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四ツ谷用水

四ツ谷用水−「寒き夏」書評

                                  (室月 淳 2014年9月14日)

広瀬川がつくる河岸段丘のいちばんうえの丘に大崎八幡宮があります.門前町をなしていた八幡通から,横道にはいって坂をのぼっていくと,ふるい石垣がくまれて階段状になったせまい平地に家々がたちならんでいます.

2014年7月の草刈りされた直後に撮影.四ツ谷用水には蓋がかぶせられ,現在では暗渠となっています.

写真では左のほうが高くなっているのがわかると思います.家と家のあいだをぬってずっとさきまでつづくこの空間が四ツ谷用水跡です.もともとは開渠の導水路ですが,いまはコンクリート製の蓋がされています.枯草や落葉が土と化して覆っていますが,そのすきまからコンクリートが一部がのぞいています.

2014年6月の草刈り前に撮影.夏場は雑草が茫茫と生い茂っていてこのような状況です.

17世紀はじめに伊達政宗の仙台開府とともにつくられ,ながらく仙台人の日常の用に役立てられてきました.飲用につかわれたかはあやしいですが,周囲の井戸に水を供給し,洗濯など日常用水や防火用などにつかわれ,さらに下流では灌漑用となったようです.

もともと仙台市街を流れている広瀬川は,20-30メートルの断崖にふちどられた急流です.仙台城の外濠としての防衛機能は高いのですが,市街地の水源としてはほとんど役にたちません.仙台市街は河岸段丘の乾地に発達したため,生活用水の確保は当初より重要課題でした.

広瀬川から取水するためにはかなり上流までゆく必要があります.大崎八幡宮から約6キロ西にいった旧郷六村のあたりに堰がつくられ,そこが四ツ谷用水の取水口となりました.そこから潜り穴や掛け樋をとおってずっと導かれ,大崎八幡宮のすぐ西の「湧き上がり」で地表に導かれたとのことです.

また大崎八幡宮のすぐうらには有名な湧き水「山上清水」があり,それを堰き止めた八幡池があります.四ツ谷用水の水がたりなくなると,八幡池の水が適宜足されました.城下町の命をささえる水は大崎八幡宮の神水である,というイメージ形成がなされていたようです.

宇津志勇三著「寒き夏ー仙台城下天明飢饉録」 本の森

「寒き夏ー仙台城下天明飢饉録」は四ツ谷用水をモチーフとした連作小説です.おもな登場人物が三人いて,天明の飢饉があった天明三年から四年にかけてのできごとについて,それぞれが主人公となったみっつの短編小説からできています.

ひとつめは仙台城下でおこった打ちこわしの話です.豪商の屋敷の打ちこわしの直前に,四ツ谷用水を守るために町役人が秘密裏に蓋をしたといいます.役人ですら町民の味方をして打ちこわしを黙認したのです.

ふたつめは,飢饉の悲惨な惨状と,藩が飢饉をのりきるために藩札の発行をおこなう話です.藩札による経済の混乱とその収拾までがくわしく描かれています.飢饉により多数の餓死者が四ツ谷用水に浮かぶ惨状となったため,用水にはしばらく蓋がされることになります.長いときをへてようやくその蓋をはずすことができた日に,主人公はようやく大飢饉をのりきったという安堵感を感じます.

みっつめは,四ツ谷用水の普請奉行の先祖をもつ主人公が,飢饉のとしに疫病で生死をさまよった経験から,病の回復後に自分のルーツをもとめるようになり,四ツ谷用水を丹念に歩いたのちに,先祖の地である三春藩の奥地まででむくというストーリーです.

三人の主人公は仙台城下をいろいろと歩きまわります.仙台に住むわれわれ地元の人間にとっては具体的な光景がいくらでも湧いてきて,それだけでも興味ぶかいのです.どれもおもしろかったのですが,経済小説の趣きもあるふたつめの小説が目新しい内容で,個人的にはよかったかな.大飢饉とそこからの復興は東日本大震災を彷彿させるところがありました.

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カウンタ 1859(2014年9月14日より)