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「誰も知らないわたしたちのこと」解説全文

シモーナ・スパラコ「誰も知らないわたしたちのこと」解説全文

                                  (2013年11月16日 室月 淳)

11月21日に紀伊國屋書店から,「誰も知らないわたしたちのこと」(シモーナ・スパラコ作,泉典子訳,室月淳解説)というイタリアの現代小説が出版されます.ここにはわたしが巻末に書いた解説全文をそのまま掲載いたします.

「不妊の末に授かった息子には,出生前診断によって重大な疾患が発見された」と本の帯にあるように,これは重症の胎児骨系統疾患がみつかり,いくどもの逡巡に末に選択的中絶を選択した女性が主人公です.作者の個人的経験が反映されているといいます.

出生前診断とその告知,本人とパートナーの苦しみにみちた選択,そして実際の妊娠後期の人工死産が生々しく描写されています.そしてなによりも,人工死産の直後からの精神的混乱と孤独感,怒りと無感動,罪悪感からくる抑うつ状態などは,ふつうのひとたちにとっては衝撃的である以上に,われわれ産科医療従事者はかならず真正面からむきあって,理解してあげなければならない現実にちがいありません.人工死産後のケアにあたっていろいろと考えさせられることになるでしょう.

この小説がとりあげているのは悲しく,つらいテーマです.しかし日本でもそれほどまれではないリアルな現実なのです.2013年4月から母体血による胎児染色体検査がはじまり,社会的な議論を呼んでいます.しかしその議論には,こういった選択的中絶を選択した妊婦そのものの存在が欠落しているのではないかという気がします.こういった現実に目をそむけたままでは日本の社会は前にすすむことはできません.

そういった意味で,ひとりでもおおくのかたにお勧めしたい小説です.

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(2014年3月30日追記)

いくつかの新聞の書評にとりあげていただいたこともあって,初版3,000部が売り切れ,このたび増刷がきまったそうです.とてもうれしいことでした.海外の翻訳小説があまり売れない昨今において,これは画期的なことだと思います.

 

「解説」全文                    室月 淳

愛する夫とのあいだに5年目にしてようやくこどもをさずかり,その子にロレンツォという名前までつけて幸せの絶頂であった主人公の「わたし」が,妊娠29週に受診したクリニックの超音波診断でこどもに異常がみつかって告知をうける場面からこの小説ははじまります.「わたし」と夫のピエトロはおおきな衝撃をうけ,当惑と絶望を感じ,べつの専門家に救いを求めてまた絶望におちいり,煩悶のなかで悩みぬいた結果,異国であるイギリスまでわたって人工妊娠中絶をうけることを選択しました.作者の個人的な体験が投影されているというこの小説では,その一連の事実と心理過程が具体的に,そして詳細に語られます.

小説としてさらに衝撃的なのは,妊娠29週における人工妊娠中絶の準備と処置が克明に描出されていることです.具体的には薬剤の直接投与によるfetocide(胎児安楽死),陣痛誘発のための腟坐薬挿入,陣痛の発来と激痛,人工破膜による破水,硬膜外麻酔による鎮痛,そして狂乱状態での児の娩出で人工死産はおわります.産科医療関係者はともかく一般のひとたちにとってはかなりショッキングな内容だろうと思います.おなかの赤ちゃんが死ぬ瞬間は,経験者でなければとても書きようがない以下のような痛切な表現によって読者の戦慄とかなしみを誘います.「最後の小さな一蹴り.………ついうっかりしたような,小さめの一蹴り.その後は,何もない」

夫のピエトロのおもいやりや献身的なケアなどにもかかわらず,中絶後の主人公の精神的混乱と孤独感,怒りと無感動,罪悪感からくる抑うつ状態は長期にわたります.あれほど愛していたピエトロすらうとましく心理的な距離感を感じる時期すらありましたが,この苦痛に満ちた体験をとおして最終的には勇気をもって現実をうけいれ,ピエトロとも和解し新しい人生をはじようとするところで小説はおわります.そこまでには1年近い時間が必要でした.

