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お見送りの退院

お見送りのあとの退院

                                  (室月淳 2017年9月4日)

流死産や新生児の看取りのあとは,当院では「祈りの部屋」で主治医,スタッフなどとお別れして,親子3人で退院していきます.祈りの部屋のすぐ横には出口が続いていて,そこからあまり人目にふれないよう車に乗って帰ることが多いのです.

最近,「裏口」から隠れるように退院するのはよくないのではないか,ふつうのこどもの退院とおなじように正面からお帰しするのがいいのではないか,という意見がでてきました.胎児,新生児が亡くなって退院するときは,ご両親が抱っこするか,赤ちゃんカゴにいれるか,専用の小さなお棺にいれるかしていっしょに帰っていきます.赤ちゃんに罪があるわけではない,ふつうの子どもとおなじように表から帰してあげたい,というのはわたしもそうかもしれないと思うことがあります.

しかし正面玄関では好奇の目にさらされることがあります.こどもが死ぬということはこども病院では日常的な光景ですが,一般社会ではきわめてまれなできごとです.だからふつうに病院に通院している子どもさんとその家族にとっては強い違和感があるかもしれません.この問題はご両親の主体性の問題だけでなく,亡くなった子どもをどのように悼んであげるかというわれわれの姿勢もありますし,一般のひとたちの意識の問題もあると思います.

当院の「祈りの部屋」は上の写真のとおりあかるい光につつまれたところで,その横の出口も「裏」というイメージはあまりありません.そういった配慮のもとにはつくられています.それでもひとがほとんどとおらないところですし,ひとによっては裏口から退院と感じられるかたもいらっしゃるかもしれません.ですから答えはひとつではないのが当然です.

みなさんはどうお感じになりますか? 友人知人からこのことについて忌憚のないご意見をいただきましたので,ここでいくつかご紹介させていただきます.

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星野貴子さん(天使ママ)のご意見

私は2003年に子供を助産院での出産で亡くしています。私が子どもを亡くしたあとに出会った天使ママたちとの話でも、この類はよく出てきました。みんなとの会話を思い出しています。

「病院にとって不都合があって隠される」と思う方もいるかもしれない。でも、辛くて泣き腫らしている顔や不幸な様を人に見せたくない、とか、遺族側がそう望むこともあるかもしれない。それとも、子供が死んでしまったことを隠さず、むしろ、生きている子どもと同じように愛しくおもってくれるのなら、「(亡くなってしまった)子どもも同じように扱えてもらえた」と嬉しくもなるかもしれないですよね。ただ、もしかしたら、亡くなった子を表に通すだけで、他の患者さんから「縁起が悪い」と批難を受けることもあるかもしれないですよね。正直、それが天使ママ的には一番辛いことになるかもしれないです。

私としては、「表を歩く権利」も与えてもらえたら、そのときに自分達に選ばせてもらえたならとおもいました。棺桶は表はダメだとおもいますので、やはりそこは好奇の目で見られないためにも、抱っこして帰れる方に限定するというか、条件をつけてあっても良いかとおもいます。 裏であっても、亡くなった子どもを少しでも前向きな気持ちで見送れるような感じで明るい感じが作り出してもらえたらそれでも気持ちは違うかもしれません。『裏』という表現を変える、というのもアリかな?と。

本当、十人十色の受け止め方があるわけですが、こうやって考えていただけるだけでもありがたいです。先に先生たちでのお話である程度の答えが出ていた気がして、今更な気もしますが、おもったままを書きました。

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(マンガ 「コウノドリ 長期入院編」をお読みなって)

拝読いたしました。ありがとうございました。すごくまとまりのない感想文になってしまいました。私自身の体験や、天使ママの話など、おもうことを書き連ねてしまいました。読みにくいことや前後したこともあるかと思いますが、お読みいただけたら幸いです。

今も、今日もどこかでこの苦しみを強いられた方がいるかとおもうと、漫画であっても辛くて悲しくなります。漫画とはいえ、西山さんがアカリちゃんのことを乗り越えていくこれからを想うと、漫画なのに息が詰まります。西山さん、ご商売されてることなどから、苦しさを笑顔で隠すことが強いられ、引きこもっていくのではないでしょうか。自分の子には食べさせられなかった誕生日ケーキを作ったり、売ったり。たくさん思い描いていた子どもとの日々が奪われたようで、苦しさを想像してしまいます。

西山さんが同室だったらしい女性にすぐにアカリちゃんのお話ができなかったこと、これに尽きるとおもいました。表を歩かせてもらえるのは嬉しいけど、世間は「幸せを王道としているのが表」なので、そこに自分達が戻れないことを突きつけられるような気持ちが私たちをすぐに支配します。子どもが死んだことをこれから出産を控えてる人に話していいのか? そもそも、「子どもが死んだ」という話を相手が誰であれ、していいことなのか? これに結構、悩みます。七村さんは西山さんのお子さんが亡くなったことを知って、同室の方に「それくらい我慢しなよ」と言ってくれていたけれども、たまたま、七村さんが私たち天使ママにとって歩み寄ってくれる方だっただけではないでしょうか。

リアルなことでいうと、他人は結構、冷たいです。私は娘が死んでから、子どもを亡くした親同士でインターネットを通じて、相当救われました。同じインターネットで帝王切開で出産したお母さん達が寄り添うサイトに出会い、そこのサイト管理人の方と出産で生じる問題についてメールで個人的に前向きな気持ちで話をすることがありました。

