靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

石門ふたたび

 『医心方』巻第二の灸禁法に、陳延之云うとして「『黄帝経』に、禁不可灸なるもの十八処有り、而して『明堂』の説はすなわちこれを禁ぜず」とあって、その十八処の中に「石門,女子禁不可灸」が有る。
 その後に、曹氏の説として挙げる中にも:
關元者,下焦陰陽宗氣之奧室也。婦人無疾不可妄灸,灸則斷兒息;有疾可灸百壯。
血海者,名爲衝使,在膝內骨上一夫陷中。人陰陽氣之所由從也。無病不可灸,灸,男則陽氣衰,女則絕產,不欲動搖肢節也;有疾可灸五十壯。
が有る。
 つまり、『明堂』派はもともと禁ぜず、むしろ不妊症の治療に臍下の正中線上のツボを利用としており、別に無闇に灸するなという一派が有ったということだろう。ただし、無闇に灸するなというのも、本意は「尋不病者,則不應徒然而灸,以痛苦爲玩者也」(病気でもないのに、ただなんとなく灸をすえるなどということは、痛苦をもって玩びとするようなものである)に在る。だが、この用心自体にも老婆心の気味が有り、誤読に発している可能性が疑われる。そもそも彼らも不妊症を治すためには灸をすえたかも知れない。要はすえかたであり、現今の温和な灸で問題が生じるとは思えない。

石門

 『甲乙経』巻三・腹自鳩尾循任脈下行至会陰凡十五穴第十九に「石門,……女子禁不可刺灸中央,不幸使人絶子」とあり、巻五・鍼灸禁忌第一下に「石門女子禁不可灸」とある。『甲乙経』には石門が主どる症候がいくつも見られるが、この「禁」は「女子」と断っている以上は、必ずしも誤りとは言えない。
 しかし、巻十二・婦人雑病第十に「絶子,灸臍中,令有子」とある。これは臍中に灸すれば子が有ると言っているのであるから、「絶子」は明らかに不妊症であり、その治療のための方である。同一の詞語を一方で医療の過誤と読み、一方で治療の対象と読むのは腑に落ちない。
 『甲乙経』の巻十二、つまり古の『明堂』からの採録と思われる婦人科の条項に、絶子は何度も登場する。
女子絶子,陰挺出,不禁白瀝,上窌主之。
絶子,灸臍中,令有子。
女子手脚拘攣,腹滿,疝,月水不通,乳餘疾,絶子,陰癢,陰交主之。
腹滿疝積,乳餘疾,絶子,陰癢,刺石門。
女子絶子,衃血在内不下,關元主之。
女子禁中癢,腹熱痛,乳餘疾,絶子内不足,子門不端,少腹苦寒,陰癢及痛,經閉不通,小便不利,中極主之。
絶子,商丘主之。
大疝絶子,築賓主之。
 石門の条自体は、「刺」と断ってあるのだから、刺すのはよいが灸は禁物と強弁できないことはない。しかし、他はともかくも、同じ腹部正中線上の二寸上の臍中に灸すれば子が有り、一寸上の陰交、一寸下の関元は絶子を主どるのに、石門だけが禁忌であるとは到底納得できない。「主之」は、『甲乙経』の凡例によれば灸刺いずれも可である。 
 乃ち「不幸使人絶子」という忠告は、「絶子」を読み誤った後人の老婆心であり、妄りに付け加えた贅言であると考える。

必厭於己

 『太素』巻27邪客に「善言人者,必厭於己」とあって、「厭」の厂が原本では广になっている。それ自体は仁和寺本『太素』には他にも例が有るし、「厭」の場合の実例は敦煌の俗字にも見えるらしいから、まあいいとして、傍らの書き込みがわからない。「☐艷反,安也,飽也,足也」とあって、☐で示しておいたのは八の下に一である。そういう字は字書に見つからない。『集韻』去声豔第五十五に厭は「於豔切,足也」とあり、豔の隷書は艷と書くとある。してみると、八の下に一は、於の略字のつもりなんだろうか。
 で、ここの足はどういう意味なんだろう。無論、脚ではない。楊上善の注は、「善言知人,必先足於己,乃得知人;不知於己,而欲知人,未之有也。」まあ、知ることが「たりる」なんじゃないかと思うけれど、何とも迂遠な感じがする。
 そもそもここは、天について語ることができる人は、人のことにそれを応用できるし、古について語ることができる人は、今のことにそれを応用できるというのに続くのだから、他人について語ることができる人は、自分のことにそれを応用できるといっているはずではないか。とすると、「厭」はいっそのこと注を離れて、「適合させる」くらいに取ったほうが良くはないか。『集韻』入声葉第二十九に「説文:笮也。一曰伏也,合也」とあるうちの「合也」を取る。『説文』には別に「猒,飽也」というのが有る。もともとは別の字であった。

