ある新聞でボツになった文章
ある新聞でボツになった投稿
(室月 淳 2013年10月3日)
これはNIPT検査が開始された4月に某新聞に掲載してもらおうとしてかいた投稿原稿です.ほぼ第一稿です.わたしの文章の例のごとく,冗長なところをどんどんけずられたり,「ですます」調を「だである」調になおされたり,ひらがなを漢字になおされたり,全面的になおされたあげく,いろいろな事情によって最終的にはボツとなった原稿です.
半年もたったものですから,われながらいまよみかえしてみると論旨などのあまさが気になります.しかし,せっかくの原稿をうもれさせるのはすこしもったいないので,エコというかリサイクルというか,ここに掲載することにします.すでに旬の時期はすぎた文章ですが,記録としてのこす意味はあるでしょう.某新聞社にはことわっていませんが,ボツ原稿ですし,半年たって時効でしょうからかまわないでしょう(^_^;)
母体血による胎児染色体検査をどう考えていくのか
NIPTにたいする一般のかたがたのいちばんおおきな誤解は,希望すれば,あるいはお金をだせばだれでも検査をうけられるというものだと思います.しかしそもそもこの検査は,高齢であったり上のお子さんが染色体の病気などといった理由で,これまでならば羊水検査を受けていただろう妊婦さんにたいして,そのかわりの選択肢として採用されたものです.高額な費用がかかるが,羊水検査における流産リスクを回避できるというメリットがありますので,あくまでも妊婦さんの自己選択の幅を広げるという目的ならば社会的な同意をえられるだろうと考たからです.
今月になってからというもの,マスコミ報道で知った妊婦さん本人からの病院への問い合わせ,申し込みの電話が急増しています.NIPTが母体からの採血という非侵襲的で安全な検査だからといって,あらたな出生前診断のニーズを大幅に引き起こすことがないよう,十分に戒められています.もちろん胎児にたいする出生前スクリーニングを今後増やすべきという意見は存在していますし,それが一般的なコンセンサスとなっているのならば,われわれはそのニーズに答えるために最大限に手をつくす努力をするだろうと思いますが,現状はあきらかにまだそうなっていません.
日本産科婦人科学会が3月にだした「指針」には検査の適応がしめされています.それはたとえば高齢妊娠であること,前児が染色体の病気であること,NTなどの所見をみとめるときなどといったものです.しかしこれらのいずれかをみたせばあとは無条件に検査できるかといえばけっしてそんなことはありません.
「遺伝カウンセリング」が検査前,検査後に必須とされています.もちろん専門的知識にもとづいた医学的な説明は必要であり,このばあい,染色体の病気の説明,個々人のリスクの評価,検査のメリットや限界,デメリットなどのわかりやすい説明は前提条件となります.しかし「説明」はカウンセリングではありません.それでは「カウンセリング」とはいったいなにか?
たとえをあげてみます.45歳で妊娠したかたがいるとします.これまでながく不妊であったのが,あるとき妊娠していることに気がついた.45歳で自然妊娠することはもちろんめずらしいことですが,それでもそういうかたにはときどきいらっしゃいます.もちろんご本人は天からのめぐみとしてこころからよろこんでいます.しかし45歳であれば流産の頻度もたかく,またうまれてきたこどもが染色体の病気をもつ頻度は30分の1をこえるハイリスクです.こどもはぜひほしい.しかしもし染色体の病気をもつとすれば,自分たちがどこまでめんどうをみていけるか自信がない.そういう不安や逡巡をかかえて遺伝カウンセリングにくることになります.
実はここには,安心して染色体の病気の子をうむことができないという日本社会の問題もふくまれています.しかしカウンセリングでいくら社会問題を告発しても,現実にめのまえにいるクライアントが直面している不安を解消することにはなりません.カウンセラーとクライアントのやりとりのなかで,現実的でもっとも妥当な道筋をなんとかみつけていくことになります.
