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ビュリダンのロバ

ビュリダンのロバ

                                 (室月 淳 2014年4月26日)

心理学によくつかわれるたとえに「ビュリダンのロバ」という寓話があります(わたしはロゲルギスト「物理の散歩道」第一集で紹介されていたのをむかし読みました).飢えと渇きに苦しんでいるロバが,二股の道の辻にたっています.道の一方には水桶が,もう一方には干草のはいっている桶がおかれているとき,ロバはどちらにも行くことができずついに餓死してしまうという話で,意志決定論を論ずるときなどによくつかわれます.

選択にはしばしは「痛み」をともないます.「選択」をおこなった場合,かなりの確率で「別の道がよかったのではないか」という後悔や不安の念にかられることになり,それがつよい痛みとして感じられるのです.ときにその「痛み」は餓死の苦痛よりもおおきいためロバはなにもできない,すなわち結果的に不作為を選択して死んでしまったわけです.

ひとはなんらかの選択をおこなうとき,大なり小なりかならずあとから「後悔」することが心理学的にしられています.シュワルツ『なぜ選ぶたびに後悔するのか』によると,「選択」をおこなえば,それによってかならずなんらかの失うもの(機会コスト)が発生し,それが後悔のもとになるとされます.選択をくりかえせばくりかえすほど.選択した結果の主観的な価値をひきさげ,心理的ストレスを蓄積していきます.もともとひとというのは後悔する生きものなのです.ひとはどんな道をえらんでも後悔するようにできています.それではどうしたらいいでしょうか?

「ただしい選択」などというものはないと知ることです.絶対的な「ただしい選択」などないのです.もしかするとずっとあとからみて「結果的によかったかもしれない選択」はあるかもしれません.しかし「選択」をしないひとには「よい選択」をえる可能性は100%ありません.そもそも選択しないひとに「よい選択」はありえないのですから,痛みにたえながら「選択する覚悟」をもてるかどうかがもっとも重要な出発点となるでしょう.

もうひとつは,ほかのだれでもない自分自身の意志によって選択することがたいせつです.どうせどちらを選択しても,あとからかならず後悔するのは覚悟しなければならないでしょう.もしそのときに,自分自身でえらんだことだからと納得できる思いがもてるならば,自分のちからで困難に立ち向かい,乗りこえていくことができるでしょう.

わたしは無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)の遺伝カウンセリングをするとき,妊婦さんとそのパートナーに「選択」することのたいせつさをこのように説明しています.逆にいえば,「選択の覚悟」をもてないかたがとてもおおいからです.餓死するロバの話をおおくのひとは笑いますが,実際にその場に立たされると,ひとは「痛み」に立ちすくんでしまって「選択」できなくなることがしばしばなのです.人工妊娠中絶の選択には妊娠22週未満というタイムリミットがあります.それではひとはそのときどうするか?

「選択」する「痛み」にたえかね,目の前の問題から逃げようとします.あるいは直面している問題をご破算する,リセットしようとするのです.いま自分が妊娠しているという現実から目をそむけ,なにもなかったことにする,すなわち人工妊娠中絶に逃げてしまうわけです.これは主体的な意志によって中絶を選択するのと一見似ているようで,実はまったくちがうことはあきらかです.「選択」ではなく「逃避」です.その現実逃避すら自ら選ぶことをきらい,自分の意志とは無関係にまわりから勧められてという形をとる場合もおおいのです.

妊娠中期の人工妊娠中絶ほど本人にとってつらい体験はありません.その有態はシモーナ・スパラコ『誰も知らないわたしたちのこと』(紀伊國屋書店)にくわしく描写されたとおりです.そのあとにくる心理的な負担,自責と苦悩もながくつづきます.それをのりこえられるのは自らが選択したという自覚と覚悟だけだろうと思います.

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カウンタ 7081 (2014年4月26日より)