痛みの世界史 連載3 →
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1990.12-5
「パスカルの歯痛:腕神経叢引き抜き損傷患者の社会復帰へのヒント」

 シェイクスピアは「からさわぎ」の中で、
・・・I will be flesh and blood;  For there was never yet philosopher, That could endure the toothache patiently.  However they have writ the style of god,  And make a push at chance and sufferance.
“血や肉でできている人間だ。どんなに神々のような筆付きで論文を書いて、運命や不幸を嘲っていた哲学者だって、歯の痛みを平気で耐えちゃいなかった。”

 といっている。確かに痛みに苦しんだ哲学者たちがいた。ニーチェは頻繁に襲ってくる頭痛に苦しんだと伝えられている。ライプニッツやモンテニューも痛みのいけにえであった。

 カントの晩年も痛風発作との戦いに明け暮れた。彼の最後の論文は、精神力で痛みを克服する方法に関するものであった。それは痛みと関係のないことに注意を集中して、痛みを忘れるというもので、中世のストア派の考えに近い。

 ストア派は、ギリシャのゼノンが開いた哲学の一派で、ローマのセネカにおいてその頂点に達した。この派によれば道徳の本質は理性をもって情念を抑えることで、精神を奮い起こして肉体の感覚を抑え、心頭を滅却して、死や苦痛と戦うところに真の自由と幸福がある。

 L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature; mais c'est un roseau pensant. (人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である)といったパスカルも“Stoic” の一人であった。彼は最後の4年間を癌の全身転移による苦しみと戦いながら39歳の生涯を閉じた。姉のジルベルトは、「弟ブレーズが生きながらえた4年間の苦しみようは実にはげしく、息をしているのがやっとの痛ましさでした。」と記録している。しかし、パスカルは強い信仰心によってこの苦しみに耐え抜いた。近親者が彼の苦痛に同情を示すと、「どうか、私をかわいそうだと思わないで下さい、病はキリスト者の本来の状態です。」というのであった。この病に苦しむことによって、この地上のすべての幸福を奪いさられ、ふだんに死を心にかけていられる−それこそがこの上なく大きな幸いであると信じていたのだ。<

 姉のジルベルトも「病弱のために、弟は他の人々に仕えることは果たせませんでしたが、彼自信にとって病は無益ではありませんでした。なぜなら弟は、非常な忍耐心をもって病苦に耐え抜いておりましたので、この点からみましても、神様が彼をご自身のみ前に出るにふさわしい者となさろうとするみ旨であったのだと、十分信じるにたる理由があるからでございます。」と記している。

 このような死に至る病の徴候が目立ってくる前のある夜、パスカルは非常な歯の痛みに襲われた。一人ベッドに伏して輾転としているうち、あまりの痛さに耐えかね、少しでも気をまぎらわすため、数学の問題を解いてみることにした。そのとき思い浮かんだのが、曲線の面積と重心に関する問題であった。それをサイクロイドの問題に応用してみようと考えついた。サイクロイドは「一つの円が一本の直線状を滑らずに回転するとき、円周状の一点が描く曲線」である。この問題を考え、解こうとしてすべてを忘れて没入した。その間に歯の痛みはどこかへいってしまい、問題を解き終わって気がついてみると、もう痛みはなくなっていた。この問題の解決によって、パスカルは積分学の先駆者として栄誉をになうことになった。サイクロイドは、今でも歯車の設計に用いられる曲線で、これを使うと歯車のかみ合わせが最もよいとされている。人間を考える葦(un roseau pensant)とみたパスカルは数学の問題を考えることによって、歯の痛みから逃れたわけである。

 このエピソードは大変示唆に飛んでいる。今日でもオートバイの事故による腕神経叢の引き抜き損傷の患者の場合、痛みが残っていても社会復帰させるのが望ましいといわれている。仕事に専念していると、その間痛みが楽になるからである。

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