靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

東洋の神秘

 もうすでに旧聞に属するけれども、日本と中国でツボの位置がくいちがっていたことから、患者さんに不安が広がって、斯界の上層部では、針灸師ならちゃんと正しいツボを知っているし、実際には指頭感覚で確認しているから大丈夫、と宣伝にこれつとめていたらしい。そういう心配も有ったんですね、というかそういうのが主流だったんですね。
 私なんぞからすると、そもそも針灸治療で確かに分かっていることなんてほんのわずかです。臨床家が古典の知識を応用して成果を挙げたと言っているのをみると、大抵はその古典の解釈を誤っている。でも、成果を挙げているのも確かなんです。だから、「大丈夫」だとしたら、分かることと治せることとは、あんまり関係ないから大丈夫なんです。
 分かってないというのも、どうしてそうなるかは皆目分からない、ということです。どうすればどうなる(と考えられてきたか)は、結構だんだん分かりかけてはいるんです。
 五里霧中で手探りで治療しているというと、患者さんは不安になるのかも知れないけれど、それはどんな治療だってそうなんです。あらゆる患者さんは、治療家にとって厳密には初めての経験でしょう。それをわずかな知識と経験で、ああではないかこうではないかとやってみるわけです。豊かな経験と知識にもとづいて、「あなたは治りません」と言われてうれしいわけがない。分からないけれどやってみる、これでダメでも、別の手を探す。そして、上手くいけば患者さんの(身体の)手柄なんです。医者を見つけさえしたらそれで全く安心、なんとかしてくれる、というわけにはいかない。例えば、切開して取り外して縫い合わせてまでには外科医の巧拙が問われるけれど、それで健康を取り戻せるかどうかは本当は患者さん次第でしょう。回復できるように調整するのも治療家の役目だけど、それに反応してくれるかどうかは、結局のところ患者さん次第です。

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