遺伝カウンセリングとは何か,あるいは何でないのか
遺伝カウンセリングとは何か,あるいは何でないのか
(室月 淳 2015年3月20日)
要 旨
遺伝カウンセリングとは,遺伝疾患の発症や発症のリスクの医学的影響,心理学的影響および家族への影響を理解し,それに適応していくことを助けるプロセスです.これは一方向的な情報提供や説得ではなく,対話形式によってクライアントが自律的に望ましい行動を選択できるよう援助するコミュニケーション過程として考えられています.そこでは医学的な情報提供と非指示的な対話をとおし,クライアント自身の自己決定が尊重されます.これらのことはしかし医療の文脈では非常に誤解されやすいため,本稿では「遺伝カウンセリングはなにか」ではなく,むしろ「遺伝カウンセリングとはなにでないのか」に力点をおいて解説をおこないました.
はじめに
遺伝カウンセリングの重要性が最初に強調されたのは,母体血清マーカーによる出生前スクリーニング検査の実施にともない,1999年に発表された厚生科学審議会先端医療技術評価部会の「母体血会清マーカーに関する見解」(1)においてとされています.さらに2013年4月の無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT),いわゆる「新型出生前診断」の施行開始に際しても,日産婦の「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」(2)にて,「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査は,十分な遺伝カウンセリングの提供が可能な限られた施設において,限定的に行われるにとどめるべきである」と書かれています.
このように遺伝カウンセリングの重要性は社会的にも注目を集めていますが,肝心の「遺伝カウンセリング」とはいったいなにかと問われれば,この「見解」や「指針」のなかではその具体的な説明はなされていません.後者の「見解」では,NIPTの問題点として「妊婦が十分な認識を持たずに検査が行われる」,「検査結果の意義について妊婦が誤解する」,「胎児の疾患の発見を目的としたマススクリーニング検査として行われる」というみっつの可能性が指摘され,そのようにならないために「検査の前後に検査の;意義の説明と遺伝カウンセリングを十分に行う」という論理構成をとっています.すなわち遺伝カウンセリングに,検査の十分な説明とマススクリーニング化の防止というふたつの効果を期待しているように読めます.しかし実は遺伝カウンセリングは検査の単なる説明ではないし,検査をなるべく受けさせないように説得する手段でもありません.
本稿ではとくにNIPTの検査施行を想定しながら,「遺伝カウンセリング」とはなにか,あるいはなにでないのかを論じ,さらにその問題点と限界を指摘したいと思います.
遺伝カウンセリングとはなにか
遺伝カウンセリングgenetic counselingは第二次世界大戦後のアメリカで生まれた概念です.ナチスドイツなどにみられた優生主義への反省のもと,当時発展しつつあった遺伝医学の知識を人類の幸福に役立てようという目的で発展してきました.わが国に「遺伝相談」という訳語で紹介されたのが1960年代のことであり,当時は一部の大学で個別に実施されていました.その後,学会などでの体系的な取り組みがおこなわれ,日本人類遺伝学会と日本遺伝カウンセリング学会が共同認定する資格として,医師対象の「臨床遺伝専門医」(2001年),非医師対象の「認定遺伝カウンセラー」(2005年)が誕生しています.
遺伝カウンセリングにはさまざまな定義があり,遺伝学の発展や医療思想の変化によってすこしずつ変化してきています.代表的な定義としては,アメリカ人類遺伝学会の「遺伝カウンセリングとは,ある家系の遺伝疾患の発症や発症のリスクに関連した人間の問題を扱う,コミュニケーションの過程である.適切な訓練を受けた者が,個人やその家族に援助を行う」(1975)というものがあります.ほぼおなじ考え方として,日本医学会による「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」(2011年)に以下のような記述があります.
