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遺伝カウンセリングはふつうに気持わるい

遺伝カウンセリング」はふつうに気持がわるい

                                (2017年5月18日 室月 淳)

 遺伝カウンセリングがたいせつなのはわかりますが、遺伝カウンセリングがあればをすべて問題が解決するのでしょうか? 遺伝カウンセリングをきちんとおこなえばおこなうほど、ほんとうは問題はさらに内向化し、解決とは名ばかりの正反対のほうに向かうことがあるのでないかな。

もともと専門家としての遺伝カウンセラーと、クライエントは対等の関係にはありません。カウンセリングの技法はカウンセラーしか使わない一方的な技法だから、クライエントの要求や感情をその気になればいつだって封じることができるのです。

たとえば遺伝カウンセリングのなかで、クライエントが怒りや不満を感じたとします。そういうことではない、それは問題をはぐらかしていないか、とクライエントがいったとき、カウンセラーは当然のようにことばをそのまま受けとらず、そう言わせているクライエントの感情に意識を向けます。

そこでは対等の話し合いや議論、説得をおこなっているのではなく、「あなたはわたしに腹をたてているのですね」と、感情のレベルで返すことになります。クライエントの反論や抵抗を対等の議論ではなく、反応やときによっては問題行動や病的症状とみているわけです。

クライエントのことばをそのまま「受容する」とよくいうけれど、実は遺伝カウンセラーは自分の価値観でそれを受けとめているにすぎません。出生前診断を進めるカウンセラーは、クライエントを「受容」して出生前診断に持っていくでしょうし、出生前診断に反対するカウンセラーは、やはりクライエントを「受容」して出生前診断をやめさせようとするでしょう。すべては「遺伝カウンセリング」の名のもとに。

どうなんだろう? 遺伝カウンセリングはとても気持がわるいのです。そういう居心地のわるさを脱して、ふつうに対等な関係であいてのことばを聞くためには、遺伝カウンセリングの場をおりなければならないような気がします。

ほんとうは出生前診断などどうでもいいじゃない、そこにはちがう人生があるかもしれないし、無理に受けようとすることはない。これまでは生活のなかでみなが互いになんとか助けあってきたところがあったけれども、いまは自分が責任をもって解決しなければならなくない時代です。だから遺伝カウンセリングが必要となります。

遺伝カウンセリングは自己解決に導くことが目的だから、そういった時代の流れに棹さすものです。しかしほんとうに望ましいのは、生活の場でひととひとが確かにつながっていて、互いに話しあったり助けあったりすることによって、問題が自然に消えていくことだろうと思います。それからいうと遺伝カウンセリングなどはこの世に存在しないほうがいいのかもしれません。

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カウンタ 2133 (2017年5月11日より)