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ご本人の体験談

神奈川県 20歳代/女性在宅での点滴、思い切ってやってみた

神奈川県 20歳代/女性

私は抗がん剤治療のため入院している途中で食事が十分に摂れなくなり、点滴で栄養を補給することになりました。その影響で予定していた期間より長く入院することになり、長期の入院を経験したことのなかった私は、入院生活に苦痛を感じ始めていました。
そんなとき、担当の医師から「栄養の点滴さえしていればしばらくは自宅で過ごせる状態です」と伝えられました。訪問診療チームのサポートはあるものの、私か家族がある程度点滴の管理をする必要があるとのことでした。普段から間近で処置を目にしていた私は家族よりも適任だと思い、自分でやることに決めました。
その後、退院までに模擬キットを使い針の抜き刺しの練習をしたり、実際に針の抜き刺しをしてみたりと点滴の管理の仕方を学びました。もちろん最初は自分自身に針を刺すことに恐怖や不安がありました。ですがやってみると難しいということはなく、技術力よりも思い切ってやってみる勇気のほうが大切でした。

山口県 60歳代/男性告知からの心の変化 そして検査と治療へ(1)

山口県 60歳代/男性

私は数年前に前立腺がんの告知を受けました。告知を受けるまでの私はがんになったら仕事からも社会生活からも遮断され、余命のない患者は緩和ケア病棟へ行き終末を迎える、との認識をもっていました。
医師から「前立腺がんの疑いが濃厚で、すぐに治療に入るべきです」といきなりのがん告知を受けました。突然の告知に私は大変なショックを受けました。「自分はがんにはかからないと思っていた。何かの間違いじゃないの?」と。
「すぐ治療に入りましょう」との言葉で少し冷静になりましたが、それでも涙は止まらず嗚咽。涙を拭いながら妻に車いすを押され病室に入りました。そこには、にこやかな新人看護スタッフがいて「大丈夫ですか? 患者さんががんばる気持ちになってもらえないと私たちもがんばれないですよ! 一緒にがんばりましょう、何でも言ってくださいネ」と明るい声で言われ、やっと我に返りました。((2) へ続く)

山口県 60歳代/男性告知からの心の変化 そして検査と治療へ(2)

山口県 60歳代/男性

((1) より続き)
前立腺がんと診断されて検査から治療へ。点滴や尿道への管( これがまたまた痛い!!)、オムツ、転倒落下センサー、食事はお粥、ベッドサイドには簡易トイレ。起きることさえ無理な状態になっていました。
初めての入院。一人になるとさまざまなことが頭を巡り、死への不安と恐怖、転移による骨折で痛くて起き上がることもできず、手足も自由に動かず、情けなくて涙は止まりませんでした。
明け方になり、空が白んで明るくなった病棟の窓から、うっすらと見え出した右田ケ岳を眺めながら、なぜか心のなかでは力が湧いてきて、「こんなことで、がんなんかでこのまま泣きながら死ねない」と思いだしました。リングに向かう老いたボクサーのような気持ちが沸々と湧いてきました。
それからは、まるでサーキットトレーニングのように多くの検査を受け、なかでも骨髄採取や前立腺生検は痛く、歯を喰いしばり耐えました。数々の検査を経て、冷静で穏やかな笑顔の医師から「前立腺がんでステージは4です。直ちに薬物療法(ホルモン療法) に入りましょう」との提案でした。入院は2週間、職場復帰し通院という長い戦いの始まり。私は負けません。「BEAT CANCER(がんを克服するぞ) !」

山

愛知県 40歳代/女性自宅と緩和ケア病棟が私の「居場所」

愛知県 40歳代/女性

私は、AYA 世代でがんになり、その後進行がんの患者となりました。進行がんの患者になる前から緩和医療科や精神腫瘍科にも通院しており、主治医の先生だけでなく、体の痛みやつらさ、心のつらさを診てくださる先生方やその他多くの医療者の方に支えていただきながら治療を続けています。
がんそのものの治療は主治医の先生に診ていただいていますが、治療の副作用で倦怠感が強く出たり、食事が摂れなくなったりしたとき、心がしんどくなってしまったとき、心身ともに疲れてしまったときなどは、一時的に緩和ケア病棟に入院させていただくことができ、心と体がまた元気を取り戻したら自宅に退院し日常に戻っていくということを繰り返しながら暮らしており、自宅と緩和ケア病棟が私の今の「居場所」になっています。
緩和ケア病棟に入るのは最期のときだけではないし、自宅に退院してしまったらもう入院できないわけではなく、病院と在宅を行き来しながら治療を続けることができます。

