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「コーチング」批判

「コーチング」批判

                                  (室月 淳 2014年8月3日)

芙蓉の花

 はじめに

平成16年度からはじまった新臨床研修制度において,研修指定病院における臨床研修指導医になるためには,7年以上の臨床経験と厚労省のさだめる臨床研修指導医講習会を受講する必要があるとされています.指導医講習は一種の成人教育であり,学校教育とちがって主体性や意識変容などがもとめられるため,通常の講義形式では限界があります.そのためワークショップやKJ法という既存の方法論から,コーチング,メンタリングといった欧米から取りいれられた新しいノウハウなど,さまざまな試みがなされています.

わたしが「コーチング」をはじめて知ったのは数年前に受講したその臨床研修指導医講習会の場でした.そのとき「コーチング」にたいして強い違和感をおぼえたのです.そのときの違和感の正体をあきらかにしようといろいろと考え,勉強してきて,これまでにとりあえずわかったことをここですこし書いてみます.

 

 「コーチング」とはなにか

医療においては近年,シミュレーション教育(たとえば成人心肺蘇生法講習であるBLSとかACLSなどいったような)が盛んですが,そのインストラクター養成コースにも「コーチング」の講義が取り入れられています.また医療の現場において「医療コーチング」とか「臨床コーチング」などといわれるコミュニケーション技術が提唱されています.

2009年9月18日付の長崎新聞では「注目浴びるコーチング 患者の自発的行動を支援」という記事で紹介されていますが,そのなかで「人が必要とする答えはその人の中に存在する.ただ,こうすればいいということが分かっていても,なかなかできないのが人間の弱さ.そこを対話によって,いい方向に指導する.これがコーチングの基本理念です」と紹介されています.

あるところでコーチングの講義を受けていたときに,カウンセリング理論の創始者であるカール•ロジャースのなまえが急にでてきて,びっくりしたことがありました.ロジャース理論のいわば俗流解釈を聞かされてやや閉口したのですが,確かにクライアント中心志向のカウンセリング手法とやや通ずるところはたしかにあるとそのときに思い当りました.実際にコーチング関係の本の記述について,「コーチング」を「カウンセリング」,「コーチ」を「カウンセラー」といいかえても,まったく意味がとおるのです(笑)

コーチングの考えかたはロジャースのカウンセリングにおける「非指示的アプローチ」とほぼ同じといえます.ロジャース全集第2巻の174ページには,「非指示的カウンセリングは,クライエントが自由に自分というものを表現しうるようになり,自分自身の解決を成し遂げるようになる」,「クライエントが,みずから取り組むことのできる問題を見出すように援ける」とあるが,これは上記とほとんど同じことをいっています.

コーチングとカウンセリングは,いずれもコーチ/カウンセラーとクライアントの一対一の関係のなかで,クライアントの悩みを聞き,正しい判断が下せるように支援をおこなうという点ではよく似ています.実際のところ,コーチングの理論や技法のほとんどは,「カウンセリング」と称される心理療法と大きくかわりません.とくに短期での解決をめざす方法論,クライアントが抱えている問題の本質的な原因にはこだわらない姿勢などから,カウンセリングのなかの「ブリーフセラピー」や「問題解決志向アプローチ」などからの流用といって差しつかえありません.現代の産業社会のなかで仕事に悩む人間を対象とした一種のビジネスモデルといえます.

 

 「コーチング」成立の歴史的背景

「コーチング」理論は近年の流行です.企業研修などで,費用をはらって認定「コーチ」にレクチャーをしてもらうことも広まっています.ビジネススキルのなかでコーチング理論が注目されたきっかけは,日産自動車のCEOとなったカルロス•ゴーンが,コーチング手法をもちいて業績のV字回復を成功させたといわれたことです.もちろん日産の再建はそんな単純なことではなかったでしょうが,いい宣伝となったのは間違いありませんでした.

「コーチング」理論ができあがったもともとの背景にはなにがあるのでしょうか.その出自がいわゆる「自己啓発セミナー」にあることが一部で指摘されています.そもそも「自己啓発」というのは,朝鮮戦争やベトナム戦争を経験したアメリカで発達した洗脳や脱洗脳テクニックをもとに生まれたものです.

