痛みの世界史 連載14 →
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1991.7-5
「20世紀における痛みの生理学の発展」

 20世紀に入ると、英国のエドリアン卿が末梢神経に含まれる単一求心性線維の活動電位を記録した。
 エドリアン卿の門下生であったスウェーデンのツォッターマンは、この研究法を痛みの研究に応用して末梢組織(主として皮膚)の侵害刺激に反応する求心性線維を同定した。その結果、それが最も細い有髄線維であるAδ線維と最も細い神経線維である無髄のC線維に属することが判った。この研究によって痛みの末梢機序を解明する道が開かれた。
 痛みの中枢機序に関する生理学的研究は、20世紀の後半に入ってからようやく行われるようになった。それを可能にしたのは、微小電極による単一ニューロン活動の研究法の確立である。ウォールは、脊髄後角のニューロンをこの方法で研究し、皮膚の侵害刺激に反応して興奮するニューロンを脊髄後角の第5層から見出した。しかし、それは、非侵害刺激と侵害刺激の両方に反応するが、両者を識別して、侵害刺激に最もよく応ずる広作動域ニューロンであった。他方メンデルとウォールは末梢神経に含まれる太い線維を電気刺激すると陰性後根電位が発生し、太い線維の興奮伝導を遮断しておいてから細い線維とくにC線維に電気刺激を加えると陽性後根電位が発生すると報告した。陰性後根電位は、求心性線維終末部の脱分極によるもので、求心性線維のシナプス伝達を抑制する。陽性後根電位は求心性線維終末部の過分極によるものでシナプス伝達を促進する。メルザックとウォールは1965年これらの実験結果をもとに、痛みの伝達のゲート・コントロール説を提唱した。この学説では、皮膚からの求心性インパルスが、脊髄後角の膠様質ニューロンと、脊髄後索の上行性線維および脊髄後角の第1次中心伝達細胞(実際は第5層の広作動域ニューロン)に伝わると考える。このうち、侵害刺激に対する反応と痛みのきっかけを作るのが第1次中心伝達細胞(T細胞)である。他方皮膚からの求心性線維は太い線維(AδおよびAβ線維)と細い線維(Aδ線維とC線維)とに分けられる。これらの求心性線維のインパルスには、刺激がなくなっても送られてくるものと、刺激によるものとがある。前者は主として、細い線維によって運ばれ、後者は太い線維と細い線維の両方によって運ばれる。細い線維のインパルスはT細胞を興奮させ、膠様質ニューロンの活動を抑制するが、太い線維は両方を興奮させる。膠様質のニューロンは、太い線維および細い線維の脊髄内終末部を脱分極させ、シナプス伝達を抑制する。つまりシナプス前抑制作用をもつ。從がって、末梢からのインパルスがT細胞の到達するためには、膠様質ニューロンのシナプス前抑制作用による関門すなわち、ゲートを通らなければならない。T細胞の興奮は刺激に対する反応や痛みを直ちに引き起こすのではない。それらを遂行する活動系が作動するためには、T細胞に到達したインパルスの総和が一定値を越えなければならない。末梢刺激がないときには、細い線維のインパルスによって、関門は開いている。皮膚に弱い刺激が加わると、太い線維が興奮して、T細胞も興奮するが、膠様質のニューロンも同時に興奮するので、関門がすぐ閉ざされ、後続インパルスのT細胞への伝達が遮断される。そのため活動系を作動させるまでに至らない。刺激をさらに強めると細い線維が興奮するようになる。強い刺激を長く与えると、太い線維は順応して興奮しなくなるが、細い線維は興奮を持続する。その結果関門が開かれて、T細胞にインパルスが到達する。ついにはT細胞の興奮が一定値を越え活動系が作動しはじめて、痛みが起こり、侵害刺激に対する反応も現れる。ここで皮膚に弱い刺激を加えると関門が再閉鎖されて、痛みが弱まる。この関門には上位中枢からの制御も加わる。脊髄の後索を上行したインパルスが大脳皮質に中継され、錐体路をへて脊髄に戻ってくるフィードバック回路もその一つで、それは関門を閉鎖する。
 この説は、その後の痛みの研究に多大の影響を与え、研究を盛んにするのに貢献した。しかし、この説に刺激されて進められた研究の結果、いまではこの説が存在価値をほとんど失ってしまっている。しかし、この学説が果たした役割は痛みの研究の歴史を考える場合無視できない。
 1970年代に入ると、痛みを抑制する機序が注目を浴びるようになり、めざましい発展をとげた。脳の電気刺激による鎮痛の発見、阿片アルカロイドと特異的に結合するオピエート・レセプターの発見、これに触発されて、相次いだ内因性オピオイドペプチドの発見などがその主なものである。
 こうした基礎的な研究の成果の数々は臨床にも取り入れられ、痛みの概念が大きく発展した。
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