靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

花も万両

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実を見るべきものの花を見れば往々にして

BLOGと掲示板

またぞろいろいろ手をひろげてしまったけれど、そろそろまた手を引く準備です。
日本内経医学会談話室」の掲示板は、会員相互の談話が目的です。誰かが書いた記事に対して反応して、何かを言うことは有るかも知れませんが、私が自分で口を切るつもりは有りません。私にはこのBLOGが有ります。掲示板の管理者として、お知らせを書き込むことは有ります。
太素を読む会」の掲示板には、『太素』の判読に際して、意見を徴求するためのものです。他の人が意見を書き込みやすいように、掲示板にしました。今有る記事はほとんど誘い水のようなものです。自分自身の過去の読解は、『黄帝内経太素新新校正』として、一応まとめてあります。書庫に置いています。私自身は、『太素』に関して考えたことも、特に意見を求めるのでなければ、今後もこのBLOGに書きます。BLOGにだってコメントはできるんですがね。
つまり、私自身には「日本内経医学会談話室」も「太素を読む会」もあまり必要ありません。どちらの掲示板も、書き込む人がいなければ、馬鹿馬鹿しいから閉鎖するかも知れない。
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䐜脹か飧洩か

03陰陽01陰陽大論
014 清氣在下,則生飧洩;濁氣在上,則生䐜脹。
【楊】清氣是陽,在上;濁氣爲陰,在下。今濁陰既虛,清陽下并,以其陽盛,所以飧洩也。清陽既虛,濁陰上并,以其陰盛,所以䐜脹飧洩也,食不化而出也。

按ずるに,原鈔は「所以䐜脹飧洩也」だが,「也」字を移動させて,
「濁陰既虚,清陽下并,以其陽盛,所以飧洩也」と
「清陽既虚,濁陰上并,以其陰盛,所以䐜脹也」の対にするのが正しいのではないか。
その上で,「飧洩」とは「食不化而出也」であるという説明が加わる。

凌霄花


暑い。こんな暑苦しい花が,中国から,平安朝のころにすでに渡来していたのかと想うと,よけいにくらっとする。夏の宵を凌辱する花? 中国文明と平安貴族にたいするイメージが狂います。濃い涎の葛と訓む。←勿論うそ

木有り名は凌霄,擢秀して孤標に非ず,偶たま一株の樹に依り,遂に百尺の条を抽きいだす。根を託して樹身に附き,花を開いて樹梢に寄り,自らその勢を得たりと謂い,因りて動揺有ること無し。一朝に樹は摧り倒され,独立して暫く飄颻,疾風東より起こり,吹き折りて朝を終えず。朝には雲を払うの花となすも,暮には地に委すの樵となる。言を寄す立身のものよ,柔を学んで苗を弱めること勿れ。(白居易)

令人𤸇

02 調食056に「令人𤸇」とあって,楊上善注に「力中反,淋也」とあるから,「𤸇」は小便の出ない病気と思ってしまうけれど,これは違うかも知れない。『説文』には「癃,罷病也」とあり,「𤵸,籀文癃省」(段玉裁は篆体に誤りが有るのではないかと言っている。)とあります。これだと,老衰や病弱であるさまです。

08経脈連環の楊上善注には「𤸇,篆文痳字,此經淋病也,音隆」とあります。「癃」あるいは「𤸇」が,いつ頃から淋病の意味に使われたかは知りませんが,これもまた一般的な字義とは別に,この経においては,という注でしょう。してみると,02調食056の注に「𤸇」を説明して、「力中反,淋也」に続けて「篆字𤸇也」というのは確かに変だけれど,「篆字癃也」ですませるよりも,むしろさらに「篆字痳也」としたほうが良いのではないか。

