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エゴイズムの彼方に

エゴイズムのかなたに

                        (2012年9月9日 室月 淳)

岩木山(13時)

うまれてくるわが子が健康であることをねがわないカップルはいません.それはだれもがもつ素朴なねがいですが,そこから出生前診断をのぞんで医療機関を受診するまでには大きなへだたりがあります.そこではおそらくすでにひとつのおおきな決断がなされています.遺伝カウンセリングがほんとうに必要とされるのはまさにその段階においてだろうと思います.

 

 遺伝カウンセリングとは指導や助言ではない,それは・・・・・・

無侵襲的母体血胎児遺伝学的検査,いわゆる新型出生前診断では,妊婦とパートナーは検査の内容とその意味するところを理解しておくことが重要であり,そのために検査前に遺伝カウンセリングをおこなうシステムが必要である...........

まったくそのとおりです.そのとおりなのですが,しかしこの場合の「遺伝カウンセリング」とはいったいなにを意味しているのでしょうか? 遺伝カウンセリングは検査の内容とその意味するところの単なる説明にすぎないのでしょうか? そして「遺伝カウンセリング」にひとはいったい何をもとめているのでしょうか?

「カウンセリング」ということばにたいする一般におけるイメージ調査では,「適切な指導や助言をしてくれるもの」という回答がもっとも多かったということをなにかの本でよんだことがあります.しかしそれはあやまりです.遺伝カウンセリングはてっとりばやい解答やアドバイスをあたえてくれるものではけっしてありません.本人のはなしを傾聴することにより自己決定にみちびく方法です.

カウンセリングにおいてストレートに指導や助言をおこなうカウンセラーはまずいません.相手のはなしをきき,うけいれ,そのきもちやことばを相手にかえしながらかんがえさせ,そのうえで自己理解,自律的決定をひきだすのが一般的なやりかたです.

しかし一般のひとびとが実際にもとめているのは,検査のわかりやすい説明とそのあとの判断や行動の基準なのではないかと最近かんじるようになりました.お金によってなんでも手にいれることができる現代消費社会において,うむうまないをきめる根拠となるデータを採血によって手にいれられるようになりました.さらに,うむうまないをきめる判断や基準自体もお金によって他人に委嘱しようとするのでしょうか.

検査をうけるかうけないか,あるいはうむかうまないかといった深刻な悩みは,遺伝カウンセリングではけっして解決しません.遺伝カウンセリングは検査に付属するサービスではないし,ましてや判断や自己決定のマニュアルなどではありませんから,カウンセリングをうけることで問題がなくなることはありません.真の問題は,遺伝カウンセリングのあとにみえてきて,ひとびとの前にたちふさがるのです.

 遺伝カウンセリングは問題の解決ではない.問題はむしろそこからはじまる

母体血による胎児染色体検査,いわゆる新型出生前診断にかんするマスコミ報道では,異口同音のように「遺伝カウンセリングの充実を」とありますが,しかしそれによって新型出生前診断の問題が解決するわけではありません.遺伝カウンセリングはクライアントに問題のありかをおしえ,自律的な決断をしずかにうながすだけです.

遺伝カウンセリングは,選択的中絶の倫理的問題も,障がい者の社会的受容の問題も,わかい世代の経済的困窮の問題も,クライアントの「心のケア」の問題も解決しません.「自律的な決断」をおこなったクライアントは,そのときはじめてこれらの問題につぎつぎに遭遇することになり,翻弄され,うちのめされることになります.

遺伝カウンセリングは問題の解決などではけっしてありません.これらの問題をすべて個人の内面の問題にずらすことにより,むしろ問題の本質をおおいかくしてしまうことすらあります.

真の問題はそこにあります.カウンセラーは自分の信念をもっていますが,その意見をストレートにいうわけではありません.しかしカウンセリングの場は,迷っているクライアントと遺伝専門家であるカウンセラーの人間関係によってできていますから,クライアントは暗黙のうちにのぞまれている「自己決定」をおこないがちであることに注意すべきです.

 人工妊娠中絶は殺人か.然り.だが・・・・・・

これまで日本人は選択的中絶の問題をどのように取り扱ってきたのでしょうか? それは「妊娠22週未満の分娩はすべて流産とする」,すなわちこの時期に出生する児は「はじめから生きていない」と定義する,ということばの操作によって抽象的に解決してきました.こういった現実の生々しい問題を,「ことば」の定義によってすり抜けてしまうやり方は,近代の理性が発明したとてもスマートな方法です.

母体保護法という「ことば」によってそれは認められていますが,しかし人工妊娠中絶は「殺人」にほかなりません.人工中絶が「殺人」であるのは,妊娠初期ではそれは象徴的な形で,中期ではそれは明瞭かつひそやかな形で顕在化しています.アメリカ各州の「中絶法」は"Fetal Homicide Laws"といいます.Homicide(殺人)をある条件下では許容するという法律です.

ほとんどのひとはいろいろな意味においてそれはしかたがないこと,ときには必要なことと考えています.わたしもそう思います.もし障害をもつ児の出生を事前に回避できるのであれば,いざ自分がその立場におかれたときにそれを選択しないひとがどのくらいいるでしょうか? もちろんそれは間違いなくひとが自分の都合しか考えていない「エゴ」です.児の立場からすれば,障害をかかえて生まれてきたとしても,たとえその生命がわずかであったとしても,家族にみまもられて生涯をまっとうするのが本望でしょう.医療は本来そのような思いをかなえるためにあるべきだったはずです.

胎児になにか病気があるとわかったときにあらわれるご夫婦の態度や覚悟には,そのひとの真の人間性があらわれてきます.そして,人間として心からほんとうに尊敬できるお母さん,あるいはお父さんとめぐりあうことがときにあります.医療者である自分をこえてそれは心がふるえる経験です.

しかし,だからといって選択的中絶を選択するご両親を批判する気にはなれません.医学が発達し,出生前診断によってさまざまなことがわかるようになって,ひとはますますエゴや欲望というものの矛盾に苦しみ続けることになります.ひとというのは欲深く,その欲望はとどまることを知りません.わたしは,わたし自身もふくめてこういったエゴイズムを否定することなく,矛盾を矛盾としてみとめるしかないと覚悟しています.

エゴから解放された,神がごときの存在へではなく,エゴに執着せず,そしてみずからの執着から解き放たれたときに,他者もまた執着から解き放つことができるかもしれません.そのなかでも社会のなかの弱い者にむけられたあたたかいまなざしこそが,およそ医療者たる者の最低限の感性として忘れないようにしたいと心しています.

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カウンタ 2137 (2012年9月9日より)