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「遺伝子医学と地域医療」

日本医師会第7次生命倫理懇談会−「遺伝子医学と地域医療」についての報告

                                (室月 淳 2014年12月13日)

http://jshg.jp/e/resources/data/jma.pdf

「遺伝子医学と地域医療」についての報告 (平成14年3月20日)

日本医師会 第纂\弧仁冤懇談会

はじめに

いまから10年以上前の平成14年に,日本医師会のなかの委員会である第7次生命倫理懇談会より,「『遺伝子医学と地域医療』についての報告」という文書が発表されました.これはその2年前の平成12年に当時の坪井栄孝日本医師会会長によって,ゲノムの時代を迎えた今日における日本の今後についての諮問にたいする答申となされたものです.この「報告」は現在読み返してみても非常に画期的であり,いまもってきわめて示唆に富むものと考えられます.

その背景としては,当時はヒトゲノム計画によるヒト遺伝子の全ゲノムシークエンスの終了を間近にひかえるという状況にあって,今後の遺伝子医療の拡大発展が間近に予想され,研究者のみならず地域の実地医家もそれに対応していかなければならないという緊張感があったものと思われます.遺伝子医学と地域医療の接点として,「遺伝子診断」が当時すでに先天性疾患,家族性疾患の確定などに使われはじめており,国内の検査会社に依頼するにあたり,カウンセリングや家族の理解などの倫理的な問題が地域医療の場でも生じはじめていたという状況がありました.

「はじめに」において,「今後数年間で飛躍的に進むであろう遺伝(子)医療に対応するためには,一般臨床医もインフォームド・コンセントを得た上で,患者の自己決定権を尊重した遺伝学的検査を行えるように,あるレベルの遺伝カウンセリングができる遺伝医学の基礎知識を身につけることが望まれよう」と指摘しているように,地域医療における実地医家にたいして,最新の遺伝医学の知識の取得にあわせある程度の遺伝カウンセリングができることを求める内容は,現時点においてもきわめて正鵠を得た「報告」,あるいは「勧告」といえるものです.

A4版35ページにわたる「報告」は,一般臨床医のための基礎的な解説である「I 遺伝(子)医学と地域医療」,遺伝カウンセリングについて概説した「II 遺伝学的検査と生命倫理 ―遺伝カウンセリングの重要性」,再生医療についての「刑得鍵緡鼎砲ける生命倫理」,そして出生前診断と生命倫理についてくわしく解説した「言舷0緡鼎醗篥然愿検査」,遺伝的差別の問題を詳述した「V 雇用と保険における遺伝学的検査と遺伝情報」の5部構成となっています.

われわれ産科医にとっては,もちろん「IV 生殖医療と遺伝学的検査」の章が注目されます.12年前にこの「報告」を真正面から受けとめ,きちんと対応してさえすれば,母体血による胎児染色体検査(NIPT)の国内導入にあたってあれほどの騒ぎにはならなかったと断言できます.多くの産科医にとって「青天の霹靂」であった新しい出生前診断が登場するような事態も,本報告書では想定ずみであり,それにたいする対応を当時すでに求められていたともいえます.

本稿では本報告書から一部を抜粋しながら,われわれ実地の産科医がなにを求められているかを明らかにしていきたいと思います.

一般臨床医にもとめられること

「遺伝学的検査」がなぜ通常の検査とおおきく違うのか,その施行にあたっては倫理学的配慮に加えて「遺伝カウンセリング」がどうして必要となるのか,そういった基本的なことを最初に理解する必要があります.報告書の「はじめに」には以下のような文章があります.

「WHO,その他のガイドラインは,遺伝学的検査を一般の臨床検査と区別し,その実施前に遺伝カウンセリングを行うことを指示しており,検査結果いかんでは患者本人や家族(血縁者)への遺伝カウンセリングが必須になるといわれている.そのため,仮に遺伝専門医のいる病院に患者を紹介するにしても,一般臨床医にも遺伝カウンセリングの基礎知識が要求されるようになるであろう(1ページ)」

たとえばNIPTが国内に紹介されたとき,「まったく新しい検査が開発された」,「多数のニーズが予想される」,「高額かつ私費の検査である」といった視点から,多くのクリニックが導入を希望しました.なぜ日本医学会が認定するのか,なぜ厳しい条件をつけるのか,といった点が最初はなかなか理解されなかったようです.このように「遺伝学的検査」の施行にあたっては,専門医による遺伝カウンセリングが非常に重要になることが常識となっています.

一般臨床医には以下のようなことが求められています.

「今後数年間で飛躍的に進むであろう遺伝(子)医療に対応するためには,一般臨床医もインフォームド・コンセントを得た上で,患者の自己決定権を尊重した遺伝学的検査を行えるように,あるレベルの遺伝カウンセリングができる遺伝医学の基礎知識を身につけることが望まれよう.また,社会的にも不当な遺伝的差別を取り除くために努力しなければならない(3ページ)」

「遺伝医療においても,今後,研究者,医学者の努力によって,遺伝学的検査・診断,治療,医薬品など,その一部が普遍化,一般化する日は近いと判断される.一般臨床医は,この分野においても遺伝専門医との協力のもと,適切な役割を果たすことができるような準備をしておくべきであろう(4ページ)」

基本的に遺伝学的検査は臨床遺伝専門医のもとでおこなうのが望ましいのですが,実地医家も遺伝カウンセリングのある程度のスキル,さらには遺伝カウンセリングマインドといったものが求められるということです.この報告のなかにはでてきませんが,最近のタームでいうと「遺伝リテラシー」が重要となるといいかえることができると思います.

