02 調食007「其大氣之槫而不行者」の「槫」は,原鈔では歴然として「木」旁に「専」である。右肩の一点は無い。「専」は「專」の通であるから,「木」旁に「専」もまた「槫」の通であろう。また「槫」は「摶」に通じるし,そもそも原鈔では多くの場合,「木」旁と「扌」旁は区別しがたい。その意味では「摶」とするべきである。さらに『霊枢』および『甲乙』も「摶」に作る。楊上善注の「聚也」も,『説文』に「摶,圜也」,『広雅』に「摶,著也」とあることからして,被釈字が「摶」もしくは「槫」であるべきことを示している。ところが,音を釈して「謗各反」とするのはうなづけない。これは声符を「尃」とする文字を対象としていると考えられる。
楊上善注中に,音義が齟齬する例は珍しくない。02九気にもあった「炅,音桂,熱也」はその一例である。『説文』には「見也」とあり,『広韻』には「光也」とあるのが,本来の音ケイの字であって,「熱也」のものは南北朝のころに民間で妄りに作られた「熱」の異体字ではないかと思う。日と火を合わせれば,それはまあ熱かろう。調食の後のほうにも,「涘,音俟,水厓,義當凝也」という例が有る。これなどは,一般的には音はアイで,水厓の意味だけれど,ここでは「凝」の意味にとるべきだと言っている。
つまり,楊上善の訓詁においては,一般的な音義を示した上で,その場に相応しい詞義を示すことが有る。「槫,謗各反,聚也」も,おおむねその例にそって考えれば良い。ただし,楊上善にとっては「専」も「尃」も同じであって,だから,「榑」にとっての一般的な音を示し,この場での意味「聚也」を記したようなことになっている。実は「榑」と「槫」がもともと別の字であることを,楊上善は知らなかったことになる。
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