靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

巨刺と繆刺

巨刺と繆刺が分かりづらいのは,もともと言われていた巨刺を二分して巨刺と繆刺ということにしたからではないか。同じような事情は周痺と衆痺にもあった。
巨刺は『霊枢』官針篇では九刺の一つとして「左取右,右取左也」とある。九刺の中には絡刺もあるが,経刺に対して「刺小絡之血脈也」という。経刺に対して絡刺というものはあるが,巨刺に対して繆刺という考え方は,そこにはない。
『素問』繆刺論には,邪が客するには,先ず皮毛に客し,留まって去らなければ入って孫絡に客し,留まって去らなければ絡脈に客し,留まって去らなければ経脈に客し,さらに内は五蔵に連なり,腸胃に散じて,大事に至る。これは『素問』陰陽応象大論の,始めは病は皮毛に在るが,やがて肌膚に入り,筋脈に入り,六府に入り,ついには五蔵に入って,死ぬも生きるもあい半ばするに至るというのと同じことで,病が次第に深くに入り込むという常識を言っている。
ところが邪が何かの事情で経に入れないと,絡に溢れて,左は右に注ぎ,右は左に注ぎ,上下左右に交錯して,在処が定まらない。そこで繆刺する。繆はやっぱり,交える,入り混じるの意味だろう。また,謬に通じて,あやまる,くいちがう。経脈に正しく添わないで,変なところにわだかまる。
邪が経に客した場合でも,左の気が盛んであるのに右が病み,右の気が盛んであるのに左が病むという具合に,同じように移り変るものが有るのは,左の痛みがまだ癒えないのに右の脈が異常を示しはじめるのである。こういう時には,左右を互いにして取るのであるが,経をねらうべきであって,絡脈ではない。(そもそも脈を診て知るのは経の状態であって,絡は見て判断する。)
絡病では,その痛みが経脈と繆処するから,これを刺すのを繆刺と呼んで,経をねらう巨刺と区別する。

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