靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

行之又逆人情

 友人が送ってくれた書物に「東漢魏晋南北朝房中経典流派考」という文章が有る。中に紹介されている巫子都が漢の武帝に答えた中に、「陰陽之事,公中之私,臣子所難言也,又行之又逆人情,能為之者少」と言う。君主のプライベートなことについて、臣下としてつべこべ言いにくい、というのは良い。「これを行うのは人情に逆らう」とは、如何なる意味か。かの貝原益軒の戒めのことばかりではなさそうである。『医心方』房内篇に引かれた青牛道士の説に、「數數易女則益多,一夕易十人以上尤佳。常御一女,女精氣轉弱,不能大益人,亦使女瘦痟也」とあると紹介されている。つまり、他人の精気を奪うのである。女をやせ衰えさせて、自分だけが不老長寿を得ようとするのである。他を傷なって己の生を養うことには、仙人でさえも「行之又逆人情」と言う。内心忸怩たるものは有ったらしい。巫子都自身はそう言いながら実行しているですがね。要するに愛情が伴う、互いの健康を気遣うような行為では実効を伴わないと言っているらしい。
 移植医療というものも、切羽詰まった状況にないものがつべこべいうべきではないけれど、提供されるのを期待して待つというのは、やっぱり「人情に逆らう」ことではあると思う。

韋編

 竹の簡を横に並べて、紐で綴りあわせて冊とする。例えば上端と下端と真ん中の3箇所で綴るとすると、真ん中の紐が通るところには文字を書かない。そこまでは良い。実は丁寧に仕上げる場合には、紐の通るところに切れ込みを入れて、紐の掛かりを良くすることが有った。例えば上端と下端は右端に、真ん中は左端に入れる。ほんの数ミリだけど、もともとはば1センチほどの竹の簡だからそれなりに目立つし、写真で見ると黒ずんでいて、ちょうど墨鈎◤にそっくりなんです。ということは文章の区切りに入れた墨鈎が之あるいは也の草体と見間違われる他に、切れ込みを見間違えて墨鈎として復抄するというのは有り得ないんだろうか。仁和寺本『太素』の場合は、得体の知れない之や也はいずれも楊上善注の末に出現すると思っていたけれど、ひょっとするともっと得体の知れないものも有るのかも知れない。

五色篇

 『霊枢』五色篇に、五蔵六府肢節を顔面部に配当する記述が有るが、なんとも錯綜していて描きにくいことおびただしい。
庭者,首面也。闕上者,咽喉也。闕中者,也。下極者,也。直下者,也。肝左者,也。下者,也。
方上者,也。中央者,大腸也。挾大腸者,也。當腎者,臍也。面王以上者,小腸也。面王以下者,膀胱子處也。
顴者,也。顴後者,也。臂下者,也。目内眥上者,膺乳也。挾繩而上者,也。循牙車以下者,也。中央者,也。 膝以下者,也。當脛以下者,也。巨分者,股裏也。巨屈者,膝臏也。
此五肢節之部也。
 で、よく考えてみると、これはもともと五蔵と六府と肢節などの、三枚の図の説明だったのではあるまいか。もっとも胆などは五蔵の図、腎は六府の図のほうに入るのかも知れない。まだ、単なる思いつきなんですがね。

称頌

 頌むべきことは、中国古代の書籍が伝入した後、人民がそれを重視し愛好し、さらに心をこめて保存してきたことである。中国で失われた後に、政府が別の書籍と引き替えにその書籍を中国に送り返したことなんぞは、頌むべきことでも何でもない。その送り返された書籍を、中国人民が現代まで心をこめて保存し続けてきたことは、やはりまた頌むべきことである。

