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「食べて・飲んで・買って被災地支援」への違和感

「食べて・飲んで・買って被災地支援」への違和感

                                  (2012年10月4日)

−「たすけあおうNippon−食べて・飲んで・使って東日本を応援」−地震・津波で特に大きな被害のあった宮城・福島・岩手・青森・茨城・千葉の商品を買って,地域経済の活性化をサポートします

これはあるインターネットショップでみかけた出品者からのメッセージです.被災地の商品を買って支援をするという論理は,もちろん反論の余地もないほど正しいものですが,個人的には何か納得のいかないような違和感を感じてきました.なぜなんだろう?

これまで「被災地復興支援」で「被災地にお金を落とす事が復興支援になる!」とあたかも合言葉のように謳われてきました.被災地の消費を促すことで復興に役立てるという目的なのでしょう.個人で被災地を訪れて見学したりボランティアを体験するついでに,地元のグルメを味わってそれが「復興支援」だと.あるいは被災地の人間との交流と地元にできるだけお金を落とす目的の復興支援の観光プロジェクトを推進すると.「食べて,飲んで,買って被災地支援」というわけです.

これらはもちろん純粋な善意からでたことにまちがいありません.ですからわたしも,善意からでたものに対して批判のことばを出すのを躊躇してきた一方で,そういった合言葉にずっと引っかかるものを感じてきました.それって本当に復興支援になるのでしょうか? 経済的にプラスなのでしょうか?

マクロ経済学からみれば「無駄な消費」は存在しないようです.すなわち,商品には使用価値にかかわらず交換価値があればそれでいいので,とにかく消費がまわることによってお金がまわれば,被災地にあらたな所得が生まれることになります.GDPは付加価値の合計なのでお金がまわるほど見かけはどんどん増えていくことになります.建物や道路が立派になればさらに消費がのびて,景気が回復していき,その結果被災地は立派に復興をはたしていきます..........

そんなことはあり得ないでしょう.これが現行の経済学の教えだとするならば,それはどこかがくるっているにちがいありません.「お金を使えば経済はまわるんだから,成長させるために無理やりお金を使え」という理屈がそもそもおかしいのです.

今回の大震災の被害総額は推定で20兆円とも30兆円ともいわれています.そういった莫大な経済的資産が,一瞬のうちにこの地上から消滅してしまったのです.それはいままでわれわれが働いて生みだしたものです.その復興にもし新たな金を投じるとすれば,それはだれかが負担することになるわけです.失われたものは決して戻ってはきません.壊れれば損をするし,使えば金はなくなるに決まっています.

国全体としてはまちがいなくおおきな損失を被っているわけです.そんな状況で,被災地にいってお金をだしてグルメを味わい,地元の人間がお金を受け取って,それで消費がまわって復興が進むなどという,そんな虫のいい甘い話が成立するのでしょうか? ふつうに考えれば無駄な消費は極力おさえなければならない状況なのではないでしょうか? そのお金を被災地への義捐金としていただくほうがよほど復興に役立つのではないでしょうか?

経済が右肩上がりの高度成長期のころ,あるいはバブル経済のころでしたら,無駄なものや無意味なものををどんどん消費して,お金を動かすことに意味があったのだろうと思います.しかしいまの日本は人口増加がなくなり,高齢化し,経済は明らかに均衡か縮小再生産の段階に入っています.通常の状態ならば無駄なお金は使わない,無駄な消費はしないほうがいいのは常識でしょう.

今回の震災の経験はわたしたちに対していくつかの深刻な問いを投げかけました.現代の消費社会における生き方,考え方もそのひとつだろうと思っています.東日本大震災の悲惨な経験がもし未来への希望につながるとすれば,それは「乗数効果」が生み出すさらなる経済発展などではなく,わたしたちの生へ根源的な問い直しを通じて新たな生き方をみつけていくことにあるのではないでしょうか.

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カウンタ 3279(2012年10月4日より)