「遺伝カウンセリングは,疾患の遺伝学的関与について,その医学的影響,心理学的影響および家族への影響を人々が理解し,それに適応していくことを助けるプロセスである.このプロセスには,(1) 疾患の発生および再発の可能性を評価するための家族歴および病歴の解釈,(2) 遺伝現象,検査,マネージメント,予防,資源および研究についての教育,(3) インフォームド・チョイス(十分な情報を得た上での自律的選択),およびリスクや状況への適応を促進するためのカウンセリング,などが含まれる」(4)
すなわち遺伝カウンセリングとは,一方向的な情報提供や説得ではなく,対話形式によってクライアントが自律的に望ましい行動を選択できるよう援助するコミュニケーション過程として考えられています.そしてそこでは医学的な情報提供と非指示的な対話をとおし,クライアント自身の自己決定が尊重されることになります.
遺伝カウンセリングとはなにでないのか
「100人のカウンセリーと100人のカウンセラーがいれば,少なくとも10,000種類の遺伝カウンセリングが存在し得る」(5)ともいわれます.しかしだからといってどんな遺伝カウンセリングをしてもゆるされるというわけではありません.それでは遺伝カウンセリングとは何でないのか? 遺伝カウンセリングではないものをあげていくことによって,逆に遺伝カウンセリングとは何かを浮かび上がらせてみたいと思います.
(1) 遺伝カウンセリングは「説明とインフォームドコンセントの取得」ではない
遺伝カウンセリングというのはわかりやすくていねいな「説明と同意の取得」なのでしょうか? そうであれば遺伝カウンセリングにはあらかじめ結論とそこにいたるまでの道筋がきまっていることになります.それならば理解しやすい説明書で代用できるでしょうし,たくさんの妊婦をまえに出生前診断について講演してもカウンセリングとなり,またクライアントはテレビをみたり本を読んだりしてカウンセリングを受けられるということになります.
これは遺伝カウンセリングについてもっとも多い誤解です.1990年代以降にヒト遺伝子解析研究が大きく進んだとき,研究の枠組みのなかで遺伝カウンセリングを必要としてきた経緯がありました.もちろんこのことは当時者のためにも遺伝カウンセリングの普及のためにもプラスとなりましたが,一方で臨床研究におけるインフォームドコンセントとの違いをあいまいにさせることになりました(6).遺伝子解析はクライアントの利益になる場合とならない場合があります.遺伝カウンセリングはクライアントの利益を第一とするのが原則であるから,ヒト遺伝子解析研究のインフォームドコンセント取得のための遺伝カウンセリングというのは矛盾をきたすことがあるのです.
あるいはたとえば「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」(7)では,施設認定のための手続きのひとつとして「被検者に対する遺伝カウンセリングの際の説明文書の写しについて申請施設から提出」とあります.この「指針」では遺伝カウンセリングの重要性を強調する一方で,「遺伝カウンセリングの際の説明文書」という表現を用いているわけです.しかし資料をみせながら説明する内容,すなわち検査の意義や限界,それによって診断される染色体疾患の説明,診断を受けたあとの対処などは,単なるインフォームドコンセントの取得にすぎません.検査を受けることを自明の前提として行うならば,いくらていねいにわかりやすく説明して同意をとろうとも,それは遺伝カウンセリングにはなりません.
遺伝カウンセリングとはインフォームドコンセントの取得を包含しながらもっと広い視点にたっておこなうコミュニケーションのプロセスです.クライアントがなぜ検査を希望するようになったのか,不安を感じているとすればその不安はどこからきたのか,そういった検査の動機づけから明らかにしていくことになります.遺伝カウンセリングはクライアントやその家族の求めに応じ,彼らの幸福を第一に考えて行われるものです.クライアントが自分らしくあるために,この検査にはいったいどういう意味があるのか,抱いている不安を解消して満足を得られるものなのかを考えていきます.
(2) 遺伝カウンセリングは指導や助言ではない
かつてgenetic counselingは「遺伝相談」と訳されていました.すなわち遺伝カウンセリングは「相談と助言」の過程として捉えられていたのです.これは助言者であるカウンセラーによる理解とアドバイスによって,相談者がみずからのかかえている不安について理解し,適切な決断と行動を選択する一連の過程ということができます.この場合の相談は決して一方向のものではなく,相談者と助言者の双方向のコミュニケーションです.
