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5年目の3月11日に

6年目の3月11日に

                                 (室月 淳 2016年3月11日)

今日は3月11日,東日本大震災から5年です.震災後いろいろとお世話になった南相馬市立総合病院にごあいさつに行って,その足で南相馬市の東日本大震災追悼式に出席しました.写真は参列者全員が順に献花しているところです.

あの日生まれた赤ちゃんたちも,きょう誕生日を迎えて5歳となります.あっという間に時間がたってしまい,震災はつい昨日のことのようです.一方では,わたしの周囲からは震災を思い出させるものはほとんど姿を消してしまって,震災はずっとずっと昔のことのようにも思えます.

震災・原発事故にたいするわたしの現在のかかわりは,福島県「県民健康調査」検討委員として,2-3か月に1回くらい,福島市に行って会議にでることくらいになりました.妊娠出産や子育て支援についての担当です.まさに特別な立場での非日常的な活動に限定されています.

「現代文明を根源から見直す」とか,「われわれの世代がおかした罪を未来のために償う」とか,まあそんなことをまったく思わないでもないのですが,しかしそういった抽象的な考えたり,大言壮語で語ったりすることは自らいましめています.それは無意味であり,当事者にしてみればときには迷惑だろうからです.会議の傍聴におしかける市民団体や一部のメディアを言動をみてつくづくそれを感じます.

それでは震災や原発事故後の福島をはじめとした地域のために,われわれにはなにが求められるのでしょうか?  「原発は危険だ」「避難せよ」「国や東電は補償せよ」など声高にさけんで,危険性を過度に強調したり,悪者をつくってバッシングするといった,「意識高い」系の前のめりの姿勢をとることでしょうか? そうではないような気がします.

ほんとうにたいせつなのは,自分自身の日常のなかで,震災や原発事故後のいまとどのようにかかわっていくかといったところでしょう.もちろん毎日の日常でとなると、ささやかなことしかできないでしょう.

以前はやや否定的だったこともありましたが,被災地のものを買って,食べて支援とか,日常のなかでいろいろな機会をつくってなるべく足をむけるとか,応援やボランティアとか,そういった地道でかつあたりまえの行動が,結局いちばんだいじなんだろうと最近つくづく思います.

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カウンタ 714 (2016年3月11日より)