靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

仁和寺本なんて読めない

仁和寺本『太素』の翻字に関して,「オリジナルをどう逆さにしてみても読めない」文字をどうやって判断したのか。詰問されても困るけれど,無い知恵絞って,こじつけて,あとは知らんぷりをしています。
例えば巻二・摂生之二・順養の冒頭付近,「余聞先師有所心藏」の「所」の字は,かなり蝕剥してます。『黄帝内経太素九巻経纂録』も☐にしています。つまり江戸末期の再発見当時でさえ,抄者は判読できてません。でも,この文字は『霊枢』師伝篇では「所」です。喜多村直寛は,実物とか写真とかを見ることができませんから,「霊,☐作所」と注記するにとどめていますが,私は「所」字を入力して,説明も省いています。画像の右はここの蝕剥の文字です。左はこの先の「所」の俗字です。この程度に見える文字にたじろいでいたんでは,仁和寺本『太素』は読めません。
ここの楊注の「遂不著於方也」の「方」なんて,残っているのは上部の「亠」に相当する部分だけです。「也」なんて,左下方の縦線だけです。でも「遂不著於方也」として平然としています。文句があったら,代案を示しなさい,と開き直ってます。

古代の字義を探る

『霊枢』には,経脈は求心性に流れるとする篇と,循環を説く篇がある。もともと各家学説的な書物であるから,別に矛盾に悩むことはない。
では,『難経』はどうか。これはもう誰かが己の考えに従ってまとめたものだろうから,一つの話のすじみちに忠実なはずである。
だから,六十八難の出、流、注、行、入と井、滎、兪、経、合,そして井主心下滿、榮主身熱、兪主體重節痛、經主喘咳寒熱、合主逆氣而泄のつじつまを合わせようとするのはいい。
しかし,井、滎、兪、経、合の古代における字義をさぐって,求心性と循環の矛盾を避けうる解釈を探すというのは変だ。もともと『霊枢』本輸篇にすでに登場する井、滎、腧、経、合の字義を,『難経』の記述の都合によって規定するわけにはいかない。

井、滎、腧、経、合の古義ということになれば,むしろ『霊枢』九針十二原篇の五蔵の原穴は本輸篇の腧に相当し,『霊枢』諸篇に六府には合を取れという指示が散見することのほうが気になる。つまり,いずれもツボの意味であるともいえそうだし,蔵を対象とするツボと府を対象とするツボには,微妙に異なった性格を感じ取っていたともいえそうである。だから異なった文字で表現した。井と滎と経にも同じような事情があったのかも知れないし,経にはさらにニュートラルという意識もあったかもしれない

足りないのは何行か

仁和寺本『太素』巻14真蔵脈形で,前の行の経文が「大骨枯槀,大肉陷下,胸中氣滿,肉痛中不便,肩項身熱,破䐃脱肉,目匡陷,真」(灰色の文字はさらに前の行)で,続く行が楊上善注「真藏脉見,少陽脉絶,兩目精壞,目不見人,原氣皆盡,故即立死。真脉雖見,目猶見人,得至土時而死也。」というのはおかしいだろう。そこが紙の継ぎ目であるから,修理の際に貼り間違えて何行かを覆ってしまった可能性が有る。恐らくは前の用紙を後ろの用紙の上に貼っている。
それでは覆われてしまった行は何行であるか。各紙がこの巻では何行づつになっているかを調べることによって,推測はできると考えた。
現に仁和寺に蔵されている巻子の冒頭には,「首二紙缺」とある。影印本では,大正の摸写で補われているが,分量は22行であり,巻頭がまだ缺けている。おそらくは2紙のうち1紙は失われたということだろう。第3紙から以降の行数は,保存状態と影印の精度のせいで正確さを缺くかも知れないが,おおむね各紙22行である。例外は第12紙の10行。
問題の楊上善注「真藏脉見少陽脉絶兩目精壞目不見人原氣皆盡/故即立死真脉雖見目猶見人得至土時而死也」(/は行替え)は第12紙の最初の行である。したがって,第12紙の何行かが覆われた可能性があるが,現状で10行しか無いとなると,まさか12行もが覆われたというわけにはいかない。各紙の行数から推測して脱した文字数を割り出そうとしたのは空ふりであった。
では,どうしてこのような事態となったのか。実はここのあたりは同じ文句が何度となくでてくるところである。うっかり重複して写して,後に気がついて切り取ったつもりが,今度はうっかり何行か余分に切り取ったということではないか。
『素問』によって補うとすれば「......藏見,目不見人,立死,其見人者,至其所不勝之時則死。」の21字であろうが,前の行が15字なのに比して,21字は1行には多すぎるし,2行にしては少なすぎる。また,途中に注の入る可能性も低いだろう。
結局,何もわからない。

