靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

国家利益のためなら

花火で描いた巨人の足形は,コンピューターグラフィックスによる合成映像だった。
航空管制で空撮ができないのならしょうがない。
国旗入場の際の,笑顔を絶やさない少女と,美声で熱唱した少女は別人だった。
まあ,二人一役という考え方も,無いことは無い。

しかし,「国家利益のためならいいだろう」は,冗談じゃない

三ヶ月

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なんだったっけ

禁断のシミレーション

仮にもし,民族自治区の独立を一斉に認めたとしたら,面子の問題とか歯止めが効かなくなるおそれとかをのぞいて,どのような不利益が有るのだろう。
身軽になれて,かえって好都合だったりして。

『太素』の笑い

『干禄字書』には「咲𥬇 上通下正」とある。竹に従い犬に従う字が正字らしい。仁和寺本の『太素』には両方が見える。ただし,他にも笑に丿と一点を増画した字も見えるし,さらにそれに口旁を添えた字も見える。
すると翻字入力するものは,どこまでを保存しようかと頭を悩ませる。はたから見れば笑ってしまうような悩みでしょうがね。

犬に従うについて,朱駿声が本義は「犬が人に狎れる声」であると説明するのにも,笑ってしまいます。

国芳画く

歌川国芳の「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズでも「臂那吒項充」ですね。
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これはもう『通俗忠義水滸伝』あたりの責任ですか。編訳者は儒者の岡島冠山であるとか,いや違うとか。
荻生徂徠に唐話を教授した岡島冠山にして「入臂」とは,いささかお粗末ではないか。もっとも柳里恭『獨寝』に「岡島援之は、長崎にては長左衛門といひし者なり。華音には希なる生れなり。服元喬がいふには、和中の華客なり、といひしも尤なり。学才は余りなしとかや」とあるそうな。

鍼を砥ぐ

『史記』に「扁鵲,乃ち弟子子陽をして鍼を厲石に砥がしめ,以て外の三陽五会を取る」とある。鍼は使用する前に先ず磨ぎなおすものだったらしい。
1968 年に河北省満城の劉勝墓から出土した西漢の金鍼には,鍼柄にそれぞれ円孔が有る。未だにその用途は明らかではない。あるいは細紐でも通して,腰からぶら下げてジャラジャラいわせていたのではないか。当今の中国人が腰から下げたおのれの管理する鍵束を誇らしげにジャラジャラいわせているのと同様に。もしそうであれば一人の医者の所持する鍼は,数本あるいは多くとも十数本であった可能性が有る。
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腰から下げていたのであれば,当然,使用する前には磨ぐ必要が有る。考えてみれば,『黄帝内経』には九鍼の形状とか用途とかの説明は有るけれど,材質は述べられていないと思う。『史記』扁鵲倉公列伝のこの記事は,「鍼」字が金偏に従うのと並んで,貴重な資料ではないか。
金属のうち,詳しく言えば何か。劉勝墓から出た鍼が金製であるのは,王様の墓だったからかも知れないが,当時も無理して金鍼をあつらえた貧乏医者はいたかも知れない。数本を磨ぎ直して使用するのであれば,あながち不可能とも言えまい。

優弱の癖有り

北斎の『忠義水滸伝画本』の自序に,「元明の画は優弱の癖有り,本朝の画は剛気の癖有り」と言い,そこで「癖を折衷以て戯れに水滸伝を画」いている。さて,この企ては成功したのか。試みに病尉遅の孫立と母大虫の顧大嫂を見てみよう。
孫立というのは,好漢としてはいささか問題が有る人で,従兄の解珍・解宝が冤罪で囚われても,すぐに助ける気にはならない。自分の地位と立場をおもんぱかってのことである。弟・孫新の女房である顧大嫂から,極力しなくても,どうせとばっちりはくうと脅されて,やっとその気になる。顧大嫂のほうがよっぽど気っぷが良い。
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孫立だって堂々たる巨漢で,あら馬をのりこなし,鉄鞭をふるう英雄なんですよ。でも,何か欠けるところがあると考えられたのか,最初の話では中心人物の一人なのに,今の『水滸伝』では地煞星に落とされている。孫立に優弱さを加味し,顧大嫂に剛気さを添えたと見えないことも無い。
それはともかくとして,好漢の綽号の間違いには目を覆いたくなるものが有る。八臂那吒の項充を「入臂那吒」として,ご丁寧に「にうひなた」と仮名を振っている。ナタは毘沙門天の第三王子で,伝統的には三面六臂両足のようだけど,『封神演義』では八臂ということになっている。二臂分だけより強いと言うつもりですかね。
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都骨不正

03陰陽02調陰陽

017 潰潰乎若壞都,滑滑不止。

【楊】潰,胡對反。潰潰、滑滑,皆亂也。陽氣煩勞,則精神血氣亂,若國都亡壞,不可☐止也。一曰:骨不正,則都,大也。言非直精神血氣潰亂,四支十二大骨痿瘲不正也。

按ずるに,「一曰」とは,恐らくは「滑滑不止」を「骨不正」に作る一本が有り,もしそうであれば,その上の都は骨と詞を構成して,意味は大であるというつもりだろう。「滑〃不止」の下に当たる欄外に,抄者によると思われる「滑〃不止都骨不正」の注記が有る。本当は「滑〃不止作骨不正」と書くべきだったのではないか。

やっと七難

案の定,十二難までは無理でした。やっと七難まで。

一難:経脈が循環している以上は,その何処で診ても経脈の状況は把握できるはずである。だったら,一番診やすい処で診れば良い。
二難:しかし診る処を一箇所に決めてしまうと,異常が起こっていることは分かるけれど,どこで起こっているかは判断のしようがない。そこで,関前を陽とし,関後を陰として,陰陽を配置する。
三難:陰に打っているべき脈が関を越えて潜り込もうとすると,陽に打っているべき脈は魚際にまで推し出される。陽に打っているべき脈が関を越えて覆い被さろうとすると,陰に打っているべき脈は尺沢方向に推し出される。いずれも非常に危険な状態である。
四難前半:心肺は浮であり陽であり,腎肝は沈であり陰である。そして中間が脾。この陽と陰は二難の"関後と関前に陰陽を配置した"という文脈に従って読むべきなのか。
四難後半:浮沈滑濇長短の六祖脈だが,その組み合わせの一部しかあげない。どうしたことか。そもそもこの記事はここに在るべきではないかも知れない。
五難:これは皮毛から骨まで,浮沈に五蔵を配置しているように読めるのだが。
六難:やっぱり,浮沈に陰陽を配置することも有ったらしい。この難が五難の前に在れば迷わないのに。
七難:季節による陰陽の推移と,それに伴う脈状の正常な変化をいう。
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忘れた

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もう二ヶ月......

もう忘れた......


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