槫而不行

02 調食007「其大氣之槫而不行者」の「槫」は,原鈔では歴然として「木」旁に「専」である。右肩の一点は無い。「専」は「專」の通であるから,「木」旁に「専」もまた「槫」の通であろう。また「槫」は「摶」に通じるし,そもそも原鈔では多くの場合,「木」旁と「扌」旁は区別しがたい。その意味では「摶」とするべきである。さらに『霊枢』および『甲乙』も「摶」に作る。楊上善注の「聚也」も,『説文』に「摶,圜也」,『広雅』に「摶,著也」とあることからして,被釈字が「摶」もしくは「槫」であるべきことを示している。ところが,音を釈して「謗各反」とするのはうなづけない。これは声符を「尃」とする文字を対象としていると考えられる。

楊上善注中に,音義が齟齬する例は珍しくない。02九気にもあった「炅,音桂,熱也」はその一例である。『説文』には「見也」とあり,『広韻』には「光也」とあるのが,本来の音ケイの字であって,「熱也」のものは南北朝のころに民間で妄りに作られた「熱」の異体字ではないかと思う。日と火を合わせれば,それはまあ熱かろう。調食の後のほうにも,「涘,音俟,水厓,義當凝也」という例が有る。これなどは,一般的には音はアイで,水厓の意味だけれど,ここでは「凝」の意味にとるべきだと言っている。
つまり,楊上善の訓詁においては,一般的な音義を示した上で,その場に相応しい詞義を示すことが有る。「槫,謗各反,聚也」も,おおむねその例にそって考えれば良い。ただし,楊上善にとっては「専」も「尃」も同じであって,だから,「榑」にとっての一般的な音を示し,この場での意味「聚也」を記したようなことになっている。実は「榑」と「槫」がもともと別の字であることを,楊上善は知らなかったことになる。

宛槁

02 順養062注の「宛,痿死槗枯也,於阮反。」を,一般には「宛,痿死。槗,枯也。於阮反。」と句読している。新校正も校注も例外ではない。しかし,於阮反はどう考えても「宛」字に対する注音である。「宛とは,痿死して槁枯することであり,(音は)於阮の反である」と解すべきではないか。「宛」が「苑」に通じ,死貌あるいは枯萎貌と,『漢語大詞典』にも見える。

盗夸

02 順養062の欄外に,「苦瓜切。元起注:桀紂等君也。」とある。新校正では,「全氏の『素問訓解』の流伝と亡佚の時代を考証するうえで啓発するところが有る」と評価するけれど,この欄外注記は楊上善注中の「盗夸」の「夸」について言っているはずで,この字は経文には無い。従って,全元起が『素問』に注して,これを言えるわけがない。むしろ,全元起に失われた『老子』注が有ったのではないか。盗夸は『老子』の第五十三章に見える。またそもそも,元起といっても全元起ではないかも知れない。

脩か循

巻二・摂生之二の順養の006注「脩之取美」の「脩」に相当する文字を,『黄帝内経太素新校正』は「循」の俗字と言う。確かに,原鈔では「脩」なのか「循」なのかよく分からないことが多い。

本来,右下が月であるか目であるかで判別できるはずである。(抄者の書き癖でハネが強いので紛らわしいことは有る。)また右上の部分も「脩」のほうが「循」より一画多い。傍らにウと書いてあるようで,抄者はシウ,つまり「脩」のつもりであった可能性が高い。さらに,『老子』五十四章に「善建者不拔,善抱者不脱,子孫以祭祀不輟。修之於身,其德乃眞。修之於家,其德乃餘。修之於郷,其德乃長。修之於國,其德乃豐。修之於天下,其德乃普。故以身觀身,以家觀家,以郷觀郷,以國觀國,以天下觀天下。吾何以知天下然哉。以此。」とある。いずれをとっても,ここは「脩」のようである。

7月の読書会

年内の読書会を,読み切り難経苦行会とします。

テキストとして使用する『難経集注』は5巻本で,読書会は8月をお休みにしますから,年内に5回。

つまり,1回に1巻分を読み倒します。

ということで,7月の予定(目標)は,十二難までです。


7月13日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの会議室
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