靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

五里

 結論は分かっている。肘上の五里穴は禁穴なんかじゃない。でも、どうやったらそれを証明できるのかが分からない。禁穴なんぞと誤解されている元凶は、『素問』気穴論「大禁二十五,在天府下五寸」の王冰注である。これははっきりしている。『太素』の楊上善だって同じことだが、たまたま亡佚していたから影響力は小さかった。
 実は気穴論の経文自体には、それが五里穴であるという説明は無い。五里の禁を言うものは、『霊枢』小針解の「奪陰者死,言取尺之五里,五往者也」だけど、これは『霊枢』九針十二原篇の解釈であって、九針十二原篇の前のほうには「取五脈者死」とも言っている。そっちの小針解は「取五脈者死,言病在中,氣不足,但用鍼盡大寫其諸陰之脈也」である。つまり奪われると死すという「陰」とは、「尺之五里」であるとともに「諸陰之脈」でもある。だから「尺之五里」が、例えば「陰之五脈」の誤りであると証明できれば、一番すっきりする。つまり、本意は五蔵と密接な関係にある陰経脈を無闇に瀉すのは極めて危険だ、というに過ぎなかった可能性が有る。なんたって、今よりはるかに粗大な針だったんでしょう。本当は失血死が恐かったんだろうけど、理念的には失気死だって恐い。『素問』玉版篇の「迎之五里,中道而止,五至而已,五往而蔵之気尽矣,故五五二十五而竭其兪矣」だって、その線で解釈できる。だけど、「尺之五里」をどういうやったら「陰之五脈」になるのかが不審だし、王冰も楊上善も五里穴だと思っているのだから、今さら古い資料の出現は望めない。『霊枢』本輸篇の「陰尺動脈在五里,五輸之禁」、これは「陰之動脈在五里,五輸之禁」(陰の動ずる脈は五ヶ所に在って、その五つの輸穴は禁の最たるものである)であったかも知れない。なんとか援軍に仕立て上げられないものだろうか。

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