ベトナム戦争で疲弊していた70年代アメリカに流行していた思想に,ヒューマン•ポテンシャル•ムーブメント(人間性回復運動)というものがありました.人間の可能性をヒューマニスティックに追求しようとする運動です.そのなかからうまれた「ポジティブシンキング」や「成功法則」は,日本のビジネス本にもとりいれられてすっかり有名になっています.「コーチング」の思想の源流のひとつはこのヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントにあるとされています.「コーチング」は成功哲学をコーチとの共同作業によるシステムにかえ,現実的な成功や目標達成をめざすスキルとしてうまれたと考えられます.

ところが例の「自己啓発セミナー」もこのヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントの流れからでているのです.ですから「自己啓発セミナー」も「コーチング」も基本思想は同じです.それをかんたんにいうと「人間には無限の可能性がある」,「常識や身についた考えかたがじゃまをしてそれらを発揮できないだけだ」というものです.

「自己啓発セミナー」は日本においても1980年代末に爆発的に流行したのですが,高額な受講料や暴力的なセミナー,信者を使った執拗な勧誘などが大きく社会問題となり,マスコミに「人格改造」,「洗脳セミナー」などと批判され,90年代以降はだいぶ斜陽化してしまいました.

現在の日本における「コーチング」の最大手はA社ですが,その前身はB社といって,80-90年代に「自己啓発セミナー」を主に行っていた大手セミナー会社だったのは有名な話です.2000年に起きた世田谷一家殺害事件の被害者夫婦がこのB社の関係者で,事件の背景にB社内部での怨恨が当時噂されていたのを覚えています.もともとB社は80年代に自己啓発セミナーでは最大手であったC社から派生してできた会社です.

80年代末の最盛期には100以上あったという自己啓発セミナー会社でしたが,その後急速に衰退し,宗教化,カルト化するもの(たとえば成田ミイラ化遺体事件で有名な「ライフスペース」や,X-JapanのTOSHIを洗脳した「ホームオブハート」などが有名)が続発するなかで,B社の代表者は,自己啓発セミナーから企業内カウンセリングである「コーチング」の資格発行や出版にシフトし,商売の鞍替えをして成功しました.さらに最近ではビジネスの対象を企業研修やセールスマン研修にしぼっているようです.コーチング最大手が自己啓発セミナーの会社を前身としていたのはけっして偶然ではなかったようです.

 

 「コーチング」にたいする違和感の正体

もちろん上記で述べた歴史的背景などよりもだいじなのは「コーチング」の中身です.しかしその内容も心理臨床理論の俗流解釈だったり,「血液型」性格分類とどっこいどっこいの人間のタイプ分類だったりと,「コーチング」理論それ自体に独創的なものがあるかといわれれば首をかしげてしまいます.これまでの理論や方法論の折衷でしかありません.

コーチングの特徴のひとつは,指示や命令をしないことです.相手にじょうずな質問をなげかけることで,相手がじぶんで気がつき,自分でこうやろうと行動をおこす,行動がかわっていくとされています.強制されてではなく自発的にするのだと相手になかば誤解させる,あるいは相手に気づかれずにコントロールする手法です.

コーチングは,畢竟,あいてを操作する技術であり,一種の洗脳教育なのではないでしょうか.暴論のようにも聞こえますが,なぜなら人格のもっとも基礎となるべき部分を,「コーチング」は「スキル」によって左右できると考えるからです.ひとは他人に必要な知識を教える権利はありますが,他人のモチベーションや好悪を植えつける権利はないでしょう.すくなくともわたし自身は他人に「コーチ」されたくはないと感じます.

そもそも「コーチング」は,高額な費用を出し,専門の講師を派遣してもらって学ぶほどのものなのかというのが正直なわたしの思いです.「コーチング」は現在いわゆる資格商法となっていて,「専門コーチ」も資格が細分化され,うえに行こうとするとすればさらに費用がかかるシステムになっているようです.しかし高いお金をはらってコーチングスキルを勉強しても,実生活で役にたつことはあまりないかもしれません.

もちろんここで「コーチング」を批判するのは,「コーチング」がインチキだからとか効果がないからというわけではありません.条件しだいでは有効性はあるのだろうと思います.そうではなく,わたしの感じていた違和感の正体は,「コーチング」が本質的にもつ欺瞞性にたいしてだったと思います.おそらくコーチングは目の前の問題の本質をすりかえているのではないか.それは問題の真の解決ではないのではないか.

このことは実は「コーチング」に限ったことではなく,自己啓発系のさまざまな発想法スキルに共通した欺瞞性です.そしてそれは本丸の「カウンセリング」そのものにたいする根源的批判に通じていくのかもしれません.しかしそのあたりのことはもうすこし考えて,いずれあらためてまとめたいと思います.

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