しかし実際には,助言や忠告をしてもそれが守られるのは少ないことがしられています.直接の助言にたいしては頭では納得していてもなかなか実際の行動変容にまでいたらず,極端ないいかたをすれば,助言されて解決するひとは何もしなくてもみずから解決してしまうのです.この「相談と助言」ではうまくいかないために考えだされたのが「カウンセリング」という方法論です.助言したり忠告したり説教したり,ときには叱責したりすることを全部やめたところ,ひとつだけ残るものがありました.それが「聴く」ということです.クライアントのいうことをとにかく聴いてみるということ,助言もなにもせずひたすら傾聴するというわけです.
たとえば無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)を希望してきているクライアントには,この検査をうけたいと思ったなんらかの動機と,その背後にある不安や葛藤があります.もし実際に染色体の病気がみつかったときはどうするか,答をだすのが難しい問いに苦しんでいるひとはおおく,そこに専門の遺伝カウンセラーが必要とされる理由があります.遺伝カウンセラーの姿勢として重要なものに,相手の話を肯定的にとらえるいわゆる「受容」があります.これはクライアントの話になんでも賛成するというわけではなく,相手のいったことは相手のこととして認めるという姿勢を意味します.
「染色体の病気がわかったらどうするか」といったむずかしく正解がない問題と,NIPT検査の特徴,利点や限界などといった答えがひとつでわかりやすい問題を,遺伝カウンセラーははっきりとわけて示します.そして答えのない,あるいは答えはそのひとのなかから,しかもそのひとの人間性を高めないとでてこないような問題にたいしては,遺伝カウンセラーも「むずかしいですね」としか答えません.遺伝カウンセリングにおいては,クライアントの話を聞くプロセスをとおしてクライアントはみずから洞察を得るようになっていきます.この答えられない問題,正答がない問題こそがクライアントにとって真に重要な問題なのです.
(3) 遺伝カウンセリングは心理療法ではない
遺伝カウンセリングを求めるクライアントは,さまざまな形の心理的あるいは社会的問題による不安をかかえている場合があり,こういった不安に適切に対処しないと容易に危機的な状況に陥ります.極端な場合には自殺といった反社会的な行動にまで発展することもあるため,遺伝カウンセラーは危機介入の理論と実際についての最低限の知識が必要です.こういったときは本格的な心理カウンセリングや投薬といった精神科的治療に移行するために適切な専門家につなぐことになります.心理カウンセリングでは精神心理的な相談援助がおこなわれ,悩みをなんでも聞くと同時に,不安を解消するために薬を処方したり,医学的な検査や治療がおこなわれます.
一方,遺伝カウンセリングとは,遺伝性疾患についての情報提供と整理をおこなうことによってクライアントの自律的決定を導き,さらにリスクや疾患への適応をうながす専門的行為です.遺伝カウンセリングだけですべての心理面の問題には対応できないことがあり,精神科医や臨床心理士などを必要に応じて紹介しなければなりません.
(4) 遺伝カウンセリングは倫理を語る場ではない
もっともいけないことのひとつは遺伝カウンセラーがクライアントに個人的な倫理観をおしつけることです.ふつうのときでもクライアントは,カウンセラーとの対話を通じてその倫理観からおおきく影響を受けます.だからといってカウンセラーはクライアントを教えみちびく立場をもとめられているわけでないことは当然です.遺伝カウンセリングが他のカウンセリングといちばんおおきく違うのは,生命倫理を取り扱うことが多いことですが,カウンセラーが倫理を語ったり,あるいはクライアントと倫理的な議論をおこなうべきではありません.むしろクライアントのもつさまざまな価値観がどのような経緯で生じたか,その感情に焦点をあてていくことです.クライアントの意思決定にあたっては,生命倫理のレベルからみて大幅な逸脱を防ぐ役割が期待されますが,ときにそれはむずかしいこともあります.
