靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

医心方引太素経

 『医心方』巻1治病大体の中途に、『太素経』云として巻22三刺の「先起于陰者」云々、又云として巻19知形志所宜の「形楽志苦」云々を引いた後に、次のようにある。
又云:病有生於風寒暑濕、飲食男女,非心病者,可以針石湯藥去之;喜怒憂思,傷神爲病者,須以理清明情性,去喜怒憂思,然後以針藥神裨而助之。但用針藥者,不可愈之。
 これは実は、『太素』卷30如蠱如姐病「男子如蠱,女子如姐,身體腰脊如解,不欲食,先取涌泉見血,視跗上盛者,盡見血。」に対する楊上善の注の中にある。沈澍農等校注の『医心方校釈』にも高文鋳等校注研究の『医心方』にも、これにはふれられてないようなのは何故だろう。『医心方校釈』においては、「先起于陰者」云々の最後の五字「皆療其本也」だけは原文でなく、楊上善の注文だと特記するにも関わらずである。
 また「然後以針藥神裨而助之」の「神」字は、確かに奇妙ではあるし、仁和寺本『太素』にも無いようだけど、「藥」と「裨」の間に明らかに小丸を置いて傍書してあるのだから、『医心方校釈』にも一言有ってしかるべきだろう。仁和寺本影写本には「神」字が有り、日本医学叢書活字本でも刪してない。
 「神」字の有無自体は、無い方がよいだろうとは思う。気象条件や不摂生によって病んだのであって、心(こころ)の問題でなければ、針や薬で治せる。情緒の不安定によって神を傷なって病んだものは、情緒を安定させ、そのうえで針や薬でそれを裨(おぎな)って助ける。ただ針や薬を用いただけでは、治せない。
 また、この又云として楊上善注を引いた後には、又云として巻23量順刺の「兵法曰」云々を引き、その楊上善注はちゃんと細字双行にして、「楊上善曰」を冠している。

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