前向きというのは、そのサイト管理人さんが帝王切開のリスクを事前に知ってもらう、という趣旨をサイトで言っていたので、私自身は助産院での出産で亡くしているので該当するわけではないのですが、帝王切開の重要性を知ってもらえれば、私のように病院での出産を避けるような愚かな判断をする方が減るのではないか? ということで、管理人さんもそれを理解してくれていたようなので、出産のリスクをそのサイトを通じて伝えてもらう、という意味です。しかし、そのメールでの対話で早々に言われたのは「帝王切開のリスクは知ってもらいたいけれども、子どもが死んだ話はするべきではない」というようなことです。

皆、出産のリスクは知る必要があるとおもっても、子どもが死んだことまでは知りたくないのか、知るだけでも不幸に感染するという気持ちがあるのか、本当に大事なことには触れず、基本的には「うまくいった」という方達の集まりなんだとおもいました。なので、七村さんは西山さんのことから同室の方を叱責してくれましたが、もしかしたら、「そんなことは聞きたくなかった!」と不安におもって敬遠する設定・・・リアルに想像しています。

「表を歩く権利」は「表を歩かなくてはいけない」というわけではないので、今回のドラマの設定を伺うと、「同じような扱いを押し付けられる(強いられる)恐怖」も感じます。もしも私たちのこれからをも医療者の方が真に理解して寄り添おうとしてくれているのだとしたならば、私見ではありますが、室月先生のように疑問におもってくださる設定だと思います。漫画を読んで尚のこと。西山さんが同室だった「同志」に言えないというのが全てを語ってくれていると思います。病院の方針で表を歩くと言うのはこの流れからすると、子どものことを言えない私たちはこっそりとしてしまうことも責められるような気がします。西山さんが七村さんに言えなかったのを裏とするならば、こっそりしなくて良い表が「同室の人にも言うべき」になりますよね?しかし、そもそも、西山さんのお子さんがもしも生きていたら、個室に急に行く、というのもなかったのではないでしょうか?(ケースバイケースで子どもが生きていてもそういうことがあるのかもしれませんが)そこであえて線をひくのに、帰りだけ急にみんなと同じで、と言われるのは建前だけのような気がしました。

子どもが死んだことを言わない(言えない)のは子どもを隠すようでかわいそうなことをしているのか? とか、自分を責めることばかりです。だって、私たちは子どもが死んだ後に「自分のお腹が空く」という現象に驚き、食事をすることを子どもに申し訳ないような気がして責めていましたから。世間の輪に戻る時、笑っていていいのか? でも、ここで私が暗い顔をしていたらみんなも辛くなっちゃうよね? 西山さんを描かれたのはこういう心理も含まれていたのではないでしょうか。

「表を歩く権利」は嬉しいです。でも、それを選ばなかったらいけないわけではないし、選ばない権利もあるべきです。表から帰すのが病院側のおもいやりだとしても、それを選べない心理があるとおもいます。そのくらいの選択肢を私たちにくださっても良いのではないか? とおもいます。西山さんが切に願われて表玄関から帰られるのならば、私もそこを一緒に歩いて、アカリちゃんの花道となるようにお祝いしてあげたいです。でも、それを他の死産やお子さんを亡くされたご経験のない方が見たら、「子どもが生まれておめでとうって何?」っておもうのが普通ではないでしょうか。

漫画でアカリちゃんのお父さんがケーキにメッセージをくれていたのを見たら、最初から漫画で何かを伝えたいとおもって描かれているという大前提でプラスに理解してくれるかもしれないけれども、漫画ではなく、リアルに、それも玄関でもしも抱っこしている子が「死体」だと知ったら、どうなるのでしょうか。私はそこでもしも西山さん達に「縁起悪い!」と言う人がいたら盾となってあげたいけれども、自分の子供を「縁起悪い」と一度でも言われたら・・・かなり辛いです。

助産院での出産でお子さんを亡くされた方から連絡があり、私のブログで問題を伝えたいと言うことで、一緒に記事を作成していました。記事も完成し、「明日には公開します」と最終の連絡を入れたら、「やっぱりやめたい」と言われました。理由は、誰か一人からでも「お前が自分で選んでおいて勝手を言うな」というようなことを言われたら、やはりもうそこから自分は立ち直れなくなるから、ということでした。言いたいけど、誰かの言葉に怯えて言えなくなる・・・すごくよくわかるので、私はその記事の公開はもちろん、しませんでした。それでも、天国のお子さんは動こうとしたママを誇らしくおもってくれているとおもいます。

いろいろと連ねたあとに自分なりにまとめてみますと、「表を歩く」という設定は、いまはまだ「理想的な社会」を私たちに強いているような気がします。子どもが死んで、しばらくは辛くても引きこもっても良いって私はおもっています。そのくらい、辛いことです。西山さんが言えなかった気持ちをおもうと、西山さんが相手をおもいやった上でのことだとすれば尚のこと、表から帰ることを西山さんがどう受け入れて行くのか? それはちょっときついんじゃないか? とおもいました。

漫画とは言え、今日、どこかで西山さんがアカリちゃんのことを想って少しでも笑顔でいてくれたらと、そう真に願います。私たちの救いは、天国はこの世のように残酷なことは一切ない、ということだけです。アカリちゃんは幸せである、ということだけです。天使ママ同士の合言葉のようなものです。

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カウンタ 2460 (2017年9月4日より)