(5) 遺伝カウンセリングは仲裁や判定による問題解決手段ではない
ここにはいくつかの内容を含んでいます.ひとつは,医療不信をきっかけにして遺伝カウンセリングを受診したり,カウンセリングのなかで過去の医療行為にたいする評価を求められたりすることがあります.カウンセリングにおいてはクライアントに共感しながら,しかし医療のなかでは予期しないことが起こりえることをきちんと理解してもらうことがたいせつです.医療訴訟にかかわるような内容は遺伝カウンセリングの対象にできないことをきちんと伝えるべきです.
ふたつめは,遺伝カウンセラーは思想的,政治的あるいは宗教的信条から中立の立場を守る必要があることです.カウンセラー自身がなんらかの信条をもつことは自由であり,また当然のことですが,クライアントにたいしてそれをけっして表にだしてはいけません.遺伝カウンセリングは決して啓蒙や勧誘の場ではありません.カウンセリングの過程でクライアントがカウンセラーに精神的に依存することはしばしばみられますが,それを利用してある信条や運動に勧誘することは職業倫理にあきらかに反する行為です.
遺伝カウンセリングはどのようにおこなわれるか
遺伝カウンセリングの対象となるのは,これからの妊娠のリスクや出生前診断をあつかう出生前,先天異常などの児の診断や情報提供をおこなう小児期,成人発症の遺伝性疾患や家族性腫瘍をあつかう成人期の大きくみっつにわかれます.たとえば出生前を例にとると,「前の子あるいは血縁者に遺伝性疾患があるとき,つぎの子どもがおなじ疾患に罹患する確率はどの程度か」とか,「高齢妊娠のリスクはどの程度か」,「いとこ結婚を希望しているが遺伝的にどのような問題があるか」といった内容などであり,最近は「○○病の出生前診断は可能か」といった相談も増えてきています.
遺伝性疾患の罹患のリスクを推定するときは,まず親族についての情報をあつめ家系図を描いて判断します.遺伝性疾患の確定や出生前診断のためにクライアントの遺伝子診断を勧めることもありますが,そのときは事前に十分な情報提供をおこない,最終的に遺伝子診断を受けるかクライアント自身の決定によります.遺伝カウンセリングは実施するタイミングが重要であり,遺伝性疾患の診断結果後にカウンセリングを行うのはすでに遅く,ネガティブと思って受けた検査結果がポジティブだったときのストレスはきわめて大きいことが知られています.検査前から,検査の意義,重要性,診断基準,結果の対処などをカウンセリングする必要があります.また遺伝カウンセリングがあつかう問題は,クライエント本人だけではなく家族にもかかわるので,家族もクライエントとして考慮することで問題解決が促進されることがあります.
場合によっては,診断告知を受けた両親にたいして子どもの障害受容の援助をしたり,治療についての紹介や関連機関へのコーディネートなどを行うこともあります.実際の遺伝カウンセリングにあたっては,カウンセリング技術以外にもさまざまな知識,態度,技術が要求されます.人類遺伝学や遺伝医学だけでなく,法律,ガイドラインの知識,倫理や社会通念への理解など,高度で幅広い専門性が求められます.
遺伝カウンセリングの本質とはなにか
「遺伝カウンセリング」も広い意味でのカウンセリングのひとつです.それではカウンセリングとはそもそもなんでしょうか?
不安や悲しみを経験したことのない人間はいないでしょう.それをいたずらに励ますのがカウンセリングの目的ではありません.そうした人が望んでいるのは激励ではないのです.そうではなく,だまって相手のことばを聞き,なかなかことばにあらわせない相手の感情を読みとることです.その結果,はからずもクライアントにやどっている不安や悲しみの意味があらわになってくることがあります.それを望まないひとももちろんいて,そこで感情をむきだしにしてくる場合もありますが,そこまでくればカウンセリングの目的はなかば達成されたともいえます.