『太素』1紙の行数

杏雨書屋蔵の『太素』巻21と27が影印発行されて,細かなところまで見えるようになったので,一紙の行数を調べてみた。

巻21の第1紙は若干微妙で,12行目の罫線の段差が有るようにも見える。そして21行目の後は,貼り合わせが巧みすぎてはっきりとは継ぎ目が分からない。ただし,それ以降は全ての紙が各々22行になっているのだから,第1紙は21行目までということで良かろう。ただし,第1行目は空白である。紙数は14である。
影印の翻字では各行に番号を振って,第一行は空白ではあるけれども1行目とした。しかし,巻21の各紙が22行であることがわかった現在,空白を2行として「黄帝内経太素巻第廿一 九鍼之一」を第3行とすればよかったかも,と少しだけ後悔している。

巻27も各紙22行である。ただし,第1紙は「黄帝内経太素巻第廿七」を第1行として20行目までである。本来その前に2行分の空白が有ったのだろう。紙数は19で,最終紙は403まで8行分しか番号はふれなかった。

正言

『霊枢』九針十二原
 取五脉者死,取三脉者恇;奪隂者死,奪陽者狂。
『霊枢』小針解
 取五脉者死,言病在中,氣不足,但用針盡大寫其諸隂之脉也。
 取三陽之脉者恇,言盡寫三陽之氣,令病人恇然不復也。
 奪隂者死,言取尺之五里,五往者也。
 奪陽者狂,正言也。

この「正言」の意味が久しくわからないで,何か文字の誤りでも有るのではないかと思っていたけれど,今わかった。
正は「そのまんま」である。三脈とは即ち太陽、少陽、陽明の三陽脈である。陽を奪うとは,そのまんま三陽脈を取って脈気を奪うことだから,そのまんま真っ直ぐに言うとだけ注記する。
では陰を奪うとは何か。五脈は手太陰、手少陰、足太陰、足厥陰、足少陰の五陰脈ではあるけれど,乃ち五蔵の脈である。つまり陰を奪うとは,五陰脈を取って脈気を奪うというよりは,むしろ五蔵の気を奪うことを意味する。だから死ぬ。だったら,「取五藏者死」と言えばよさそうなものなのに,「取五脉者死」と言った。素直な言い方つまり「正言」ではない。だから尺の五里(=裏つまり蔵)に関わる脈を五往する(何度も取る)ようでは,命にかかわると,回りくどくあるいは丁寧に説明して言う。

明堂孔穴鍼灸治要

張燦玾・徐國仟主編『鍼灸甲乙經校注』の皇甫謐序は,随分と大胆に校正されているんですね。
按《七略》、蓺文志:《黄帝内經》十八卷,今有《鍼經》九卷,《素問》九卷,二九十八卷,即《内經》也。亦有所忘失。其論遐遠,然稱述多而切事少,有不編次。比按《倉公傳》,其學皆出于。《素問》論病精微;《九卷》原本經脉,其義深奥,不易覺也。又有《明堂孔穴鍼灸治要》,皆黄帝岐伯事也。三部同歸,文多重複,錯互非一。