なんてこったい

 道路に横たわっている人がいるという110番通報をうけて、パトカーが駆けつけて、その横たわっている人をひいてしまう。漫画のギャグか、ドタバタ喜劇映画のワンシーンで、見たことが有りそうな……。
 でも、これは実話なんです。だから笑いごとじゃない。
 パトカーはこの辺だろうと速度を30キロに落として近づいていって、向う側の30メートルくらい先に車を止めていて合図した人に気を取られて、横たわっている人に気付くのが遅れたんだそうです。真夜中ですからね。警察は何をしている、けしからん、では済まないような気もする。では合図する人は、横たわっている人のこちら側で合図すべきだったのか。無茶を言ってもらっては困る。こちら側に車を持ってくるには、横たわっている人を乗り越えてくる必要が有ったかも知れない。第一、パトカーがどちらから来るか、分からなかったかも知れない。かと言って、倒れている人のそばに付きそっているなんて、そんな気味の悪いことできますか。そもそも、どうして道路に横たわっていたのか。この少年の談によると、仕事帰りに眠くなったから横になったんだそうです、しかも道をふさぐように長々と。ね、気持ち悪いでしょう。
 で、人の命にかかわるようなことがギャグでありえたのは、そんなことは起こりっこないと、誰もが思っていたからです。だけど起こってしまった。なんてこったい。プロのくせに、には違いないけれど、プロだから大丈夫、じゃなくて、大丈夫だったからプロだった、でしょう。こんな想定外のことばかりおこる世の中じゃ、大丈夫でありつづけるのも容易なことではない。
 あんまり奇矯なふるまいはやっぱりそれはそれだけ危険です。

みんな馬鹿

 『自分以外はみんな馬鹿』とかいう新書がベストセラーだそうです。断っておきますが、買ってないのは勿論、手に取ってすらいません。本屋の平積みを眺めただけです。だからこれは批評ではない。
 「自分以外はみんな馬鹿」、当たり前じゃないですか。青春のある時期に、そんなことを考えた一瞬は有るでしょう。少なくとも、「とんでもない」という人は、私とは違う種類の人です。ただ、悲しいことにほとんどすぐ次の瞬間には、「自分を含めてみんな馬鹿」と変更せざるを得なくなる。そんな必要がなかったごくごく僅かな人を、天才と呼ぶ。
 「おれはやるぜ」
 「何を?」
 「何かをさ」
 紛れもない馬鹿である。しかし、このあと一呼吸おいてニヤリとしていたら、人生という茶番劇の科白としては、そんなに悪くもないかも知れない。みくだしているのではなくてふてくされている

通行の繁体字

 仁和寺本『太素』の飜字を試みていますが、もし可能な限り原本通りに入力すれば、九鍼要道の冒頭は次のようになります。
黄帝問歧伯曰余子萬民養百姓而収其租
稅余哀其不終属有疾病余欲勿令
被毒藥無用砭石欲以微鍼通其𦀇
調其血氣營其𨒫順出入之會令可傳
於後世
と言うのは嘘です。パソコンで可能な最大限度というに過ぎません。いくつかの文字が表示されてない閲覧者がいると思いますが、おそらくはユニコードCJK統合漢字拡張領域Bの漢字です。2箇所に使用しています。もしその字形に拘るのなら、言い換えればこの水準で拘るのなら、「傳」には人偏に専の字を造りたいところです。「逆」も本当は辶に羊ではなくて、廴に羊とみるべきかも知れません。そういうものはさすがに拡張領域Bにも有りません。「𨒫」なら有ります。
 だからいっそのこと通行の繁体字に統一しようかとも思います。影印が有るんだからそれで良いじゃないか、という意見に耳を傾けるということです。そうすると今度は、通行の繁体字って何なんだ、ということになる。面倒だから『康煕字典』体と答える。すると虚じゃなくて虛、絶じゃなくて絕を使うことになる。何だかこれも馬鹿馬鹿しい。じゃあ、ということで当時の学者が正しい字と考えていた形に統一しようかと、試みてはいるけれど、これは資料が足りないのだからはじめから不可能は知れている。やってみているだけです。
 で、結局のところ凡例づくりが一番難しい。

