マッキー
親の思い・子の思い
同居していない両親に乳がんになって治療が必要だと伝えた頃のこと。
「健康な体に産んでやれなくて申し訳なかった」
と父に言われた。お互い目は合わせられなかった。泣くことをこらえすぎて、喉が痛くなった。この一言にどんな思いが込められていただろうか。
私ががんになったことは誰のせいでもない。こんな言葉を親に言わせてしまうことになった自分を責めるような気持ちにもなった。なんで自分ががんになったのだろう。なんでこのタイミングなのだろう。それでも、親ではなく、自分が今なってよかったとも思っていた。
自分も親にはなったが、自分の親がどんな思いなのかはわからない。お互いにどう思っているのかなんて口に出すこともほとんどなかった。できるだけ心配はかけまいと取り乱すこともなく、気丈に振る舞ってきた。ある日、母が、
「ごめんね、あなたが乳がんになったこと、友達に話しちゃった。」
と謝ってきた。母も誰かに打ち明けたかったのだと知った。そりゃそうだと思った。元々、誰にも言わないで、と言った覚えもなく、母が私に謝る必要もないと思った。
「私には話せないだろうから、私に断らず、話せばいいよ。」
とこんな感じで答えたと思う。
治療を終えて、自分の経験を何か生かせないかと考えていた頃。がんの経験を語り、発信するには、匿名でなく、実名、顔出しを求められることも多い。その都度、発信の内容と目的をできるだけ伝えていた。ある時、事後報告になった時に、父にこう言われた。
「がんになったことは隠すようなことではない。悪いことをしているわけでもない。気にしなくていい。名前や顔を出すことで、その人がちゃんと今生きて、実在しているということを示すことは、見る人や聴く人にとっては大きな意味があるだろう。」
ああ、そんなふうに思っていたのか。父の思いを知ると共に、私自身が何となくしかわかっていなかったことを、逆に明確に教えてもらった瞬間でもあった。