靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

女几

 劉向『列仙伝』に:
女几は、陳の市上に酒を沽る婦人なり。酒を作れば常に美し。たまたま仙人その家を過ぎりて酒を飲み、素書五卷を以て質と為す。几その書を開きて視れば、乃ち養性、交接の術なり。几その文の要をひそかに写し、更に房室を設け、諸年少を納め、美酒を飲ませ、与に止宿して、文書の法を行う。此の如くすること三十年、顏色更に二十の如し。時に仙人数歲にしてまた来たり過ぎり、笑いて几に謂いて曰く:「盗の道に師無し、翅して飛ばざるもの有らんや」と。遂に家を棄てて仙人を追いて去り、いく所を知るもの莫しと云う。
 普通には女几だが、『列仙酒牌』には女丸。ただし、『太平御覧』に引く『集仙録』では女凢に作る。あるいは『列仙酒牌』も女凡なのかも知れない。『集仙録』には、更設房室云々は無い。これもまた自己規制というものだろう。盗道無師は一本に盗道無私、あるいは盗道無何。行書、草書は中国の学者でも容易には読み明かせないものらしい。いずれにせよ「盗道無☐,有翅不飛」は難解、上の訓は苦し紛れ。あるいは「翅有れば飛ばざらんや」、有~不~で成語形式の語を作ることは有りそうだけど、それを反語に解するのは、やっぱり文脈しか拠り所は無さそうに思う。「繕写するを喜ぶものは飲む。」 はい、飲みます。

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