それはクライアントのそばに単に寄り添うのとはすこしちがうことです.無配慮な励ましに意味がないように,ただ黙って話を聞くだけなのも遺伝カウンセリングとは異なります.その差は微妙のようにみえますが,そこにこそたいせつな意味があります.カウンセリングはことばで成り立ちますが,そのことばのやりとりのなかで,なにかをきっかけとしてひとは感情の様相をおおきく変えることがあります.不安や悲しみは嫌でつらく悲惨なものから,むしろ人生の新しい一面を教えてくれるひとつの経験のように感じられることがおきてくるのです.それを生きはじめると世界はまったく変貌します.状況が変わったわけではなく,そのひとが変わったのです.不安や悲しみはけっして不幸なのではない,その意味は本人のみがよく理解するのです.
よくも悪くもカウンセリングの本質はそこにあります.カウンセリングは世界を変えることはありません.いまある子の病気をよくするわけではなく,本人の年齢を若くするわけでもありません.本人のかかえている不安や悲しみの意味をあきらかにし,自分自身がそれを認識することによって自らがかわっていく.カウンセラーは一歩さがったところからそれを支えるだけです.カウンセリングにおいては自らだけが解決の道を知っているといわれるのはそのような意味においてです.
遺伝カウンセリングのなにが批判されるべきか
今回のNIPTをめぐる一連の騒動で,結果的に「遺伝カウンセリング」ということばが市民権をえたようですし,「遺伝学的検査の施行にあたっては遺伝カウンセリングが必須」ということも社会的なコンセンサスとなったようにもみえます.しかし遺伝カウンセリングはどんな場合にもただしいといえるのでしょうか.医療現場では「遺伝カウンセリング」という名の単なる説明,単なる「ムンテラ」が多数の現状で,カウンセリング批判をおこなうことにはよほど注意が必要ですが,それにしも「遺伝カウンセリング」を無条件に善と考えるのは危険なのです.
(1) 遺伝カウンセリングの限界
NIPTの遺伝カウンセリングを例にとります.NIPTを希望する動機としては高齢妊娠がもっとも多いのですが,ひとことで「高齢」の相談といっても染色体疾患のリスクがあがることへの単純な不安から,マスコミが35歳以上を「高齢妊娠」と十把一絡げに呼んでいるのを聞いて不安を覚えたひとや,個人的,家族的に複雑な背景をもつものまでさまざまです.遺伝カウンセリングではそれをひとつひとつ解きほぐしていきます.
いま想像で適当な例をあげてみます.たとえば本人(女性)が40歳,パートナーが35歳のカップルがいたとします.ふたりは結婚を真剣に考えていますが,婚姻年齢が上昇している今日ではけっしてめずらしい例ではないでしょう.先日,男性の実家にあいさつに行ったところ,相手の両親から5歳も年上であることに難色を示されました.両親の世代の感覚ではさもありなんというところです.しかしそういった状況で妊娠してしまった.本人としてはもし染色体疾患の子であれば,相手の両親にもうしわけなくて結婚などとうていできない.
だから自分ひとりの意志で出生前診断を受けにきた,染色体疾患であれば中絶したいというわけです.逆に健常なこどもを産めれば,相手の両親にも認めてもらえるかもしれません.40歳での染色体疾患の児出産のリスクは2%以下ですが,たしかに無視できる数字ではありません.しかし結婚が純粋に両性の同意にのみ基づくものであれば,こういった場合出生前診断など不要でしょう.ところが現実はなかなかそういきません.出生前診断によって児が健常だと証明されれば,相手の両親に認めてもらえる,ふたりは結婚して幸せになれると本人は信じています.
ここにはクライアントの認識の偏りがあきらかに感じとれます.しかし遺伝カウンセリングによってその認識の偏りを正せばクライアントの直面している困難は解決するのか,それは医療の領域であるのか,これはなかなか難しい問題です.いちばん気になるのはここにパートナーの意志がまったく感じられないことです.実際に遺伝外来を受診したのは本人のみであり,パートナーはその事実すら知らないようです.さてこういったケースの遺伝カウンセリングではどのように対応したらいいか考えなければいけません.
