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「誰も知らない・・・」によせられた感想

「誰も知らないわたしたちのこと」によせられた感想

シモーナ・スパラコ(泉典子訳)「誰も知らないわたしたちのこと」(紀伊國屋書店)を読んでの読後感などを集めました.おもにわたしあての私信としていただいたご感想を書き手の了承を得て公開するものです.ここに記して感謝申し上げます.

 

大野明子先生  (お産の家明日香医院院長,『子どもを選ばないことを選ぶ』(メディカ出版2003年),文庫版『出生前診断を迷うあなたへ』(講談社2013年)著者)

昨日、ようやく読み終えることができましたので、読後感をお送りします。

とりあえずの一番の違和感は、中絶の理由でしょうか。

前回のメールにも書きましたように、最初はとっても読みにくかったのが、すらすら読めるようになったと思ったとたん、あっという間に、胎内死亡の処置をされる場面となり、なんだか狐につままれたみたいで、私は寝落ちしたのでした。

最後まで読み進むと、主人公のカミングアウトのところで、「胎内死亡、死産とならず、生きて生まれて来てしまったとき、子どもは苦しみの人生を歩むことになる」とあり、すなわち、子どもにとってかわいそうだから、したがって、子どものために中絶を選んだという論理展開になってしまっていて、やれやれ。

先生もあとがきで書いておられるように、子どもは、どんな人生でも天命を全うすることをその時点では望んでいます。でも、お父さんとお母さんが、僕が生まれると困るなら、いいよ、帰って行くよ、と、受け容れます。

この論理展開は、立ち直りのための自己の正当化でしょうか。あるいは、宗教観やイタリアの社会通念に基づくもの?

社会背景は、日本とは違うことを、私自身の経験らも想像できます。たとえば、小著『お産を語る』のなかでヨーロッパ生活の長いバイオリニストのかたに、41歳の妊娠で羊水穿刺を受けた理由をインタビューしています。彼女は、ヨーロッパの友人は、羊水穿刺を当然行うべきものと、考えていた。染色体異常児が生まれたら、バイオリニストとしてのあなたの未来もなくなる。したがって、とうぜん受けるもの、と。彼女は、周囲が皆、そのような考え方であるので、なんの疑問も持たずに受けた、と。なるほど、そうだろうと思いました。

話を元に戻して、立ち直りのため、子どものために中絶したんだと自己を正当化しても、もちろん、よいのです。ただ、話のおおもとのところで、あれれれれ、という印象を受けました。

そういう意味で、この小説がイタリアで、一般大衆?に広く支持された理由はどこにあるのか、今ひとつ、わからない私なのでした。読者は、それは、主人公が立ち直るために、自己の中で作っていった理屈だと考えたのか、それとも、そのまま、受け取ってすとんと落ちたのか。。。。

それとも、広汎に支持された理由は中絶場面のリアリティの稀少さでしょうか? 治療的中絶という現実を表に出したという稀少さでしょうか。中絶後の苦しみを詳細に描いたからでしょうか。

主人公が自分の中で、選択の理由をどういうところに落とし込むかということより、帯の言葉の「選べるはずのないことを選ばされ」に多くの人が共感したと言うことなのかなあと思ったりしております。

けれども、この「選べるはずのないことを選ばされ」にしても、実は、妊娠する時点で、正常でない可能性については、具体的にはまったく予想していなくても、誰もが、本当は知っている。そして、そのとき、どうするかについても、あらかじめ選択していると、私は、経験的に感じています。「選べるはずのないことを選ばされ」た、と、被害者の立場に自分を置くこともまた、自己の正当化、生きていくための自己の正当化のひとつではかなろうかと思う次第です。

それから、室月先生があとがきに書いておられるロレンツォの骨系統疾患ですが、おそらく、そもそも正確には診断されてないんじゃないでしょうか。そう思いました。

今回の小説は自然妊娠でしたが、自然に発生する先天異常については、社会として共生できるけれど、高度生殖医療と呼ばれるものによって、多数の異常が人工的に作り出されれ、支えなければならない対象が支える人の数に対して余りにも増えれば、社会として共生が不能になる。これは、高齢化に過剰な医療を行い生命を維持しつづけることに伴う困難と似ています。不妊治療と出生前診断とは表裏一体。あるいは、出産年齢の高齢化と出生前診断は表裏一体。言葉は悪いけれど、欧米で公費でまかなわれてたりしている理由は必要経費のような意味合いかと思います。

室月先生に怒られてしまいそうですが、出生前診断は、検査会社と施行する医療機関の利害が一致している、と、友人の臨床遺伝医がおっしゃり、私は、なるほどと思いました。自己決定を支援するというのは、たしかにそのとおりですが、そのとき、検査を受ける人の利益も実は一致するということなのでは、と、思ったりもします。

それは、経済的利益のみではないです。たとえば検査会社における利益は経済的利益ではありますが、医療機関の医師にとっては存在意義を持つことが利益であったりもすると思います。

いろいろな意味で、読ませていただいて、よかったです。ありがとうございました。

 

佐藤秀平先生 (青森県立中央病院・総合周産期母子医療センター長)

