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電子カルテが医療の思考様式を変える

電子カルテが医療の思考様式を変える

                                   (室月 淳 2015年9月10日)

1895年の論文における家系図.Lynch症候群のはじめての報告

 従来の紙カルテと電子カルテの違いというのは,単に手書きとキーボードからの入力という記録方法の差というにとどまりません.医療現場における人間の思考過程や思考のパターンすら変えてしまうかもしれない,もっと本質的なところにありそうです.

それをわかりやすいようにうまく説明するのはわたしにはむずかしいのですが,たとえば電子カルテ上で「家系図」をどのように書いたらいいかを考えていたときに感じたことがあります.実は電子カルテで家系図を作成するツールで,遺伝医療や出生前診断の専門家を満足させるものはまだ存在していません.これはいまだ発展途上の問題です.

われわれがカルテにおいて「家系図」をあつかうとき,それは大きくふたつに分類されます.

ひとつは,初診時や入院時に病歴の一部としてルーティンに作成される比較的な簡単なものです.だいたいは患者を中心とした一家族を図示したもので、二世代からせいぜい三世代のなかにとどまります。一般の電子カルテのなかに装備されている家系図作成機能は、もっぱらこのタイプの家系図が想定されています.

この程度の家系図ならば,本人,あるいは家族からの聞き取りデータとして,ふつうは全データが一回で収集できます.問診をしたその当日のデータの一部として電子カルテに格納してもいいでしょう。あるいは、診療日ごとのデータとは別枠のプロファイルとして患者ごとに格納すれば,再受診や再入院,改変などいろいろと使いやすいだろうと思います.入力インターフェースだけの問題を考えればいいわけです.

もうひとつのタイプはもっと本格的で,真の意味での家系図といえるものです。遺伝性疾患やウイルスの垂直感染(たとえば分娩時に母から子に感染して家系内に広がっていくタイプのB型肝炎,ATLなど)を疑った場合の詳細な家系図です.たてには三世代,四世代,あるいはそれ以上の世代に遡りますし,よこには十数家族,数家系といったように広がることになります.

周産期センターや小児病院のなかの産科や遺伝科では,こういった症例を取り扱うことは多く,本格的な家系図を作成する機会もしばしばです.ところがこのタイプの家系図は,データの特性とその生成過程を考えると,電子カルテのうえで取り扱ったり,格納したりするのは実はかなりむずかしい問題となります.

そこでの問題は,家系図の大きさや複雑さということではなく,これらのデータ収集が段階的であり,情報が徐々に集積されることにあります.これまでの紙カルテならば,白紙に最初におおざっぱな家系図を書いて,そこに毎回その都度わかったことをすこしずつ書きいれて、徐々に詳細なものをつくっていくということになるでしょう.

このように段階的にわかったことをその都度家系図に書き入れていく過程こそ,実は人間の思考のひとつのパターンを模しているのであり,医療における推理の過程でもあります.徐々に家系図は大きく複雑なものになり,その過程で疾患の遺伝形式はもちろん,症状と予後の全体像や浸透率といった臨床的特徴までがあきらかになってきます.作成過程でなんどか全体が清書し直され,そのたびにデータ収集の対象と範囲に修正が加えられるでしょう.これはたとえばKJ法における発想様式に似ているかもしれません.

こういったきわめてアナログな展開と発展は,人間の本質的な発想と思考形態と同一な形式をとっています.というよりも,文字の発生と紙や筆記用具の発明によって,人間の思考形態がそのような形に鍛えられてきたといったほうが適切だろうと思います.近代医療の誕生とともに患者の医療記録,すなわちカルテは存在したと考えられますから,医療における思考も本質的にはこういった形態に基づいているだろうことは容易に想像できます.

従来の紙カルテから電子カルテへの移行というのは,だから最初に述べたように医療現場における人間の思考過程そのものを変えてしまう可能性があります.たとえばそれは,上記の家系図作成過程をワープロで再現することのむずかしさを考えると,なんとなく理解されてくると思います.

そもそも電子カルテ上で家系図にいろいろと書きくわえていく作業をしたら,過去の記録の改ざんという扱いになってしまいます.ですから新たな情報がはいるたびに,過去につくった家系図をコピーしてそこに書き足すということになるでしょう.まあそれだけでしたら,ひとり分の情報が形成される各段階での履歴がそれぞれの日付で残るだけのことです.

しかしここでは,家系図上のそれぞれのひとを調査するための診察や検査が行われることがあります.本当ならば調査されたひと全員の記録も,家系図データも含めてそれぞれの電子カルテに残さなければなりません.さらにめんどうなことに,ひとりのデータが追加されると,のこりのひとたちのデータも修正が必要となってきます.このようなとても面倒なことになるのは,家系図というのは,たとえばクライエントとしての妊婦ひとりに属するものではなく,当然のことながら家系図に記載される多数の人間の情報を含むからです.

電子カルテで家系図を作成しながら調査検討していくことの面倒は,本来ならば紙のうえでのアナログな発想を,まったく同一の形で再現しようとしているからでしょう.同じことを電子カルテ上で追及していくならば,電子カルテによりみあった発想と思考のパターンがあるのかもしれません.それはどういうものかを想像するのはまだまだ明確になっていませんが,電子カルテに特徴的な機能を生かしたものになるだろうと思います.たとえば他とリンクをはって,必要な情報を呼びだして参照するのは電子カルテのもっとも得意とするところです.

たとえば作成された家系図において,そこに記載された人間から診療情報に直接リンクを貼ることができれば望ましいでしょう.実際の臨床の場では,詳細不明の遺伝性疾患を調べるときは,まず詳細な家系図をつくり遺伝形式を推定します.次に家系内のそれぞれのひとのカルテを全部出して,臨床所見や経過などを確認し,既知の遺伝性疾患であてはまるものがないかを調べます.もしあてはまる疾患がない場合は,未知の遺伝性疾患であることも想定して,全エクソン解析を行うこともあります.遺伝医療において家系図というのはきわめて重要な役割をもっていますし,電子カルテ上でリンクが貼られ,家系図上のそれぞれのひとのデータにすぐにアクセスできる機能があれば,診療の効率はまったく変わってきます.

電子カルテにおけるアクセス権の問題とか,個々のリンク切れといったことなど,しろうとのわたしにもここにはたくさんの問題がでてくることは容易に想像つきます.しかし,電子カルテ上での家系図作成というのは医療においてそういった重要性がある問題だろうと思います.わたしは旧世代のアナログ人間ですから,医療における発想や思考様式を変えてしまうかもしれない電子カルテの導入にはいまだ消極的なのですが,時代の趨勢としてそうならざるを得ないのならば,そういった重大な影響についてはきわめて自覚的でありたいと願っています.

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カウンタ 2735(2015年9月10日より)