NIPT-現状と今後
公開シンポジウム「NIPT-現状と今後」 報告
(2015年12月17日 室月 淳)
2015年11月23日に慈恵医大で,NIPTの是非やNIPTの今後をテーマとした公開シンポジウムが開かれました.NIPTコンソーシアムの主催による集まりですが,意見をさまざまに異にする6人のシンポジストと2人の指定発言者による発表があり、いろいろと興味深い議論がなされました.ここで簡単にご紹介します.
「産婦人科臨床遺伝専門医の立場から」 佐村修(慈恵医大産婦人科)
佐村先生はNIPTを施行しているコンソーシアムを代表する立場として,コンソーシアムがまとめたNIPT検査の現状と今後の進むべき方向について発表されました.検査を受けたひとたちのアンケートの回答を分析し,きちんとした遺伝カウンセリングがなされ,クライアントの満足率も高いことが報告されました.検査を求める妊婦の希望に数的にも地域的にも対応できていない現状が明らかにされ,さらなる検査体制の拡充が求められていると報告されました.
「中立的な情報帝京のあり方について考える」 福嶋義光(信州大学遺伝医学・予防医学講座)
福嶋先生はNIPTの意義にたいしては一定の理解を示されながら,きちんとした検査体制をつくりあげてからなされないと深刻な問題をひきおこすことになること,そのために検査施行施設において適切な遺伝カウンセリングをなされるための担保が必要であると指摘されました.信州大学での出生前診断の現状,たとえば羊水検査を希望される妊婦にたいしてじゅうぶんなカウンセリングをおこなうと,実際に羊水検査を選択する妊婦は5割程度になることを紹介し,それからみるとNIPTコンソーシアムの統計によると,NIPT希望者の約9割もが受検まで進む事実について,じゅうぶんなカウンセリングといえるのかと疑義を呈しました.
「妊婦健診を行う立場から」 前田津紀夫(前田産婦人科医院)
前田先生は,自分自身は出生前診断には基本的には反対だがと前置きをしつつ,日常診療でさまざまな不安をかかえる妊婦と向きあい寄りそっている立場として,妊婦の希望にかかわらず検査の予約をとるのが難しい現状の改善を訴えました.
「新生児科医及び生命倫理を学ぶものとしての立場から」 仁志田博司(東京女子医大 名誉教授)
新生児科医の仁志田先生は,増大している妊婦の希望に応える形で,NIPTが日常診療でますます一般化,既成事実化しつつある現状に異を唱え,現段階で一度検査を中止し,国民的な議論によってコンセンサスを形成するためのモラトリアムをおくことを提案されました.またフランスの例をとりあげ,出生前診断の推進によってダウン症候群の児の出生が半数以下になったという事実に強い驚きと危惧を表明されました.
「認定遺伝カウンセラーの立場から」 佐田野英(広島大学遺伝子診療部 認定遺伝カウンセラー)
遺伝カウンセラーとしてかかわっているNIPTの診療において,どのような原則と方針でカウンセリングをおこなっているかを紹介いたしました.
「法・倫理の立場から」 位田隆一(同志社大学グローバル・スタディ−ズ研究科)
法的にみた場合,日本では行政などによる公的な方針も規制もないことを指摘されました.また今回のNIPTの臨床研究についても社会的な議論が不足している点を批判いたしました.
「指定発言」 窪田昭男(和歌山県立医大第二外科)
窪田先生は、21トリソミーの子もふつうの子とまったくおなじ治療をしてきた自身の臨床経験を紹介し、このような子を出生前にみつけ排除しようとするNIPTは認めることはできない。一切の出生前診断、一切の選択的中絶に反対するという意見を述べられました。
「指定発言」 成瀬勝彦(奈良県立医大産婦人科)
地方において出生前診断のニーズがどの程度あり,どのような役割が期待されているのか,そしてマンパワーがないところでどのようにNIPTに取り組んできたのかを紹介しました.理想は理想として、妊婦がかかえている不安にたいしてどのように向きあっていくのかについて述べました.
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ひとつのシンポジウムというおなじ場において,NIPTの問題の本質である出生前診断,選択的中絶について,両極端の見解をふくむさまざまな意見が表明されました.両者のあいだでじゅうぶんな意見交換がなされたとはいいがたいところもありましたが,それでもNIPTコンソーシアムが自らの立場をこえて,さまざまな意見をもつ識者に講演を依頼して実現したこのシンポジウムには,とてもおおきな価値があったと思います.
以下の文章はまったくの私見であり,さらにNIPTの是非や今後の方向性などということではなく,このように社会のなかでおおきく対立する主張がなされるとき,われわれはどのように考えていったらいいのかについての個人的な感想みたいなものです.
もちろんこういった場合,「正しさ」というのはあらかじめ外側に真理として存在しているわけではないのはすぐわかります.また両者の力関係とか多数決でことが決まるのでももちろんありません.さらに,そもそも「正しさ」などどこにも存在しないとするのもあきらかにまちがっていると思います.それならばどのように考えればいいのでしょうか? 両者が議論しあい,たがいに納得しあえるかたちでどうするのがよいかを決められたときだけ,両者にとっての「正しさ」が生まれてくるのだろうと思います.
ちょっとみると妥協の余地のない主張のあいだでも,相互の立場を尊重し相互の納得や了解の努力がなされることにより,「正しさ」の存在する可能性が生まれてきます.そのためには両者とも自らの主張,あるいは生き方というものに真剣にならなければならない.自らの人生にポジティブに向き合い真摯に生きていくときだけ,そういった「正しさ」を外にむかって表明する意味がでてきます.
われわれが普段主張する「正しさ」は,いわば「心の義」とでもいうべきものです.それは内的な正しさであり,それがなければ真摯に生きていくことができない,そして生きているという実感をもつことができません.しかし一方で,内的な正しさというものはしばしばもろく,現実の生活にさらされると容易に崩れさっていきがちです.
しかし「正しさ」というものは,自分のうちから外にでて,人間相互のあいだでその妥当性が試され,鍛えられることによってほんとうの正しさに近づきます.それを導く生の意欲においてのみほんとうの意味をもつのです.わたしのなかに築き上げてきた「正しさ」は,それ自体としてずっと持ち続けていたとしてもなんの意味もありません.具体的な人間関係のなかでその妥当性を試されているときだけ,人間の信念としての価値をもつことになります.
NIPTに関する社会的な議論もおなじだろうと思います.一見,妥協の余地のなさそうな立場のあいだの議論でも,互いがそれぞれの場所でいつも真剣に取り組み,そのなかで自らの信念の妥当性を試しているのならば,必ずどこかでコンセンサスを生みだせる可能性が必ずあると思います.
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カウンタ 4743 (2015年12月17日より)