靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

浮沈

 道三の脈書に「約メテ論ズルトキハ只浮、沈、遅、数ノ四脈ノミ」と言うが、それぞれに有力と無力を言い、有力は実、無力は虚と言い換えられるだろうから、結局のところ浮沈、遅数、虚実を脈状の基本として良いだろう。
 で、この脈状を手がかりとして病証の論を繰り広げるわけだが、実際の鍼による臨床の手引きとしてはまた別のとらえ方も有るだろう。虚と実には、多分手技の補瀉によって対応している。遅と数は、本当は良く分からない。そして選穴論の対象となっているのは、主として浮か沈かではないか。これによって、井滎兪経合を使い分ける。ある日本有数の臨床のグループでは、虚証の場合にであるが、脈が浮いていれば合、沈んでいれば兪と教えていた。これの理屈は、多分もともとは五行説から導き出されたのだろうけれど、逆からみれば合には脈を沈める力、兪には脈を浮かす力が有るということになる。さらに言い換えれば、合には深部(陰)を充実させる力、兪には浅部(陽)を充実させる力が有る。脈がそのように変わるということは、つまり病状がそのように変わるということである。経をニュートラルとする。
 例えば浮いて虚しているとしたら、虚していること自体がまず問題であるけれども、浮かせたところでは何とか脈が触れるのであるから、さらに深刻な問題は陰に全く無いことである。だから、これは実の場合と言葉遣いが違っている。実の場合は、実が浮に在るから浮実と言い、沈に在るから沈実と言う。その伝から言えば、所謂浮虚は、浮かべては確かに虚してはいるが指に脈を触れ、沈めれば雲散霧消する。してみれば本当の虚は沈めたところに在る。その意味からは所謂浮虚はむしろ沈虚と言うべきである。今さらそうはいかないのであれば、いっそのこと陰虚と言おうか。そしてより深いところ(陰)に力をつけさせる為には、ニュートラルより肘膝側(陰)に取り、より浅いところ(陽)に力をつけさせる為には、ニュートラルより指先側(陽)を取る。実の場合も、陽の実には陽を、陰の実には陰を取るのではないか。

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