さらに,改めてはいないけれど,「不易覺也」は「不易覽也」のほうが良いと言っています。

でも私などは,まだ不満なんです。実は「又有《明堂孔穴》鍼灸治要。」ではないか。そうすれば『素問』に「論病精微」,『九卷』に「原本經脉」,『明堂』に「鍼灸治要」で,釣り合いも良いのではなかろうか,と。『隋書』経籍志に「明堂孔穴五卷」と載っていることでもありますし。

それに,前には『鍼經』,後では『九卷』であることについて,何も言わないのも不満です。

『太素』の笑い

『干禄字書』には「咲𥬇 上通下正」とある。竹に従い犬に従う字が正字らしい。仁和寺本の『太素』には両方が見える。ただし,他にも笑に丿と一点を増画した字も見えるし,さらにそれに口旁を添えた字も見える。
すると翻字入力するものは,どこまでを保存しようかと頭を悩ませる。はたから見れば笑ってしまうような悩みでしょうがね。

犬に従うについて,朱駿声が本義は「犬が人に狎れる声」であると説明するのにも,笑ってしまいます。

都骨不正

03陰陽02調陰陽

017 潰潰乎若壞都,滑滑不止。

【楊】潰,胡對反。潰潰、滑滑,皆亂也。陽氣煩勞,則精神血氣亂,若國都亡壞,不可☐止也。一曰:骨不正,則都,大也。言非直精神血氣潰亂,四支十二大骨痿瘲不正也。

按ずるに,「一曰」とは,恐らくは「滑滑不止」を「骨不正」に作る一本が有り,もしそうであれば,その上の都は骨と詞を構成して,意味は大であるというつもりだろう。「滑〃不止」の下に当たる欄外に,抄者によると思われる「滑〃不止都骨不正」の注記が有る。本当は「滑〃不止作骨不正」と書くべきだったのではないか。

やっと七難

案の定,十二難までは無理でした。やっと七難まで。

一難:経脈が循環している以上は,その何処で診ても経脈の状況は把握できるはずである。だったら,一番診やすい処で診れば良い。
二難:しかし診る処を一箇所に決めてしまうと,異常が起こっていることは分かるけれど,どこで起こっているかは判断のしようがない。そこで,関前を陽とし,関後を陰として,陰陽を配置する。
三難:陰に打っているべき脈が関を越えて潜り込もうとすると,陽に打っているべき脈は魚際にまで推し出される。陽に打っているべき脈が関を越えて覆い被さろうとすると,陰に打っているべき脈は尺沢方向に推し出される。いずれも非常に危険な状態である。
四難前半:心肺は浮であり陽であり,腎肝は沈であり陰である。そして中間が脾。この陽と陰は二難の"関後と関前に陰陽を配置した"という文脈に従って読むべきなのか。
四難後半:浮沈滑濇長短の六祖脈だが,その組み合わせの一部しかあげない。どうしたことか。そもそもこの記事はここに在るべきではないかも知れない。
五難:これは皮毛から骨まで,浮沈に五蔵を配置しているように読めるのだが。
六難:やっぱり,浮沈に陰陽を配置することも有ったらしい。この難が五難の前に在れば迷わないのに。
七難:季節による陰陽の推移と,それに伴う脈状の正常な変化をいう。
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䐜脹か飧洩か

03陰陽01陰陽大論
014 清氣在下,則生飧洩;濁氣在上,則生䐜脹。
【楊】清氣是陽,在上;濁氣爲陰,在下。今濁陰既虛,清陽下并,以其陽盛,所以飧洩也。清陽既虛,濁陰上并,以其陰盛,所以䐜脹飧洩也,食不化而出也。

按ずるに,原鈔は「所以䐜脹飧洩也」だが,「也」字を移動させて,
「濁陰既虚,清陽下并,以其陽盛,所以飧洩也」と
「清陽既虚,濁陰上并,以其陰盛,所以䐜脹也」の対にするのが正しいのではないか。
その上で,「飧洩」とは「食不化而出也」であるという説明が加わる。
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