たとえばあらためてパートナーと一緒に受診してもらい,結婚はふたりの主体的な選択に基づくものであり,なにより自己決定が望まれることを認識させる.その上で出生前診断も両親への配慮などに左右されてはいけないことを理解してもらいます.ここまではあるいはできることなのかもしれません.さらにパートナーの両親にも介入する.息子と相手を一人前の人間として尊重し,いかなる選択であろうともそれを認め,祝福するようにお話する.おそらく染色体疾患の子にたいしてもっているだろう偏見を修正する.
そこにのみとどまらず社会一般がいだいている思いこみや偏見を指摘しただしていく.その上でカップルが完全に自分たちの意志で産む産まないを選択できるような社会の実現をはかる.産む選択をしたときでも,染色体疾患の子どもとその両親が生きやすい社会を実現していく.そんな一般的に正解とされていそうな道筋が考えられるのかもしれません.しかし実際の場で「遺伝カウンセリング」ができることは,せいせいパートナーと一緒に受診してもらい,ふたりに検査の具体的な説明をして,同意をとって採血をする程度かもしれません.
この場合の本人がかかえている困難というのは,自分がパートナーよりも年上であること,それを相手の両親に受けいれてもらえないことです.本質的な解決は,本人はもちろん,特にパートナーの断固たる意志でしょう.それによって両親をふくめた他者に受け入れられるように粘り強く働きかける必要があります.ここで児が健常であるかないかは,実は副次的な問題となっています.それにたいして出生前検査により事態の解決を考えるのは問題のすりかえであることはまちがいありません.しかし遺伝カウンセリングで人間関係にそこまで踏みこめるのか?
おそらくふつうの遺伝カウンセラーはためらうことでしょう.遺伝カウンセリングはあくまでも出生前診断などの医療行為を前提としたものです.そもそも遺伝カウンセラーの多くは心理臨床のトレーニングの経験が少なく,人間関係に介入する能力も時間もあまりありません.解決できる問題は実はほんのわずかなものです.遺伝カウンセリングによって無理に解決をはかろうとすると,それは多くの場合問題のすりかえになりがちです.遺伝カウンセラーはこの場合むしろ出生前検査を認めてしまうかもしれません.健常という結果によって本人が望むように事態は好転するかもしれない.しかしこれを「解決志向型」といってしまってはきれいごとにすぎます.もし染色体疾患という結果がでたらどうするというのか?
遺伝カウンセリングがもつ本質的な限界はこのあたりにありそうです.出生前診断において遺伝カウンセリングは非常に重要ですが,それで問題がすべて解決されるわけではありません.むしろ本質的な問題を覆いかくすこともあるのです.そういった限界にいつも意識的である必要があります.
(2) リフレーミング
遺伝カウンセリングの本質は「リフレーミング」にあります.すなわちクライアントがかかえている問題そのものの問いかえし,読みかえといってもいいかもしれません.
遺伝カウンセリングの場を訪ねるクライアントは,出生前診断をふくめ遺伝にかんする困りごと,心配の解決の援助を期待しています.たとえば障がい児の出産や養育は,福祉や差別などといった社会的な視点をきりはなして解決は不可能ですが,遺伝カウンセリングはこういったクライアントの生活や社会の問題を,個人の内面の問題にリフレーミングする(ずらす),いいかえれば「すりかえる」のです.この「すりかえ」は遺伝カウンセラーが意図的におこなっているわけではなく,遺伝カウンセリングの方法論そのものにすでに組み込まれています.ですからリフレーミングによる心の問題の解消が,ほんとうに現実の解決となっているかについては,よほどの注意が必要です.
たとえば妊婦が「38歳なので染色体疾患の子が産まれるのが不安なのです」と言ったとき,「染色体疾患の子が産まれたらなぜ不安なのですか」とふつうは聞きかえしますが,遺伝カウンセリング的には,「染色体疾患の子が産まれるのを不安に思っているのですね」とするのが一般的な返しかたです.あいての感情に焦点をあてて返すのがカウンセリング的な応じかたであり,あいても自分の感情について語る成り行きとなります.「なぜ不安なのか」の事情ではなく,「不安に思っている自分」に目を向かせます.妊婦の問題が状況から切りはなされ,内面の問題に還元されるのです.