天府下五寸

 実は「大禁二十五,在天府下五寸」は、『太素』では、気穴の羅列を「凡三百六十五穴,鍼之所由行也」と締めくくり、三種の輸穴の所在を「水輸在諸分,熱輸在氣穴,寒熱輸在兩骸厭中二穴」と説明したあとに、改めて大禁について述べるという位置に在る。「二十五」の意味が良く分からないが、大禁は二十五有って、それは口伝であるけれども、一番大事な「天府下五寸」だけには注意を喚起しておく、というつもりかも知れない。
 何れにせよ、鍼刺に際してこれだけは危ないと注意するとしたら、「心臓には刺すな」というのは最も切実な一件だろう。とすると、天府も必ずしも現在の天府穴でなくて腋中かも知れない。本輸篇の「腋内動脈手太陰也,名曰天府」には、むしろそのような気配が有る。その下というのが臂の側にではなくて、脇肋の側だとすれば、天府の下五寸はおおむね心臓に相当するだろう。骨度篇では腋から季肋までが二尺だけれど、季肋から髀枢が六寸というのだから、季肋を相当に下方に取っている。また『甲乙』では腋の下三寸が淵液、淵液の下三寸が大包である。大包は脾の大絡で、脾の大絡とは実際には心尖搏動のことだろうともいわれている。

五里

 結論は分かっている。肘上の五里穴は禁穴なんかじゃない。でも、どうやったらそれを証明できるのかが分からない。禁穴なんぞと誤解されている元凶は、『素問』気穴論「大禁二十五,在天府下五寸」の王冰注である。これははっきりしている。『太素』の楊上善だって同じことだが、たまたま亡佚していたから影響力は小さかった。
 実は気穴論の経文自体には、それが五里穴であるという説明は無い。五里の禁を言うものは、『霊枢』小針解の「奪陰者死,言取尺之五里,五往者也」だけど、これは『霊枢』九針十二原篇の解釈であって、九針十二原篇の前のほうには「取五脈者死」とも言っている。そっちの小針解は「取五脈者死,言病在中,氣不足,但用鍼盡大寫其諸陰之脈也」である。つまり奪われると死すという「陰」とは、「尺之五里」であるとともに「諸陰之脈」でもある。だから「尺之五里」が、例えば「陰之五脈」の誤りであると証明できれば、一番すっきりする。つまり、本意は五蔵と密接な関係にある陰経脈を無闇に瀉すのは極めて危険だ、というに過ぎなかった可能性が有る。なんたって、今よりはるかに粗大な針だったんでしょう。本当は失血死が恐かったんだろうけど、理念的には失気死だって恐い。『素問』玉版篇の「迎之五里,中道而止,五至而已,五往而蔵之気尽矣,故五五二十五而竭其兪矣」だって、その線で解釈できる。だけど、「尺之五里」をどういうやったら「陰之五脈」になるのかが不審だし、王冰も楊上善も五里穴だと思っているのだから、今さら古い資料の出現は望めない。『霊枢』本輸篇の「陰尺動脈在五里,五輸之禁」、これは「陰之動脈在五里,五輸之禁」(陰の動ずる脈は五ヶ所に在って、その五つの輸穴は禁の最たるものである)であったかも知れない。なんとか援軍に仕立て上げられないものだろうか。

五志穢神

『太素』巻二十一・諸原所生(『霊枢』九針十二原)
猶汗也
楊上善注:五志藏神 其猶汗也
 上は缺巻覆刻『太素』の飜字だが、「汗」が「汙」の誤りであり、つまり『霊枢』の「汚」と同じとは、言うまでもないことだと思う。
 今、問題にしたいのは楊上善注中の「藏」、この字は「穢」の誤りである。画像の上はこの部分の文字であり、下は巻二・陰陽大論「故壽命無窮,與天地終,此聖人之治身也」に対する楊上善注「虚無守者,其神不擾,其性不穢」の「穢」である。上の字には若干の剥落が有るが、両者は同じ字と見て良いだろう。
 日本人の感覚、知識では、ここで「五志藏神」は理解しがたい句だと思う。中国人が気にしないのは何故か。現代中国語音で、声調は異なるものの、同じくzangと読む「脏」(髒)という字が有って、「不潔である、汚い」という意味であることが、すぐに頭に浮かぶからではなかろうか。しかし、ここは「穢」という文字が使われた可能性に気付くべきだと思う。
 『黄帝内経太素校注』で、「汙」は「汚」と同じであると縷々説明し、『説文』の「汙,薉也」を引いて、薉の後にわざわざ(穢)などと示しながら、「藏神」が「穢神」であることにふれないのは、むしろ滑稽に思える。
 とは言うものの、私にしても「穢神」であることに気付いたのは、杏雨書屋の原本を目にした後のことである。やはり、原本からの影印は有らまほしきものである。

