靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

六十首は平有

沈教授主編の『難経導読』がやっと届きました。で早速、十六難の「六十首」の新しい解釈を確かめました。
「六十」は「平」の誤りのはずで,「首」には「有」の誤りの可能性が有る,ということだそうです。だから,この句は「有平,有一脈変為四時」と考えるべきで,八難の「寸口脈平」と相応する。
もう一つの可能性として,「六十」は「大小」の誤りとも考えられないことはないが,『難経』には脈の大小の問題を専題論求することがないから,取れないそうです。

う~ん,恐れ入りました。

でも,「大小」も捨てがたいんじゃないかな。「三部九候」は十八難に,「陰陽」は四難に,「軽重」は五難に見える。「大小」も,六難に「脈有陰盛陽虚,陽盛陰虚」と言い,答文では陰盛陽虚は「浮之損小,沉之實大」,陽盛陰虚は「沈之損小,浮之實大」と言う。つまり脈位の陰陽における脈状の大小を言ってないか。「一脈変為四時」は十五難で良いだろう。
つまり,十六難は,「脈有三部九候,有陰陽,有輕重,有大小,有一脈變爲四時。離聖久遠,各自是其法,何以別之?」

「有陰陽」の陰陽は,むしろ二難の尺寸のことではないか。そうすれば関の前後,深浅そして脈状の大小で,『難経』における広義の陰陽を網羅しそうな気がする。二難に「脈有尺寸」と言い,尺内は「陰之所治也」,寸内を「陽之所治也」と言う。六難に「脈有陰盛陽虚,陽盛陰虚」と言い,「浮之損小,沈之實大」だから陰盛陽虚,「浮之實大,沈之損小」だから陽盛陰虚と言う。「有三部九候」の三部九候は,『難経』では寸関尺に浮中沈である。「有一脈變爲四時」は,変じて四季の弦鈎毛石だとすれば,それは肝心肺腎の脈でもあり,四難に心(鈎)は浮大にして散,肺(毛)は浮にして短濇,また肝(弦)は沈であって牢にして長,腎(石)は沈であって按じて濡,指を挙げて来ること実である。浮沈と大小によって四分する,と言えなくもない。有陰陽,有軽重,有大小=有尺寸,有浮沈,有盛虚 ?

Comments

Comment Form