外内と彼此
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2006/05/06
針治療には外と内が有る。外がもともとのもので、内は仮想されたものである。
外とはつまり皮肉筋骨で、基本的には痛を以て輸となし、熱刺激(燔針、熨あるいは灸)と針術を局所に施す。九針の用い方はほとんどがこの範疇である。ただし、緊張した筋肉の上下に置針して緩解させた経験は、ほとんどの針灸師が初歩段階で持っているであろうから、古代の名人がそれに類する術を知らなかったわけがない。改善させ得たのは単なる緊張だけでもなかったろう。しかし、そのためには現今の毫針に近い針の制作が無ければならない。これによってはじめて病所を挟み撃ちにする方法が考案される。根結や標本は、もともとそうした試みではなかったかと思う。
内とはつまり五蔵六府であって、古代の科学知識の水準からすれば、仮想された部分が必然的に多いはずである。五蔵六府に直接的に関連する募穴と背兪は、局所的な施術の範疇である。遠隔的な作用は五蔵と原穴、六府と下合穴の関係としてまとめられたが、これにもれた経験も沢山有ったろうし、その一部は絡穴と絡脈と絡病として再度まとめられた。頚周りの大牖五部とか大輸五部とか言われるものも、挟み撃ちの一方の端であるとともに、暴病を主どるということからは、また病に脈でつながる遠隔操作に用いる穴でもある。
ところで古代の方士は意外と即物的な人たちだったようで、四肢の要穴と五蔵六府が関連するからには、両者を結ぶモノが有るはずと考えた。古代人の技術水準で捜せば、それは当然ながら血管であって、今度は両者の役割の混淆が始まる。刺絡は、おそらくはもともと局部の状態を改変するもう一つの方法であったろうが、血液循環を制御する方法として認識される。勿論、普通に刺針して制御することも工夫されたはずであるし、彼らにとってはそれは経脈の気を制御するのと同義であった。
内の関係は、つまり点と点の関係である。ただし、点と点の関係と言ったところで、近くの点は同じ点に結びついていることは多かろう。問題は近くと言うことの意味であって、隣り合わせた点よりも、点と点をつなぐ線上のもう一つ別の点のほうが近いということはある。ところが、線上の点というのはおおむね肘膝から先の点、せいぜいが腋窩や鼠蹊までのことであって、胴体ではとてもそうは言えない。全ての穴を十四経脈上に配置する試みなどは、無駄なあるいはさらに後世を誤る努力であった。
こうして見てくると、他の世界では発見されなかったか、あるいは少なくとも発展させ得なかったものは、診断と治療のポイントとそこから遠く離れた患部との関係である。なぜそういうことが起こり得るのかは分からない。そこで、血管系にはそんな能力は無いと現代西洋医学に言われと、たちまちたじろいでしまった。たじろぐ必要が有るかどうかは分からないが、どのみち我々に解決できる問題ではない。我々にもできそうなのは、古書に掲載されたポイントと患部の関係の整理とその検証だろう。言い換えれば、どのスイッチあるいはどのスイッチとどのスイッチを押せば、どのライトが灯るのかを知りたい。さらにまた、この舞台を照明するためには、どのライトあるいはどのライトとどのライトを灯すべきかを知りたい。押しかたに工夫が必要ならば、それも知りたい。どうして灯るのかは、誰か研究してくれ。
外とはつまり皮肉筋骨で、基本的には痛を以て輸となし、熱刺激(燔針、熨あるいは灸)と針術を局所に施す。九針の用い方はほとんどがこの範疇である。ただし、緊張した筋肉の上下に置針して緩解させた経験は、ほとんどの針灸師が初歩段階で持っているであろうから、古代の名人がそれに類する術を知らなかったわけがない。改善させ得たのは単なる緊張だけでもなかったろう。しかし、そのためには現今の毫針に近い針の制作が無ければならない。これによってはじめて病所を挟み撃ちにする方法が考案される。根結や標本は、もともとそうした試みではなかったかと思う。
