靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

令人𤸇

02 調食056に「令人𤸇」とあって,楊上善注に「力中反,淋也」とあるから,「𤸇」は小便の出ない病気と思ってしまうけれど,これは違うかも知れない。『説文』には「癃,罷病也」とあり,「𤵸,籀文癃省」(段玉裁は篆体に誤りが有るのではないかと言っている。)とあります。これだと,老衰や病弱であるさまです。

08経脈連環の楊上善注には「𤸇,篆文痳字,此經淋病也,音隆」とあります。「癃」あるいは「𤸇」が,いつ頃から淋病の意味に使われたかは知りませんが,これもまた一般的な字義とは別に,この経においては,という注でしょう。してみると,02調食056の注に「𤸇」を説明して、「力中反,淋也」に続けて「篆字𤸇也」というのは確かに変だけれど,「篆字癃也」ですませるよりも,むしろさらに「篆字痳也」としたほうが良いのではないか。

槫而不行

02 調食007「其大氣之槫而不行者」の「槫」は,原鈔では歴然として「木」旁に「専」である。右肩の一点は無い。「専」は「專」の通であるから,「木」旁に「専」もまた「槫」の通であろう。また「槫」は「摶」に通じるし,そもそも原鈔では多くの場合,「木」旁と「扌」旁は区別しがたい。その意味では「摶」とするべきである。さらに『霊枢』および『甲乙』も「摶」に作る。楊上善注の「聚也」も,『説文』に「摶,圜也」,『広雅』に「摶,著也」とあることからして,被釈字が「摶」もしくは「槫」であるべきことを示している。ところが,音を釈して「謗各反」とするのはうなづけない。これは声符を「尃」とする文字を対象としていると考えられる。

楊上善注中に,音義が齟齬する例は珍しくない。02九気にもあった「炅,音桂,熱也」はその一例である。『説文』には「見也」とあり,『広韻』には「光也」とあるのが,本来の音ケイの字であって,「熱也」のものは南北朝のころに民間で妄りに作られた「熱」の異体字ではないかと思う。日と火を合わせれば,それはまあ熱かろう。調食の後のほうにも,「涘,音俟,水厓,義當凝也」という例が有る。これなどは,一般的には音はアイで,水厓の意味だけれど,ここでは「凝」の意味にとるべきだと言っている。
つまり,楊上善の訓詁においては,一般的な音義を示した上で,その場に相応しい詞義を示すことが有る。「槫,謗各反,聚也」も,おおむねその例にそって考えれば良い。ただし,楊上善にとっては「専」も「尃」も同じであって,だから,「榑」にとっての一般的な音を示し,この場での意味「聚也」を記したようなことになっている。実は「榑」と「槫」がもともと別の字であることを,楊上善は知らなかったことになる。

宛槁

02 順養062注の「宛,痿死槗枯也,於阮反。」を,一般には「宛,痿死。槗,枯也。於阮反。」と句読している。新校正も校注も例外ではない。しかし,於阮反はどう考えても「宛」字に対する注音である。「宛とは,痿死して槁枯することであり,(音は)於阮の反である」と解すべきではないか。「宛」が「苑」に通じ,死貌あるいは枯萎貌と,『漢語大詞典』にも見える。

盗夸

02 順養062の欄外に,「苦瓜切。元起注:桀紂等君也。」とある。新校正では,「全氏の『素問訓解』の流伝と亡佚の時代を考証するうえで啓発するところが有る」と評価するけれど,この欄外注記は楊上善注中の「盗夸」の「夸」について言っているはずで,この字は経文には無い。従って,全元起が『素問』に注して,これを言えるわけがない。むしろ,全元起に失われた『老子』注が有ったのではないか。盗夸は『老子』の第五十三章に見える。またそもそも,元起といっても全元起ではないかも知れない。

脩か循

巻二・摂生之二の順養の006注「脩之取美」の「脩」に相当する文字を,『黄帝内経太素新校正』は「循」の俗字と言う。確かに,原鈔では「脩」なのか「循」なのかよく分からないことが多い。

本来,右下が月であるか目であるかで判別できるはずである。(抄者の書き癖でハネが強いので紛らわしいことは有る。)また右上の部分も「脩」のほうが「循」より一画多い。傍らにウと書いてあるようで,抄者はシウ,つまり「脩」のつもりであった可能性が高い。さらに,『老子』五十四章に「善建者不拔,善抱者不脱,子孫以祭祀不輟。修之於身,其德乃眞。修之於家,其德乃餘。修之於郷,其德乃長。修之於國,其德乃豐。修之於天下,其德乃普。故以身觀身,以家觀家,以郷觀郷,以國觀國,以天下觀天下。吾何以知天下然哉。以此。」とある。いずれをとっても,ここは「脩」のようである。

六十首は平有

沈教授主編の『難経導読』がやっと届きました。で早速、十六難の「六十首」の新しい解釈を確かめました。
「六十」は「平」の誤りのはずで,「首」には「有」の誤りの可能性が有る,ということだそうです。だから,この句は「有平,有一脈変為四時」と考えるべきで,八難の「寸口脈平」と相応する。
もう一つの可能性として,「六十」は「大小」の誤りとも考えられないことはないが,『難経』には脈の大小の問題を専題論求することがないから,取れないそうです。

う~ん,恐れ入りました。

でも,「大小」も捨てがたいんじゃないかな。「三部九候」は十八難に,「陰陽」は四難に,「軽重」は五難に見える。「大小」も,六難に「脈有陰盛陽虚,陽盛陰虚」と言い,答文では陰盛陽虚は「浮之損小,沉之實大」,陽盛陰虚は「沈之損小,浮之實大」と言う。つまり脈位の陰陽における脈状の大小を言ってないか。「一脈変為四時」は十五難で良いだろう。
つまり,十六難は,「脈有三部九候,有陰陽,有輕重,有大小,有一脈變爲四時。離聖久遠,各自是其法,何以別之?」
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巨刺と繆刺