非常に重いテーマで、読むのに苦労しました。原語(イタリア語)で読めないので、訳者の方がどう訳していたのかも興味ありました。

心情描写の部分など、イタリア人独特の描写があっただろうと思いながら想像して読んでました。

イタリアの文学は、性とか愛とか、表現は直接的な場合が多いのですが、不妊や妊娠、そして、このような中絶という選択肢に、どのようなプレグランディンの挿入シーンやカリウムに関しても、意外にという感じにあっさりという気がしました。文学的虚飾は避けた気がします。

21トリソミーも、ディストロフィーも色々と登場するこの本は、skeletal dysplasiaという疾患を借りて色々な出生前診断のことも語っているんだとつくづく思います。

著者がどうしてこの書を世に送り出そうとしたのか。そう考えると色々と重い面があります。

医療者として、一般人として、どちらの側でも、本人の芯にある心情を理解し切れていないのでは、ということです。もちろん、本人も、それを理解しているわけではなく、事実として突きつけられた困難な時間をどうして送っていたのかということを書いているのかと思います。

おそらく、もう一度、読み返すと、また別の感想がでそうです。

本当に、この本は、意味ある1冊だと思います。

 

成瀬勝彦先生 (奈良県立医大産婦人科・産科医長)

年末年始の読書を予定通り遂行した。難点としては夫婦ともあまりに特別な層すぎて、どこの国に置き換えても少し共感しにくいところか。それを除けば、夫婦の苦悩がとてもよく描かれている。終わりがけの幸せに戻っていく部分はいかにもフィクションで、そんなに上手くいかんやろ、と思うけど。あと、イタリアでは良心的中絶拒否医師が増えている、という話もかなり驚きだった。逆、つまり宗教を離れられるようになってきているのかと思っていた。他方、狂信的中絶反対論者がいるのは日本も一緒。でも室月先生が書かれているように、純粋に女性の身体を心配しての慎重論は、そういう輩に限って知らないふりをするんですよね。

かたくなになってしまっている主人公に、英国の先生がなんとかカウンセリングしようとする姿にはとても共感した。そしてそれはその場では全く上手くいかないのだが、なんとか後からリカバリさせることには役立っているように見える。現代の出生前診断に関わるカウンセリングに携わっていく人間は必ず読んでおくべき本だと思える。

 

村上真紀先生 (愛和病院,北里大学産婦人科)

ご紹介頂いた本を読んで感じたことは、私達が一瞬しか関わらない、赤ちゃんを理由にした中絶の、当事者の心の動きが時系列で順序よくまとめられていて、もしかしたら書かれたご本人が、大きな混乱の中にいたご自身について、書きながら思いや考えを整理していったのかもしれないと思いました。

当院、非常に分娩数が多いこともあり、染色体異常はもとより、いわゆる致死的、重篤な胎児異常もときどきおこり、月に数人、赤ちゃんを理由にした、いわゆる中期中絶を希望される方がおられます。その多くは18〜19週ぐらいの健診を受診された折に所見が目立ってきて見付けて、急いで高次施設に紹介して、診断をうけて、産まれても生きないかも、中絶するなら愛和さんでどうぞといわれてほぼタッチアンドゴーで戻ってきて、22週になる前に・・・という、怒濤の数週間を過ごすことになるお母さん達に、我々も結構な頻度で遭遇していることになります。

もうちょっと時間があったらご本人達の思いが整理されるとか後悔がなくなるといったものではないですが、他人の時間軸で進んでいってしまうような感じはどうしても残るでしょう。この本の主人公は赤ちゃんの異常が分かって間もなく別の国にまで行くことになった訳で、時間的にも距離的にも、その時期を、あまり考えるでもなくあれよあれよと過ぎていった感じで描写しているのをみて、我々も仕方ないとは言え、やっぱり、そういうことを結果的に強いているようになっちゃってるんだなあ、と、なんだか身につまされる思いでした。

その後の喪失感の大きさ、家族との葛藤の部分を読んでも然りです。以前働いていた地域は胎児異常を見付けたら大学に紹介しっぱなしでよかったので、地域の医療実態とはいえ、今の、お母さん達に行ったり来たりさせてしまっているのが心苦しくもあるのですが、あれよあれよ、に関してはきっと大きく異なることはなく、おそらく後悔のないようになんてことは相当難しいので、私達もこの状況でやれることをやっていくしかないとも思いました。

最近分娩室助産師を中心に赤ちゃんのグリーフケアの勉強会を重ねて、少しでも赤ちゃんとの時間を過ごして貰えるように、色々工夫してくれていることもあって、この本を話題に出したら、助産師、看護師の食いつきが思った以上にあって、貸した本がめぐりめぐって全然返ってきません(買わせるべきですね・・・)。普段からお産が山ほどあって忙しくしていますが、それでもやっぱり、みんな、月に数度のことを色々考えながら迷いながらやってるんだよねえ、としみじみ感じます。今後、物理的にやることは変わらなくても、もう一歩寄り添う形で関われたらいいです。

 

網野 幸子 先生 (吉田医院)

