後と気を得る
- 医経
- by shenquzhai
- 2011/10/01
『霊枢』経脈篇の、足太陰の脈の是動病に、「得後與氣,則快然如衰」とあって、大便と転失気を得れば、随分と楽に為ると解してきた。
ところが、『太素』巻八の経脈連環では「得後出餘氣,則快然如衰」に作り、楊上善は「穀が胃に入ると、その気は上って営衛と膻中の気となり、後ろには下行して糟粕と倶に下るものが有り、名付けて余気と曰う。余気が糟粕と倶に下らないと、壅して脹と為る。今これを得てこれを洩する、だから心地よく腹はへこんだようになる」といっている。それで、ああなるほど、腹が張って苦しいときに、放屁一発有れば、便秘は解消してなくとも、随分とらくになるものなあ、と感心する。
ところがである。馬王堆の陰陽十一脈灸経の足泰陰の脈には、やはり「得後與氣則快如衰」となっている。やはり、大便が通じるかどうかも気にかけているらしい。
いや、古い文献を得て感動するのもいいけれど、さらに古いものではそうでもないかも知れない。ご用心、ということ。
ところが、『太素』巻八の経脈連環では「得後出餘氣,則快然如衰」に作り、楊上善は「穀が胃に入ると、その気は上って営衛と膻中の気となり、後ろには下行して糟粕と倶に下るものが有り、名付けて余気と曰う。余気が糟粕と倶に下らないと、壅して脹と為る。今これを得てこれを洩する、だから心地よく腹はへこんだようになる」といっている。それで、ああなるほど、腹が張って苦しいときに、放屁一発有れば、便秘は解消してなくとも、随分とらくになるものなあ、と感心する。
ところがである。馬王堆の陰陽十一脈灸経の足泰陰の脈には、やはり「得後與氣則快如衰」となっている。やはり、大便が通じるかどうかも気にかけているらしい。
いや、古い文献を得て感動するのもいいけれど、さらに古いものではそうでもないかも知れない。ご用心、ということ。
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