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3年目の3月11日をまえにして

4年目の3月11日をまえにして

                               (室月 淳 2014年3月10日)

はじめに震災で亡くなられた18,000人以上のかたに哀悼の意をささげます.

東日本大震災のあと10日間くらいは物資の流通が完全にとまり,仙台の西の郊外にあって津波や原発の直接的な被害とはまったく無関係のうちの病院でも,食糧などにもことかく状態でした.そのなかで思ったことは,さきの太平洋戦争末期から終戦直後の日本国民の窮乏状態はこんな感じだったのかなということでした.もちろん今回の場合は被災3県以外はほぼ無キズですから,いずれ交通と流通が回復すれば,もとのものあまり状態となるのはわかっていますので,さきのみえない状況下で何年もくるしんできた戦争の時代とは比較するすべもありません.それでも高度成長期にうまれそだち,バブル崩壊時代に医者になったわたしにとっては,深刻な体験だったのがはずかしながら正直なところです.

戦争という過酷な現実は,その後の思想や文学,芸術といった人間としての表現行為に深刻な影響をあたえました.第二次世界大戦後には「戦争と文学」とか「戦争と芸術」といった問題が世界的に真剣に議論されました.「アウシュビッツ以後,もはや詩は書かれえない」といわれながらも,その「野蛮」のなかから絞りだされるようして生まれてきたのが,たとえばパウル・ツェランの一連の詩でした.

東日本大震災の被災者たちにとって,まさにそのとき重要だったのはもちろん衣食住であり,思想とか文学とか芸術といったものは現場ではなんの役にもたたないことはあきらかでした.震災の直後の避難所で音楽をならされたり,アートを展示されたりするよりは,思想家,小説家,芸術家も無名のひとりとして,泥のかきだしとか瓦礫の撤去のボランティアをしてくれたほうが,よほど意味のある行為であったのはまちがいなかったと思います.

しかし人間の真の表現はそのあとに生まれてきます.3.11のあとに日本の表現者たちはどのようにかわっていったのか? あるいはかわらなかったのか? 震災や原発事故が作品のテーマや内容にどのように影響をあたえたのか? あるいはあたえなかったのか? それは,わたしにとってはとてもとても重要な意味をもつのであり,これからうまれていくだろう人間のさまざまな「表現」をみつづけていこうと思います.

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カウンタ 2571 (2014年3月17日より)