同時に日本医師会および都道府県医師会にも責任ある対応をとることが求められています.われわれ産科医にとっては,日本産科婦人科学会ないしは日本産婦人科医会と読みかえてもいいかと思います.

「一般臨床医のほとんどが参加している日本医師会は,遺伝医学の現状と今後の動向に関する,一般臨床医の研修を進めるための方策を立てなければならない.また,遺伝医学・医療の進歩とともに,一般臨床医,地域医療支援病院,遺伝医療専門機関との連携を円滑にするシステムを,都道府県医師会と協力して構築する必要がある(4ページ)」

出生前遺伝子診断について

実はこの報告書のなかでは「生殖医療と遺伝学的検査」,とくに出生前遺伝子診断にたいして大部のページが割かれています.遺伝カウンセリングの必要性や再生医療への対応,遺伝的差別の排除といった一般論以外に,遺伝子学の進歩によって問題が生じる具体的な状況として「出生前診断」の問題をおおきく取り上げているわけです.すなわちこれはわれわれ産科医にたいする直接的なメッセージであったと考えられます.

まず「生殖医療と遺伝学的検査」について,具体的には出生前診断をおこなうためのもっとも重要な前提として以下のことを指摘します.

「生殖医療実施に際しての基本条件は,優生思想の排除,出生児の基本的人権の確保,および商業主義の排除に集約される.そして,それぞれが重要な課題を含んでいるだけに,この生殖医療は遺伝医療のなかで最も大きな倫理的・社会的問題を内包しているといえる(14ページ)」

この「優生思想の排除」,「出生児の基本的人権の確保」,「商業主義の排除」の三条件は,生命倫理学の国際的潮流からみてもまさに正当なものです.NIPT施行にあたっての日本医学会の姿勢もこの三条件が重視されています.逆にいえばこの三条件をはずれるような対応,すなわちマススクリーニングへの志向や,すでに生存しているダウン症候群のひとたちへの圧迫,あるいは検査による利益の追求といった一切の動きにたいしては,社会的にきびしい批判がなされるのは当然のことなのです.

出生前遺伝子診断のもつ倫理的・社会的問題については以下のように指摘されています.

「それぞれの症例がもつ背景を考慮した医療側の思慮深い洞察と,検査を受ける妊婦の自由意思による決定を支持する対応とをめざす以外に解決策はない.当然,実施機関には遺伝学的検査にあたっては十分なカウンセリングを行うこと,またはカウンセリング機関に紹介するシステムをもつこと,そして実施者には適切な遺伝学の知識と出生前診断にかかわる高度な技術を保有することが要求される(17ページ)」

「経済的理由を根拠として正常胎児に対する人工妊娠中絶が数多く実施されているわが国の倫理的現実,Fetus as a Patientの観点に反して胎児異常が保険診療の対象とならないわが国の医療上の現実,重篤な遺伝性疾患の患者に対するいまだ十分に行き届かないわが国の福祉上の現実などに直面せざるをえないわれわれ医療人が,地域医療において出生前診断・検査をめぐる諸問題の改善・解決に努力(すべきである)(18ページ)」

「地域医療において遺伝学的検査のためのネットワークを構築し,研究的医療機関(センター)と連携をもつこと,また,人の命の尊厳を地域社会で啓発することを通じて,出生前遺伝学的検査の正しいあり方についてクライアントを含む国民全体とともに模索すること,これらが医療人に果たせられた国民に対する責務である(18ページ)」

まさにただしい内容であり,すでに12年前にこのような指摘がなされていたことに驚きすら覚えます.逆にいえば,この12年間にわれわれ産科医はなにをしてきたか,出生前遺伝学的検査の導入のためになにを準備してきたかと問われれば,答えに窮することになるでしょう.怠慢と責められてもいいわけはできません.

われわれ産科医に求められていること

上記報告書では日本医師会に対して,「遺伝医学の現状と今後の動向に関する,一般臨床医の研修を進めるための方策を立てなければならない」,そして「遺伝医学・医療の進歩とともに,一般臨床医,地域医療支援病院,遺伝医療専門機関との連携を円滑にするシステムを,都道府県医師会と協力して構築する必要がある」と勧告しています.NIPT問題でゆれる産婦人科においては,まさに「日本産科婦人科学会」,「日本産婦人科医会」がおこなうべきことでした.

12年前にすでにこの「報告」がなされていたにもかかわらず,学会や医会はおそらくこれを軽視し,対応を怠ってきた,すくなくとも医学界やひろく社会一般からそのように見られてきたものと推測されます.だからこそ日本医学会が前面にたってNIPTについて規制,コントロールをおこなう結果になったのでしょう.

われわれ産科医自身の自覚と対応が求められています.逆にいえば,われわれ産科医が遺伝医学の素養と遺伝リテラシーを身につけ,高度なプロフェッションを発揮することができるようになれば,今後ますます展開していくだろうさらに新しい出生前診断の開発や導入にあたっては,きちんとした自律性を発揮し出生前医療のイニシアチブをとることが可能となるでしょう.

もう一度ここで,「優生思想の排除」,「出生児の基本的人権の確保」,「商業主義の排除」という基本的三条件を確認したいと思います.すべての議論と対応の基本はここから始まります.それを抜きにしては社会的な承認も国民の尊敬も得られることはありえません.われわれ産科医はいまこそこの基本に立ちかえって,間近にせまっているNIPTの「次」の出生前診断の準備をすべきと考えます.

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