objection, 1997 

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