このときに出生前診断がひとつの選択肢としてでてくるかもしれません.従来ならば羊水検査となりますが,羊水検査にはひくいとはいえ流産のリスクをともないます.こんかいの妊娠自体が僥倖であり,そういったリスクにさらされること自体が心理的にたえがたい,そういうことはよくあります.そんなときにNIPTが有力な選択肢となりえます.
NIPTはさまざまな問題をかかえています.あるひとたちにとっては倫理的に許容できない検査であるかもしれませんし,またべつのひとたちにとっては一種の福音であり,希望するひとたちにはできるかぎり提供しなければならないものと考えられています.しかしわれわれ遺伝カウンセラーは,この検査が本質的に是であるとか非であるという考え方はしません.NIPTをひろく普及させよう,あるいは逆に情報提供しないようにしよう,禁止しようとする態度はとらないのです.
われわれのめのまえにあるのはさまざまな状況におかれているクライアントの不安であり躊躇といった具体的な事情です.そんななかからすこしでも前向きな選択肢をかんがえ,それを提示し,そしてクライアントが自分たちで決断し選択していくのを,背中からそっとあとおしすること,それが遺伝カウンセリングの役割といえるかもしれません.
わたし個人は,これまで30年以上も社会的な議論を回避して,問題を先送りしてきた結果,ここまで混乱をきたしている出生前診断について,問題提起して社会的な議論をふかめる,そして遺伝リテラシーの浸透をめざす,いまが本当にいい機会だと思っています.ところがマスコミ報道をみると,「いま話題の新出生前診断が,当県ではなになに病院で今週から始まりました」といった紹介や,「アンケート回答によると最大で月450人で,受け入れ態勢に限界」といった,検査の広報宣伝にすぎないような報道,あるいはむしろ希望者全員に検査ができるように態勢を考えなおすべき,といった論調が目立ってきています.これは問題だと思います.これらの情報提供の報道は,主観的にはどんな意図をもっていても,現状では単なる検査の宣伝や広報に堕してしまっています.それがNIPTへのあらたな需要をつぎつぎと喚起しています.
実はこの母体血による胎児染色体検査は,精度はかくだんによくなったとはいえ,非侵襲的であること,スクリーニング検査であること,リスクを確率で評価し確定検査を必要とするという点では,従来の母体血清マーカー試験と本質的にかわるものではありません.われわれが直面している課題にたいしても,これまでの生命倫理的な原則を厳密に適応することで対処できるという一応の国際的なコンセンサスがあります.すなわち情報を与えられたうえでの自由意思による選択であり,検査をうけるかうけないかは個々人が自発的にきめること,検査結果は厳重に管理され本人以外には開示されないこと,すなわちインフォームドチョイス,自己決定,ブライバシー権の3つです.
最大の問題は,数年以内にもはじまると予想される母体血による胎児遺伝子のスクリーニング検査です.遺伝子スクリーニングについては,これまでの生命倫理学の議論では対応できない別の次元の問題が生じてきます.おそらく最初は,日本人に頻度のたかいいくつかの遺伝病罹患の有無を母体血採血によりスクリーニングするという形ではじまります.さまざまなパッケージの個人向けの遺伝子検査サービスが競争で提供されることになるでしょう.現在の情勢ではそれはさけられない未来となっています.
われわれはどんな先天性の病気ならば中絶していいのか,そもそも「いらない命というものはない」のか,それをすべて「自己決定」にゆだねていいのか,これまで30年以上にわたって議論を回避してきただいじな問題について社会的なコンセンサスをうみだす必要にせまられています.さらにこういった倫理的な議論だけではなく,遺伝医療およびカウンセリング体制の経済的な基盤もふくめた確立,医療者への遺伝教育の充実といった実際的な対策が必要であり,そしてもっとも重要なのは一般のひとたちの遺伝リテラシーの定着です.
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カウンタ 2214(2013年10月3日より)