いみじくも著者が小説中に書いているとおり,胎児になんらかの異常がみつかって選択的人工妊娠中絶をえらんだ女性のこのような経験や心情というものは,これまで決して社会の表にでてくることはありませんでした.最近では同じような経験をもったひとたちのセルフヘルプグループやその掲示板などでそういった思いに触れる機会もでてきましたが,しかし,少なくとも日本では同じような体験をした人間はかなりの数にのぼるにもかかわらず,こういった本が存在したことはいままでありませんでした.その意味でもとても重要な意味をもつ小説と思います.

出生前診断と選択的人工妊娠中絶については,じゅうぶんな情報提供とカウンセリングがおこなわれたうえでの自己選択,自己決定にゆだねることが生命倫理学における世界的コンセンサスになっています.しかし実は欧米でも日本でも共通して見逃されている問題があります.それは妊娠中期における人工妊娠中絶のつらさ,悲惨さ,その非人間性についてです.あるいはみんなが意図的に目をつぶっているのかもしれないこの問題について,この小説はあえて真正面からテーマとしてとりあげていきます.

日本においてももちろんですが,自己決定を重視し尊重する欧米ですら,出生前検査を受けたときにその結果が異常かもしれないことをだいたいだれも想定していません。ですから胎児疾患の存在を告知されたときのショックは尋常ではないのです.告知のあとにどのような苦しみや葛藤をへて自己決定をおこなうか,自己決定のあとにどのような心理的経過をたどっていくか,これまでおおくの人が経験しながらだれも語ることのなかったテーマだったのです.

人工死産後の「わたし」のながく苦しい精神的な悲嘆と葛藤,さらに正反対の無感動と抑うつといった状態は,たとえば親しい人間をうしなったときにもみとめられるものであり,決して病的なものではないと考えられます.しかし体調や情緒の不安定な産褥期特有の心理状態や,自己決定だからこそ背負わなければならない子どもへの罪悪感,愛と幸福の予感があったからこそのおおきな喪失感と悲嘆など,中絶後に特有と考えられる心理過程は,産科医療にたずさわり,しばしば死産後のケアをおこなうものとしてほんとうに貴重な記録だと感じました.

胎児疾患を理由とした選択的人工妊娠中絶についての女性の経験や痛切なおもいというものは世界共通でしょうが,一方でまた,イタリア人の主人公と日本人の感覚や意識のちがい,文化の差をところどこに感じて興味をおぼえました.さらにイタリアとイギリス,それから日本の医療の違い,特に妊娠中絶に関する法律や社会制度の違いも存在します.人工妊娠中絶が可能なのは,日本では妊娠22週未満,イタリアでは妊娠24週未満と定められています.一方イギリスでは厳しい要件があるとはいえ,母体のためであれば妊娠中はいつでも中絶可能となっています.だからこそ「わたし」とピエトロはイギリスまで行ったのです.

しかしたとえばふつうならば元気に生まれてくる妊娠10カ月における人工妊娠中絶とはなにを意味するか? 胎児が生きて生まれてくるときは,どんな国でもそれを殺すことは許されません.すなわちその場合,胎児が生まれてくる前に子宮内で安楽死させ,そのあとに分娩を誘発して死産させることが中絶なのです.そのために安楽死のための薬剤を妊婦のおなかをとおして胎児に投与することが,「子宮内注射」,「心腔内注射」とよばれるものです.

主人公の胎児が骨系統疾患であるのは明らかでしたが,わたしが読んだかぎりにおいては具体的疾患名ははっきりしませんでした.胸郭低形成であること,出生直後に呼吸不全で亡くなる場合から長期生存にいたるまでいろいろな予後があることから,「短肋骨異形成症ファミリー」のいずれかの疾患が疑われます.小説中にでてきた「呼吸不全性胸郭異形成症」や「軟骨外胚葉性異形成症」はどちらもこのファミリーに属する疾患です.「あてはまらない特徴をもつ」と書いてあるのはおそらく多指趾のことを指すのかもしれませんが,多指趾がない場合も結構あるのでこれらの疾患も否定できません.いずれにしろすべて憶測であり,これ以上の同定は難しそうです.

