海外留学はいくべきか?
海外留学はするべきか?
(2016年6月2日 室月 淳)
- わたしが留学したChallis' Lab.MDが4人,PhDが4人いた大きいラボでした
わたしが20歳のころに傾倒していた批評家に加藤周一がいましたが、彼はもともと東大卒の血液内科医で、若いころフランスに医学留学をしていました。戦後の早いころですから、経済的にも社会的にもいまとはだいぶ様相がちがったと思いますが、それでも加藤周一の書いた留学の体験記にだいぶ触発され、医者になったらかならず留学しようと学生のころからずっと思っていました。
わたしが実際に留学したのは1990年代のちょうど3年間です。カナダのある大学病院のなかの研究所で、毎週の産婦人科の臨床カンファレンスには出席していましたが、あとはずっと基礎研究に従事する毎日でした。いわゆる研究留学ですね。3年間の日々はいくつかの論文に結実し、幸いにして形として残すことができましたが、それでもあの3年間は自分の人生にとってどういう意味があったのか、いまでも考えこむことがあります。
人生の33〜36歳といえば、臨床医としてはもっとも充実した時期であり、その時期をどのように過ごしたかによって、その人間の医者としての価値が決まるといっても過言ではありません。動物の世話とラボでの実験、論文書きに費やしたこの3年間を、仮に一線病院で毎日を手術手術で過ごしていたなら、いまごろはメッサーとして名をなしていたかも、と思うこともあります。外科系の医者としては当然の思いです。
しかし選択はすでになされてしまった。そして自分はそれを後悔しているかというと、実はそうでもないのです。留学には意味があったか? イエス。留学はすべきか? イエスだと思います。ここで言いたいのは、いわゆる成功体験者が過去の留学の苦労をふりかえり、今日ある自分を喧伝するのとはまったくちがいます。目的としていた研究がうまくいかなかったとき、それはままあることなのですが、そんなときでも留学したこと自体には少なからぬ意味があります。
これまで暮らしたことのない異国の地で、ひとりで一からすべてを始めるということは、とても強烈な体験です。そのときひとは自分に正面から向きあわざるを得ません。自分にはなにができて、なにができないのか、それから目をそらすことはできません。自分がこうありたい自分ではなく、リアルな自分といつも正面から向きあわざるをえないのでした。望むも望まないもこれが自分であると。
そういった生きることのリアリティを鮮烈に実感するなかで、必死になって自分の力をためしながら生きていくという体験が、その後の人生にとって大きな意味をもつのはまちがいないでしょう。新しい環境で英語でコミュニケーションをとりながら、自分の立ち位置をつくりあげ、仕事で実績をあげて評価され、それで給料をもらい生きていく。こういったまさに生を実感できる経験は海外生活以外ではなかなかないだろうと思います。
留学中にすばらしい業績が生みだされるかどうかは単なる結果にすぎません。それも自分の能力や努力というよりも、多分に運によります。具体的には、留学先でいいボスに巡りあえるか、いいプロジェクトに恵まれるか、のふたつにかかっており、これは留学前にはなかなかわからないことです。留学先を決めるのは賭けの要素があります。
しかし留学の成功不成功にかかわらず、こういった海外での生活を経験して真の自分を知った人間は、自分を客観視でき、他人の承認を過度に必要としないので、不平不満をいったり、自分を誇示する、ひとを批判することがすくないと思います。自らの人生に多少の運不運があって、いまが順風満帆であろうとも、逆に不遇をかこつ境遇にあっても、あまり揺るがずにまっすぐに進むことができるのではないかと思うのです。海外留学に意味があるとすれば、そんなところなのかもしれません。
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カウンタ 1416(2016年6月2日より)