カウンセリングの受容やあいてのことばの再陳述といった技法は,妊婦に自分は受け入れられているという安心感をあたえ,同時に自分の内面に意識を向けさせる効果をもたらします.そして家族的,社会的な問題を棚上げとし,自己反省的に問題を引き受けさせていくのです.遺伝カウンセリングが問題の本質をかくす,問題のすりかえをおこなうというのはそういった意味においてです.問題の「脱政治化」とする批判もあります.このような根本的批判があることを意識せず,遺伝カウンセリングの重要性だけを強調することは危険であるかもしれません.
(3) 遺伝カウンセリングは現状肯定か
「遺伝カウンセリングの本質は現状肯定である」という批判もときにきかれることがあります.これはなかばただしく,なかばまちがっています.
たとえば,35歳の妊婦が染色体の病気を心配だというと,「300分の1だからだいじょうぶ,そんな心配はいらない」とか「元気で幸せに生きているこどももたくさんいる」とかいわず,「ご心配なのですね」などといっていたのでは,そのひとの不安を肯定してしまって,ものごとはなにもかわらないという批判があります.これは誤解なのですが,しかしこのような誤解がうまれるのももっとものところもあります.クライアントをそのまま受け入れ,そのいうことを傾聴しているすがたは,まるですべてを肯定しているようにみえるからです.しかし実際はそうではなく,傾聴によりまず現状をはっきり認識することをめざしているのであり,現状を認識することであたらしい可能性を発見していくことができるのです.
しかしカウンセリングにおいてどのような可能性を発見していくかは,カウンセラーではなくクライアント本人にゆだねられることになります.問題を具体的に解決するための手段や方向性についてはカウンセリングの方法論の外にあり,カウンセラーにとって確定したものがあるわけではありません.この点について,社会変革への明確なビジョンをもつ人や,実際に活動にたずさわっている人からは,つよく批判されるところかもしれません.しかし遺伝カウンセリングでは,カウンセラー自身がなんらかの信念をいだき,それにもとづいてクライアントをある方向に誘導しようとすることほど危険なことはありません.カウンセリングは啓蒙活動ではなく,個人を対象とした援助活動なのです.
おわりに
「遺伝カウンセリングとはなにか」という問いには異なる多くの答えがありえます.一方では医学的正確さにもとづいた情報提供を重視する医療カウンセリングの一分野とする考え,他方では「カウンセリング」に重きをおく心理療法に近いものとする考えがあります.これらは言いかえると,専門家が専門的見地から問題を特定しアドバイスを行うやりかたと,クライアントの生きる世界を両者が共有することにより問題からの解放をはかるやりかたともいえるでしょう.個々のカウンセラーによって両要素の比重のかけかたはさまざまです.たいせつなことはそれぞれの立場がもつ限界で,クライアントの話を理解せずひたすら医学的説明を繰りかえしたり,厳密性にかえるあいまいな物語を語り続けたりという両極端の立場に固執しないことです.遺伝カウンセリングにおいてこの両者はけっして対立しませんし,対立させてはいけないたいせつな要素なのです.
参考論文
- 1. Ad Hoc Committee on Genetic Counseling: Genetic Counseling. Am J Hum Genet 1975;27:240-242
- 2. 日本医学会:医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン,2011年 http://jns.umin.ac.jp/cgi-bin/new/0224_2.pdf
- 3. 千代豪昭:遺伝カウンセリング−面接の理論と技術.医学書院,東京,2000
- 4. 新川 詔夫,福嶋 義光編:遺伝カウンセリングマニュアル改訂第2版,南江堂,2003
- 5. 佐藤孝道:遺伝カウンセリングワークブック pp4,中外医学社,東京,2000
- 7. 日本産科婦人科学会倫理委員会 母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する検討委員会:母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針,2013年 http://jams.med.or.jp/rinshobukai_ghs/policy.pdf
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カウンタ 59049 (2015年3月20日より)