巨刺と繆刺が分かりづらいのは,もともと言われていた巨刺を二分して巨刺と繆刺ということにしたからではないか。同じような事情は周痺と衆痺にもあった。
巨刺は『霊枢』官針篇では九刺の一つとして「左取右,右取左也」とある。九刺の中には絡刺もあるが,経刺に対して「刺小絡之血脈也」という。経刺に対して絡刺というものはあるが,巨刺に対して繆刺という考え方は,そこにはない。
『素問』繆刺論には,邪が客するには,先ず皮毛に客し,留まって去らなければ入って孫絡に客し,留まって去らなければ絡脈に客し,留まって去らなければ経脈に客し,さらに内は五蔵に連なり,腸胃に散じて,大事に至る。これは『素問』陰陽応象大論の,始めは病は皮毛に在るが,やがて肌膚に入り,筋脈に入り,六府に入り,ついには五蔵に入って,死ぬも生きるもあい半ばするに至るというのと同じことで,病が次第に深くに入り込むという常識を言っている。
ところが邪が何かの事情で経に入れないと,絡に溢れて,左は右に注ぎ,右は左に注ぎ,上下左右に交錯して,在処が定まらない。そこで繆刺する。繆はやっぱり,交える,入り混じるの意味だろう。また,謬に通じて,あやまる,くいちがう。経脈に正しく添わないで,変なところにわだかまる。
邪が経に客した場合でも,左の気が盛んであるのに右が病み,右の気が盛んであるのに左が病むという具合に,同じように移り変るものが有るのは,左の痛みがまだ癒えないのに右の脈が異常を示しはじめるのである。こういう時には,左右を互いにして取るのであるが,経をねらうべきであって,絡脈ではない。(そもそも脈を診て知るのは経の状態であって,絡は見て判断する。)
絡病では,その痛みが経脈と繆処するから,これを刺すのを繆刺と呼んで,経をねらう巨刺と区別する。

肺主聲

四十難曰:經言肝主色,心主臭,脾主味,肺主聲,腎主液。鼻者,肺之候,而反知香臭;耳者,腎之候,而反聞聲,其意何也?

然,肺者,西方金也。金生於巳,巳者南方火也。火者心,心主臭,故令鼻知香臭。腎者,北方水也。水生於申,申者西方金。金者肺,肺主聲,故令耳聞聲。
この経言は、『霊枢』順気一日分為四時篇と関係が有ると思う。ただし、それなら「肝主色,心主時,脾主音,肺主味,腎主藏」のはずである。「肺主聲」になってしまったのは、味であれば脾に配当するのが相応しいとして入れ替えたのから生じた食い違いだろう。音と声の入れ替えくらいはどうということはない。
「腎主藏」が「腎主液」に変わった理屈はわからない。
「心主時」を「心主臭」に変えたのは、五官器の問題に統一したいという意識だろう。確かに「時」というのは良くわからない。
長夏と秋を入れ替えるくらいなら、いっそのこと「肝主色,心主☐,脾主味,肺主臭,腎主音」までもっていけば良さそうなものではないか。五行説的に何か問題を生じるのだろうか、この難のようにしておくことに、五行説的に何か意義が有るのだろうか。
四十九難にも、別に大した問題は起きないと思うがなあ。
「心主☐」の☐には、目口鼻耳から得た情報から、それが何であるかを判断する能力、それを表現する文字が相応しい。
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有六十首

南京の沈教授からメールが有って,『難経導読』では第十六難中の「有六十首」に関して,新しい解答を提出したと言われました。

残念ながら,未だ亜東書店や東方書店には到着してないようですが,折角だから沈教授の説を見る前に,愚説を述べておこうかと。
十六難曰:脈有三部九候,有陰陽,有輕重,有六十首,一脈變爲四時。離聖久遠,各自是其法,何以別之?
「三部九候」は第十八難に,「陰陽」は第四難に,「輕重」は第五難に見える。では「六十首」とは何か。

実は『難経校注』には,『集覧』本は「首」を「日」に作っていると紹介が有りました。とすると,第七難の「王各六十日」のことではないか。つまり,季節によって脈状は変化する,というだけのことではないか。この「有六十首」が古老難題であるのは,当たり前のことを難しく考えすぎただけのことかも知れない。
沈教授の著書の到着が待ち遠しいです。この珍説は,それまでの短い命です。
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脩之取美

黄帝内經太素卷第二 順養
治彼與治此,治小與治大,治國與治家,未有逆而能治者也,夫唯順而已矣。
楊上善注云:人之與己、彼此、小大、家國八者,守之取全,脩之取美,須順道德陰陽物理,故順之者吉,逆之者凶,斯乃天之道。
『黄帝内経太素校注』も『黄帝内経太素新校正』も,「脩之取美」の「脩」を「循」に作るが,原鈔では「脩」なのか「循」なのかよく分からない。本来,右下が月であるか目であるかで判別できるはずであるが,抄者の書き癖でハネが強いので紛らわしいことが有る。また右上の部分も「脩」のほうが「循」より一画多い。傍らにウと書いてあるようで,抄者はシウ,つまり「脩」のつもりであった可能性が高い。いずれをとっても,ここは「脩」のようである。
さらにもう一つ,『老子』五十四章に,以下のような文言が有る。
脩之身,其乃德真;脩之家,其德有餘;脩之鄉,其德乃長;脩之於國,其德乃豐;脩之於天下,其德乃普。
如何。
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