大変有意義な書籍のご紹介をありがとうございました。以下のうまく纏まらないままの感想文をお送り致します。

1度読み終わるまでには、そう時間がかからなかったのですけれども。考えながら読み終わった後に、例えて言えば空の巣症候群のようになっているところがあります。

イタリア語の邦訳ならではの、飾り言葉が多少くどく感じる導入の文章で疲れてしまう方も少なくないように思います。

しかし、実際に大きな衝撃にあった人にとっては、カーテンのシミ、コンセントの上の埃といった周りの誰もが気にならないで過ごしていることの方に心とられていくようなことがままあるようにおもいます。例えば交通事故にあった人がその瞬間をスローモーションのように覚えているというような話を耳にしたことがおありだと思います。

とても大きな衝撃を乗り越える為に、知らない人から見たらこの女性が如何にも無駄で我儘な時間を費やしたかのように読める場合があることを私は気にしています。

一方で、相手の男性には子供を宿すことが出来ない、異性には分からない、そういった心情で立ち直りが早いように感じる読者も多いかも知れません。

私は、そうは思わないのです。彼も彼の立場でお腹に宿った子供を愛し、更に目の前に居て、まるで病んでいるがごとしの状態になっている彼の彼女を恐らく彼なりの努力の中で支えていると私は感じるのです。

私が、主に欧米の外国人患者さんが、全体の約10%強程度を占めた頃の地域周産期施設で働いた時に血清マーカーによる出生前診断が導入されました。患者さんへの説明の仕方を悩んだものでしたが、むしろ患者さんの方から「イタリアでは35才以上の妊娠では、当然羊水検査をする」と伺いました。そして、日本人は確率論に慣れていない。それに対して欧米社会では確率論に慣れているというお話も伺いました。

実際に、出生前診断によって異常とされ胎児適応で妊娠中絶を選択した患者さんとその後に、ほとんど関われないで来ましたので、そうした意味でもこの本は大変貴重でした。

羊水検査は歴史の浅いものではない為、患者さん方の話が正しく、一般的な推測をすれば、羊水検査によって異常を見出された多くの方が妊娠中絶を選び、その苦悩を「確率論に慣れている文化」として黙って生きて来られたのではないかと考えました。

本の中にもあるインターネットを使ったセルフヘルプグループは、ネットの利用が簡単になった為に、最近活発になって来ているのではないかと思います。この本がイタリアでベストセラーになった理由には、インターネットと関わらない年齢層や社会層で共感を得る経験があったことが含まれるのではないかと思った次第です。

文中で、作者がパートナー以外の家族、殊に実母と義母について繰り返し触れている理由を尋ねたい気持ちです。パートナーの環境との違いを鮮明にされているような気もしますし、あるいは、実母には夫を若くして亡くした喪失経験を、祖母には加齢にはよるものの社会的に過ごしにくくなっている人の像を反映さえているのか等と考えたのです。

「わたし」が、折り合っていない義母とその社会的仲間の集まる場で、衝動に駆られて自分の状況を暴露する状態が描かれています。苦悩の淵から自分を立ち直らせた作者が、今度は熟考して書籍で多くのことを社会に伝えているように思います。「わたし」の不妊期間も年齢設定も、非常に意味深いと思うのです。

周産期センターや不妊治療現場にいた中で、その診断や治療の間に、ご家族がその関係を壊して行ってしまうことも少なからず経験しました。「わたし」は、イタリアならでは珍しくはない籍を入れていない家族であり、読者である私は最後までこの二人が離別して行ってしまうことを心配しました。

イタリア、イギリス、日本と背景が異なる著作の訳本であり、想像することが難しい医療現場の様子も詳細に書き込まれており、読み進めるのに多少辛抱を要とするように思います周囲の人には、是非辛抱して読んで欲しいと頼んでいます。そして、それぞれの人の想像力の中で、長い年月をかけて子どもを得て、親に一度はなり、失っていった二人のこと、この世に生を受けずに消えて行った子どものことを思い浮かべ、感想を教えて頂けるとありがたいと思っているところです。

 

片平 満喜子 さん (神戸理容美容専門学校)

本当に、難しい問題だと思います。

本来なら、自分の子供は、五体満足で産まれて来るのが当たり前と思っているお母さんに、異常があると告知されたら〜

その胸中は計り知れないものだと思います。

判っていながらも、愛情を持って産むと言う方も沢山居られるとは思います

でも、自分としては、将来の事を考えると、最初から、障害を持って生まれてくると判ってしまったら、自分は本当に自信を持って責任を持って育てる事ができるのか? 親も子も、本当に幸せになれるのか? って考えてしまうと思います。

これは、あくまでも 私の意見で、そうでないと思われる方も 居られるとは思いますが。

昔は、産まれてくるまで、障害があるかどころか性別すら判りませんでした。

そんな頃なら、授かった我が子が、万が一障害が有ったとしても、それは 私なら、ちゃんと育てる事が出来るから、私の元にやってきたのだと思う事も出来るのかもしれないですが〜

しかし、医学の発達と共に産まれる前から、色んな事が判る現代。私なら、産むのを諦めてしまうだろうと思いました。

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カウンタ 4779 (2013年12月30日より)