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「自己決定権」はフィクションにすぎないが,しかし

「自己決定」はフィクションにすぎない.....が,しかし

                                 (2013年12月23日 室月 淳)

 

遺伝カウンセリングとはなにか? 遺伝カウンセリングの定義にはいくつかあるし,時代によってもすこしずつかわってきています.一般的には,双方向の対話の形をもちいて,遺伝学的な情報提供などによりクライアントが自律的にのぞましい行動を選択できる,すなわち「自己決定」できるよう援助するコミュニケーション過程と定義されます.

検査はいかなる形においても強制的,威圧的ではなく,自発的におこなわれ,検査をうけてカップルの自己決定によってそれ以後のことが決められる.検査の前後にはじゅうぶんな説明とカウンセリングがおこなわれ,そのカウンセリングにはいっさいの指示的要素がはいってはならないというのが,出生前診断における倫理的原則です.しかし実は「遺伝カウンセリング」など一種のフィクションにすぎず,またこの世に純粋な「自己決定」など存在し得ないのも事実です.このことは1990年代に「自己決定」「自己選択」が人口に膾炙した際にさんざん論議され,あきらかにされました.

遺伝カウンセリングは,実際にまよっているクライアントと,「ただしい専門家」である遺伝カウンセラーの人間関係でなりたちます.はっきりいうとそれは権威と依存の関係です.ですからカウンセリングとは「のぞまれる自己決定」を導きだすことです.すなわち「みずから決めよ、ただしのぞまれるように」です.遺伝カウンセリングは欺瞞である,フィクションにすぎないと批判される根拠はここにあります.

そしてまた,真の自己決定はほんとうになりたつのでしょうか? 妊娠すること,出生前診断をうけること,出産するか中絶するか選択すること,選択したあとの人生の立てなおしかた.すべてが「あなた自身がきめること」といわれ,決定をせまられます,それも期限つきで.そしてそこに後悔のない選択はありえるのでしょうか? とてもとてもありえない気がします.それではなんのために自己決定なのか?

「自己決定」があるとき突然もとめられるから? それまで幸福で希望あふれている妊娠のときに,とつぜんおとずれる災厄のごとく告知がなされ,決断がもとめられるからでしょうか? 妊娠しこどもをもつことにはふだんからそういった覚悟が必要なのでしょうか? それが遺伝リテラシーなのでしょうか? そうかもしれませんし,そうでないかもしれません.

情報を与えられたうえでの自己決定が欺瞞にすぎないのは,理想的な真の「自由」とか「民主主義」が存在し得ないのと同様です.そんなことはギリシャローマのむかしからわかっていたことです.しかしそれでもなお,われわれは「自由」と「民主主義」の理念をたかくかかげて公正な社会をつくあげることをめざしています.

それならば遺伝カウンセラーはなにをすべきかというと,クライアントの不安やなやみの前で,なんとかして現実とおりあい,すこしでも現実的な問題の解決をめざすことです.クライアントとともにカウンセラーも悩みながら、現実的な解決をめざしながら模索していく.そこには観念的な議論の介在する余地はないような気がします.遺伝カウンセリングはフィクションにすぎない.「しかし」ではなく,「だからこそ」,わたしたちはその「フィクション」を前提としたうえで,クライアントとのコミュニケーションによって目のまえの問題をなんとか現実的に解決できる道をさがしていく.それがわたしにとっての遺伝カウンセリングといえるかもしれません.

出生前診断の一般化,スクリーニング化はもはやとめようがありません.医療が経済原理でうごいているかぎり,それは必至の状況です.そこで個々人はどのように対処していくのでしょうか? どのような選択をしようとも,あとから「後悔」をせざるをえないときはきます.そのときに,それでもあれだけくるしみながらも自分できめたことだから,と思えるかどうかです.仮にそう思えるのでしたら,その「後悔」ものりこえることができるかもしれません.自己決定の意味はそこにあるような気がします.

実際の遺伝カウンセリングの場では,いちばんはじめにカウンセラーは,クライアントにたいして自分たちの意思によってきめることの重要性を教育しなければならないこともあります.自分できめられないひとにしばしば遭遇することがしばしばだからです.そこには責任をおいたくないという依存性パーソナリティや困難から逃避する人格的未成熟を感じることがよくあります.

「決めることができないという選択」もひとつの選択であるという考えかたもあります.以前わたしはこの考えかたには反対だったのですが,最近はこれもありかなとも思うようにもなりました.迷い,ためらい,逡巡といったものはひととしてあたりまえの心の動きであり,そういったものを切り捨ててすぐに決断できるほうが,場合によっては不自然なこともあるかもしれないからです.

カップルの自己決定については,カウンセラーはいかなるときでも非指示的な姿勢であるべきというのは,いいかたをかえると,われわれはその決定にたいしてはいかなる責任もおわないということであり,さらにはそのあとのフォローもおざなりになるかもしれません.とくに中絶を選択した場合,何年もたったあとでも罪悪感に悩み,自分の選択を後悔する女性はしばしばいます.そういったくるしみや悲嘆といったものをケアし,軽減していくためにはどうしたらいいのか? 自己の決断,選択によってなされたこと,という罪悪感をかるくするためには,本人たちの決断の一部でもわれわれが肩代わりすればいいのだろうか? これはいまのところこたえのない問いです.

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カウンタ 2151(2013年12月23日より)