AYA 世代: 特にがん医療において用いられる語で、思春期・若年成人( おおむね15 歳~ 30 歳代) の世代を指す。AYA はadolescent and young adult の略。

愛知県 40歳代/女性仕事と治療の両立の苦難を乗り越えて

愛知県 40歳代/女性

私はAYA世代でがんになり、その後再発や転移を経験し、進行がん患者として今も治療を続けながら暮らしています。初めてがんになり、再発、転移がわかった数年後までは休職などすることなく仕事と治療を両立していました。
しかし、進行がんになって数年後に、治療が少しきつくなるので、それまで仕事と治療の両立をがんばってきた自分へのご褒美の意味も込めて、退職しました。その後も治療が変わり、また働けそうと思い、再就職しましたが再度変更になった治療がきつく寝込むことも多くなり、結局再就職した仕事を退職し、もうこれ以上働くのは難しい、仕事と治療を両立させるのは難しいと思ってきました。しかし、新型コロナウイルスの感染対策を受けて働き方も多様になり、また今は体調も落ち着いていることから、在宅でできる短時間の仕事を見つけて、再び仕事と治療を両立できるようになりました。

AYA世代: 特にがん医療において用いられる語で、思春期・若年成人(おおむね15歳~30歳代)の世代を指す。AYAはadolescent and young adultの略。

福岡県 50歳代/女性大丈夫! ゆっくり休もうよ!

福岡県 50歳代/女性

近年、がん治療は大きく変わりました。だから、がん治療しながら働けます、抗がん剤治療しながら働けます、というメッセージをたくさん見てきました。実際そうだと思います。だけど、あえて私は伝えたい!「休んでもいいよ!」って。手術のダメージや術後の後遺症、抗がん剤の副作用も人によって違います。私は、胆管がんになり、膵頭十二指腸切除術を受け、在宅で抗がん剤治療を約1年行いました。さすがに職場復帰は自信がなく、退職。今まで、家事・育児・仕事といっぱい、いっぱいがんばってきたし、もし再発してしまったら、同世代のママよりも早く死ぬ。だから仕事は辞めて、のんびりしよう、自分の体を労り、向き合おうと決めました。
規則正しい生活をして、散歩したり、家族でハイキングに行ったり、不調のときは1日中寝てだらだらしたり。すると、少しずつ体力・気力が戻ってきました。
数年を経て異業種へ転職。新しい仕事にご縁をいただき、今、がんになる前よりも働いています。がん治療は長い、人生も長い。焦らず、ゆっくり、時間をかけて元気になりましょう。しっかり休むことはなんの遅れにもならない。休んでまた元気になればいい。そう思っています。

山口県 60歳代/男性通院治療を継続しながら仕事や社会とつながる

山口県 60歳代/男性

がんになっても仕事を続けたい、と多くの患者が思っていますが、治療、費用、会社の受け入れ態勢……と多くの不安材料があります。治療の進歩により、ほかの病気と同様に通院しながら仕事を続けることが可能になってきています。治療と仕事の両立は企業にとっても重大な問題です。治療に専念するため退職をされたら貴重な人材を失うことにつながりますので、企業側の受け入れ態勢や勤務形態、福利厚生や同僚社員の協力や意識変革も必要です。
私の場合も、告知を受けたときに動揺しパニックに陥りました。入院治療への不安、通常どおり勤務ができなくなるだろう、お金はいくらいるの?
「職場に迷惑をかけることはできない」と、告知の翌日に退職を申し出ました。大変ありがたいことに、上司より強く慰留されました。医師や医療スタッフ、がん相談支援センターなど多くの方々からも、退職を早まるなとの話を聞き、退院後に職場復帰は可能ではないかとの考えが湧いてきましたので、無理は承知で職場に連絡し、申し出の撤回を申し入れたところ、快く応諾していただくことができました。
今も仕事を続けられることに感謝し、またまた涙しました。趣味の蕎麦打ち・陶芸・弓道・乗馬などに加え、公的な委員、ボランティアに関わることで、これまでの恩返しとともに社会とつながり、生きている限り私からの何かしらのプラスエネルギーを与え続けたいと考えています。もちろん仕事は最期まで続けます。