何經有病之徴

『太素』巻二十一・九鍼要解(『霊枢』小針解)
惡知其原者先知何經之病所取之處也
楊注:先知何注有病之微療之處所惡知言不知也
 上は缺巻覆刻『太素』の飜字だが、楊上善注の部分の「注」は「經」の誤りである。実際に書かれている字形は、パソコンで使用可能な範囲で探せば、むしろ「经」が近いかと思う。これは経文との兼ね合いから想像がつくし、杏雨書屋の原本を見ればまあ判る。次に問題になるのは、「微」の右下の仮名文字、もしこれが「セル」であるとすると、「きざセル」と読ませるつもりで、だから「徴」ではないかと思う。「微」と「徴」は原本などの書写体では、現在の活字ほどは違わない。さらに経文では「何經之病」と「所取之處」が対になっていることからすると、注文でも「何經有病之微」と「療之處所」が対ではないかと思う。とすると、「所」は「取」の誤りかも知れない。「所」の俗と「取」も、実はそっくりである。
先知何經有病之徴,療之處取。惡知,言不知也。

情報が無い

 久しぶりに上京したんで、中国系の書店で聞いてみたんですが、銭超塵教授の『黄帝内経太素新校正』については、何も情報が無い。今年の上半期の出版予定だったはずなのに、どうしたんでしょうね。
 その本屋さんで目についたのは、『清明上河図』の原寸大精印珍蔵本。どこかの印刷物のコンクールで金獎を獲ったらしい。素晴らしい出来栄えなんだけど、お値段がねえ。まあ、現地で買っても日本円にして8000円くらいにはなるはずだから、安いわけが無いんですが。

女几

 劉向『列仙伝』に:
女几は、陳の市上に酒を沽る婦人なり。酒を作れば常に美し。たまたま仙人その家を過ぎりて酒を飲み、素書五卷を以て質と為す。几その書を開きて視れば、乃ち養性、交接の術なり。几その文の要をひそかに写し、更に房室を設け、諸年少を納め、美酒を飲ませ、与に止宿して、文書の法を行う。此の如くすること三十年、顏色更に二十の如し。時に仙人数歲にしてまた来たり過ぎり、笑いて几に謂いて曰く:「盗の道に師無し、翅して飛ばざるもの有らんや」と。遂に家を棄てて仙人を追いて去り、いく所を知るもの莫しと云う。
 普通には女几だが、『列仙酒牌』には女丸。ただし、『太平御覧』に引く『集仙録』では女凢に作る。あるいは『列仙酒牌』も女凡なのかも知れない。『集仙録』には、更設房室云々は無い。これもまた自己規制というものだろう。盗道無師は一本に盗道無私、あるいは盗道無何。行書、草書は中国の学者でも容易には読み明かせないものらしい。いずれにせよ「盗道無☐,有翅不飛」は難解、上の訓は苦し紛れ。あるいは「翅有れば飛ばざらんや」、有~不~で成語形式の語を作ることは有りそうだけど、それを反語に解するのは、やっぱり文脈しか拠り所は無さそうに思う。「繕写するを喜ぶものは飲む。」 はい、飲みます。

内経の募穴

 『内経』に募穴は有るのか。無いけれども有るべきである。『素問』三部九候論の上部の脈処は頭部に在るのに、中部と下部の脈処は四肢に在るというのはおかしい。中部と下部だって、診るべき対象の近くに脈処は在るべきだ。なんだかいつも同じことを言ってるようだけど、誰も聞いてくれないのだからしかたがない。繰り言めいてくる。中部と下部の、つまり五蔵を診る処には、やっぱり募穴がもっとも相応しい。だから、原初の三部九候診は、言ってみれば募穴診だったわけだし、次註本『素問』の三部九候診は原穴診である。してみると、三部九候診は『素問』に独特の脈診法であるという教条も、あほらしいことになる。
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