内とはつまり五蔵六府であって、古代の科学知識の水準からすれば、仮想された部分が必然的に多いはずである。五蔵六府に直接的に関連する募穴と背兪は、局所的な施術の範疇である。遠隔的な作用は五蔵と原穴、六府と下合穴の関係としてまとめられたが、これにもれた経験も沢山有ったろうし、その一部は絡穴と絡脈と絡病として再度まとめられた。頚周りの大牖五部とか大輸五部とか言われるものも、挟み撃ちの一方の端であるとともに、暴病を主どるということからは、また病に脈でつながる遠隔操作に用いる穴でもある。
ところで古代の方士は意外と即物的な人たちだったようで、四肢の要穴と五蔵六府が関連するからには、両者を結ぶモノが有るはずと考えた。古代人の技術水準で捜せば、それは当然ながら血管であって、今度は両者の役割の混淆が始まる。刺絡は、おそらくはもともと局部の状態を改変するもう一つの方法であったろうが、血液循環を制御する方法として認識される。勿論、普通に刺針して制御することも工夫されたはずであるし、彼らにとってはそれは経脈の気を制御するのと同義であった。
内の関係は、つまり点と点の関係である。ただし、点と点の関係と言ったところで、近くの点は同じ点に結びついていることは多かろう。問題は近くと言うことの意味であって、隣り合わせた点よりも、点と点をつなぐ線上のもう一つ別の点のほうが近いということはある。ところが、線上の点というのはおおむね肘膝から先の点、せいぜいが腋窩や鼠蹊までのことであって、胴体ではとてもそうは言えない。全ての穴を十四経脈上に配置する試みなどは、無駄なあるいはさらに後世を誤る努力であった。
こうして見てくると、他の世界では発見されなかったか、あるいは少なくとも発展させ得なかったものは、診断と治療のポイントとそこから遠く離れた患部との関係である。なぜそういうことが起こり得るのかは分からない。そこで、血管系にはそんな能力は無いと現代西洋医学に言われと、たちまちたじろいでしまった。たじろぐ必要が有るかどうかは分からないが、どのみち我々に解決できる問題ではない。我々にもできそうなのは、古書に掲載されたポイントと患部の関係の整理とその検証だろう。言い換えれば、どのスイッチあるいはどのスイッチとどのスイッチを押せば、どのライトが灯るのかを知りたい。さらにまた、この舞台を照明するためには、どのライトあるいはどのライトとどのライトを灯すべきかを知りたい。押しかたに工夫が必要ならば、それも知りたい。どうして灯るのかは、誰か研究してくれ。
夜空の月が二重に見えるとでも言うのだろうか。なんだか奇怪な説明ではないか。この二月の月は渋江抽斎『霊枢講義』の引用に従ったのだけれど、原本では若干疑問が有る。そこで、袁昶本は問に作り、蕭延平本もそれを踏襲している。なるほど、门には近いが、どうしてさらに问にしたのかは不思議だ。それに、「如弟二問等」だってやっぱり不可解である。
実はこの字は原本では左のような形です。そして巻末の識語の同本は右のようです。つまりこれは「如弟二同等」で、第二の同じようなものが見えるというのではあるまいか。第は原本ではおおむね弟と書かれます。
『太素』巻27十二邪(『霊枢』口問篇)
左は『龍龕手鏡』口部去声から取った。嚏(嚔)はこのうちの或作。問題の文字は、この今とされる文字のやや変形したものであって、コンピューターで使える文字で一番近いものは啑であろう。『龍龕手鏡』では右部分の下方の人が廴のようになり、仁和寺本『太素』では左斜めはらい丿が亠の左端に達して庚となり、右斜めはらい乀が乚のようになる。啑噴鼻氣也は経文の「陽気和利にして、心に満ち、鼻に出る」とよく合っている。音帝も仁和寺本の左脇の書き込み都計反(杏雨書屋でほぼ確認できた)と同じ。ただし、啑はショウと読んで魚や水鳥がものを食べるさまを表すのに啑喋と用いるのが本来で、テイと読んで嚏と通じると言うのは、もともとは字形の混淆に始まるのではないかと思う。
また、仁和寺本では眉は実際には尸の下に月のように見える。『太素』巻十一・府病合輸に「膀胱病,……眉上熱若脈陷」云々とあり、この眉を『霊枢』邪気蔵府病形篇では肩に作っている。もともとは眉本であったか眉上であったか、はたまた肩上であったか、頗る疑わしい。