趣味いろいろ

愛知県 40歳代/女性頼りになる「私のチーム」

愛知県 40歳代/女性

私はAYA世代でがんになり、その後再発や転移を経験し、今も治療を続けながら自宅で生活しています。再発したときに私が最初にしたことは、「相談できる人を増やすこと」でした。また再発したり進行がんになったときに困らないようにしておきたいと思いました。そこで、主治医の先生と相談し、緩和医療科の先生とサイコオンコロジー(精神腫瘍科)の先生にかかり始めました。どちらの先生も予約が取りづらいので、いざ本当に困ったときにすぐにかかれなかったり、先生方と人間関係ができていなかったりして、しんどいときに一から関係を築くのは大変だと思ったからです。
その後は緩和ケアの認定看護師さん、化学療法の認定看護師さん、専門薬剤師さん、心理士さん、ソーシャルワーカーさんなどたくさんの方とつながることができ、いわゆる医療者の方が中心となってつくるチーム医療のチームと違い、自分自身が中心となり困ったときに助けてもらえる「私のチーム」をつくることができました。そのチームがあるのでとても心強いです。

AYA世代: 特にがん医療において用いられる語で、思春期・若年成人(おおむね15歳~30歳代)の世代を指す。AYAはadolescent and young adultの略。

愛知県 40歳代/女性在宅医を元気なうちから探す

愛知県 40歳代/女性

私は現在、進行がん患者として今も治療を続けながら暮らしています。病状の進行や治療の副作用で在宅療養と緩和ケア病棟の入院を繰り返しています。私は最期の最後は慣れ親しんだスタッフのいる緩和ケア病棟で……と考えているものの、ギリギリまでは住み慣れた自宅で過ごしたいと考えています。そして、人生の最終段階を伴走していただく医療者の方々をできる限り自分で選びたいと思っています。そのため、家族や病院任せにせず、自分で自宅まで訪問してもらえる範囲内の在宅療養支援診療所を探し、「今すぐではないが」とお断りしたうえで数件の在宅療養支援診療所の先生や看護師さんと面談を済ませています。
実際に面談してみることで、「この先生にかかりたい」「ここは私の希望とはちょっと合わない」ということを判断することができました。何事もいざというときの準備が大切だと思っていますし、できるだけ自分で決めておきたいと思っています。

愛知県 40歳代/女性伝える勇気、口に出す勇気

愛知県 40歳代/女性

再発・転移を経験し、現在も進行がん患者として治療を続けています。初めてがんになったときは、周りに相談できる人がおらず、また家族には心配をかけたくない思いと、「言ってもわからないだろう」という思いから誰にも相談できませんでした。その後、さまざまな経験を経て、今は相談できる人が周りにたくさんいます。家族、病気をとおして出会った仲間、主治医の先生、緩和ケアや精神腫瘍科の先生、看護師さん、薬剤師さん、ソーシャルワーカーさん、心理士さんなどです。でもそれは、いつの間にか相談できる人が周りに集まってきたわけではありません。それぞれのタイミングでそれぞれの立場の人に、自分が話を聞いてほしい、助けてほしい、困っているということを伝えるようになったからです。
がんになる前の私は、そしてがんになったばかりの頃の私は、自分のことを他人に話したり、相談したりすることが苦手でほとんどできませんでした。しかし、がんになり、気づいてほしい、察してほしいという考えでは救われないことに気づき、最初はとても勇気がいりましたが、困っていることを口に出す、助けてほしい、やってほしいことを、また反対に、やってほしくないこと、言ってほしくないことを伝えるようにしたら、助けてくれる人が周りにたくさんいることに気づくことができました。

千葉県 30歳代/女性もっとあるがままでいいんじゃない?

千葉県 30歳代/女性

がんが発覚した頃はとにかくショックでした。「まだ中学生の娘がいるのに」「来年にはこの世にいないの?」と、食事ものどを通らない日々。家族や友人に伝えたときの反応に「どうせわかってくれない。いいよね、がん患者じゃないからなんとでも言えて」と内心いら立ってしまったこともありました。
治療が始まった頃は死について自分なりの考え方ができるようになりました。「人はいつか死ぬ。絶対に。生きる時間が違うだけのこと。なら生きている間はとことん楽しもう!」と自然と思えるようになりました。のちに、がんの宣告をされてからの心理的な変化は、みな同じような変化であることを知りました。とことんショックを受けても、それでよかったんだ、無理に明るくふるまおうとしなくても、ただ心の変化を自然に受け入れればよかったんだと知り、ホッとしました。がんと言っても年齢、性別、家族構成、がん種、治療法により千差万別です。みんなもっとわがままに、ネガティブに、ポジティブに、心のあるがままになっていいんだと思います。ちなみに私は、私の存在が誰かの希望になれればいいなと前向きになれています。

掲載日:2024年06月20日
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