もうひとつわたしの興味をひいたのは小説中にでてくる代替医療,すなわち現代医療とはまったく考えかたを異にした,いわゆる「エビデンスの存在ない」医療についてでした.具体的には,「ホメオパシー」,「オステオパシー」,「鍼灸」,「レイキ」といった代替医療をあつかう治療師がなんにんか小説中に登場してきます.この小説はときに出生前診断が否が応でももたらす妊婦の苦悩をテーマにしています.現代医学がもついわば「原罪」がモチーフであり,それと対照するかたちで上記の現代医学とはまったく異質の「代替医療」をわざととりあげたのだろうと思います.小説中に「わたしは科学に裏切られ,ひとりぼっちにされた」という表現もでてきます.しかしこれらの「代替医療」も主人公を結局救うことはできませんでした.現代医学そのものを否定してもなんの解決にならないというメッセージだろうと思いました.

2013年4月より日本でも母体採血による胎児染色体検査,いわゆる「新型出生前検査」が開始されました.出生前検査を個人の自己決定にゆだねる一方で検査を医療助成の対象とする北米や,出生前検査を市場原理から切りはなし社会的,医療経済的な視点から導入しようとしているヨーロッパにくらべ,日本では出生前診断,選択的人工妊娠中絶といったたいせつな問題についての真正面からの議論がこれまでさけられてきています.日本の法律である「母体保護法」には人工妊娠中絶の要件として「胎児異常」という直接の文言がないため,経済条項を拡大解釈して対処しているのは周知のとおりです.この解釈には異論もあり,刑法の堕胎罪に抵触する可能性も指摘されているため,長年にわたって公に議論されることがほとんどなく,対応は医療現場における個々の医師の判断にゆだねられてきました.医療者同士が議論する機会すら多くありませんでした.社会的な議論を回避してきたため,いまなお国民的な意見形成もなされないままとなっています.これまでどおり医療現場の裁量にまかせたままであれば,障害者福祉の拡充,充実もないまま,新型出生前診断が導入された結果出生前検査の件数が増えていくだけになります.今こそ国民的なコンセンサスをつくり,その成果を法律またはこれにかわるガイドラインに結びつける必要があるでしょう.そのためにもこの小説をみんなに勧めたいと思います.

この小説がとりあげているのは重く,悲しく,つらいテーマです.どんなに言いつくろったとしても,人工妊娠中絶は「殺人」にほかなりません.人工中絶が「殺人」であるのは,妊娠初期ではそれは象徴的な形で,妊娠中期ではこの小説のなかのように明瞭かつひそやかな形で顕在化しています.おおくのひとはいろいろな意味においてそれはしかたがないこと,ときには必要なことと考えています.わたしもそう思います.もちろんまちがいなくそれはひとが自分の都合しか考えていない「エゴ」です.児の立場からすれば,障害をかかえて生まれてきたとしても,たとえその生命がわずかであったとしても,家族にみまもられて生涯をまっとうするのが本望でしょう.医療は本来そのような思いをかなえるためにあるべきだったはずです.

しかしどんなに医学が発達し,文化が生活をかえ,ひとびとの考えかたをかえても,ひとは一個の動物にすぎず,動物としてのエゴや欲望というものはのこって,その矛盾に苦しみつづけることになります.わたしたちができることはこういったエゴイズムを否定することではなく,こういった矛盾を矛盾のままにうけとめて,それをひととひととの未来のための協調にかえていくことだけです.そういったひとびとへのあたたかいまなざしこそをわれわれのもつべきものと願っています.

最後にこのように文学的にも社会的にもとても意義のある小説でありながら,ときに医学の専門にわたる内容をわかりやすい日本語におきかえて邦訳してくださった泉典子さんと,そしていろいろとむずかしい問題をはらむテーマの小説を,出版というかたちでひろく世に紹介してくださった紀伊国屋書店編集部の有馬由起子さんの労にたいして,出生前診断を専門とするものとしてこころより感謝し,お礼をもうしあげたいと思います.

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