 『霊枢』口問篇に:
黄帝曰:人之嚲者,何氣使然?
岐伯曰:胃不實則諸脉虚,諸脉虚則筋脉懈惰,筋脉懈惰,則行陰用力,氣不能復,故爲嚲。因其所在,補分肉間。
とあり、『太素』巻27十二邪では「嚲」を「撣」に作り、楊上善は「撣,土干反,牽引也。謂身體懈惰,牽引不收也」と言う。ところが『広韻』では市連切の下に「牽引」とあり、徒干切、徒案切の下では「觸也」である。「撣」字は、『太素』7首篇にも「喜樂者,撣散而不藏」と見え、そこの反切と義釈は「撣,土安反,牽引也」である。これは『霊枢』では本神篇であり、そこでは「憚」に作る。つまり:
 「嚲」字は、辞典にタで「垂れ下がる、なよなよとして力がない」である。
 「撣」字は、楊上善に従えばタンで「牽引」であり、『広韻』に従えばタンなら「觸」、牽引なら「セン」である。
 「憚」字は、辞典にタンで「おそれ、はばかる」で、また「病みつかれたさま」である。
 結局、意味としては「疲れ果てて、ぐったりとして、筋肉に力が入らない様子」なんだろうけれど、それは文脈から判断すべきことであって、古注や工具書は本当にはあてにならない。

東洋の神秘

 もうすでに旧聞に属するけれども、日本と中国でツボの位置がくいちがっていたことから、患者さんに不安が広がって、斯界の上層部では、針灸師ならちゃんと正しいツボを知っているし、実際には指頭感覚で確認しているから大丈夫、と宣伝にこれつとめていたらしい。そういう心配も有ったんですね、というかそういうのが主流だったんですね。
 私なんぞからすると、そもそも針灸治療で確かに分かっていることなんてほんのわずかです。臨床家が古典の知識を応用して成果を挙げたと言っているのをみると、大抵はその古典の解釈を誤っている。でも、成果を挙げているのも確かなんです。だから、「大丈夫」だとしたら、分かることと治せることとは、あんまり関係ないから大丈夫なんです。
 分かってないというのも、どうしてそうなるかは皆目分からない、ということです。どうすればどうなる(と考えられてきたか)は、結構だんだん分かりかけてはいるんです。
 五里霧中で手探りで治療しているというと、患者さんは不安になるのかも知れないけれど、それはどんな治療だってそうなんです。あらゆる患者さんは、治療家にとって厳密には初めての経験でしょう。それをわずかな知識と経験で、ああではないかこうではないかとやってみるわけです。豊かな経験と知識にもとづいて、「あなたは治りません」と言われてうれしいわけがない。分からないけれどやってみる、これでダメでも、別の手を探す。そして、上手くいけば患者さんの(身体の)手柄なんです。医者を見つけさえしたらそれで全く安心、なんとかしてくれる、というわけにはいかない。例えば、切開して取り外して縫い合わせてまでには外科医の巧拙が問われるけれど、それで健康を取り戻せるかどうかは本当は患者さん次第でしょう。回復できるように調整するのも治療家の役目だけど、それに反応してくれるかどうかは、結局のところ患者さん次第です。

阿斗

 蜀の後主の劉禅は、社稷をむざと献じたということですこぶる評判が悪い。しかし、劉禅だって自分が親父の劉備のようにはいかないことくらいは知っている。ましてや関羽も張飛も諸葛亮もいない。だったら、蜀の民のためにもさっさと降参するのが賢い。正義を振りかざしてぼろぼろになるのは、格好いいかも知れないけれど、かなりはた迷惑なはなしだ。
 洛陽での宴会でのふるまいを、当時はまだ晋公だった司馬昭に「こんな阿呆では諸葛亮が生きていたって補佐しきれなかったろう」とあきれられたというけれど、じゃあどうふるまえばよかったというのだろう。下手をすれば警戒されて誅殺されたかもしれない。阿呆をよそおった、あるいはちょいと誇張してみせたのだとしたら、案外くえぬおとこだったかも知れない。少なくとも、鼻毛を伸ばしてみせた百万石の殿様よりは、やることが上品である。
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