靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

虚構

中国伝統医学は,発見されたのではなくて,構築されたものである。だから,記録された事実だけに価値が有り,その説明には一顧だにしない,と言われたのでは些かとまどう。とは言うものの,陰陽五行説というバックボーンが有るから大丈夫と,天真爛漫に言われても困る。それはまあ,お祈りさえすればなんでも OKと言うよりは,不思議であろうが分かりにくかろうが,法則に従ったことしか起こらないというほうがまだしも科学的である。しかしその法則が,テングサのかたまりを突き出してトコロテンにする道具というような,そんなふうなマニュアル五行説であってみれば,似非科学といわれても致し方ないのではないか。もういい加減に,少しは現代人の科学水準に叶った道具を手に入れたい,と思うのはむしろ少数派で,大方は伝統的なヒノキの突き棒で大満足なんでしょう。

溼而下歸

『太素』巻10経脉根結に「發於秋冬,陽氣少而陰氣多,陰氣盛而陽氣衰,則莖葉枯槁,溼而下歸,陰陽相移,何補何寫?」とある。

銭超塵・李雲の新校正p.182の脚注は:
溼而下歸:原鈔『溼』字殘甚,辨其剩筆,當作『溼』。《靈樞》作『濕雨下歸』;《甲乙經》作『溼而下歸』。按,『濕』與『溼』同。蕭注《太素》作『溼而下㴆』,蕭延平云:『考「㴆」與「浸」同,漬也。』日本摹寫本作『□而下㴆』。按,原鈔「歸」字左旁筆形連草,細辨之,實即「歸」字。蕭本、日本摹寫本作『㴆』者,疑誤。
王洪図・李雲の重校p.281の脚注は:
溼而下歸:仁和寺原鈔"溼"字殘甚,辨其剩筆,當作"溼"(濕)字。蕭本作"溼而下㴆";小曾戸摹寫本作"□而下㴆",闕"溼"字。按,仁和寺原鈔"歸"字左旁筆形連草,細辨之,實即"歸"字。蕭本、小曾戸摹寫本作"㴆"者,皆誤,今從原鈔作"歸"。《靈樞》、《甲乙經》均作"濕雨下歸"。
私の抱いている疑惑がどんなものかはわかるでしょう。それにそもそも,この脚注は誤解なんです。原鈔に書かれているのは,『玉篇』に「歸」の籀文として載る「㱕」です。

校正ミス

『太素』新校正p.180経脉標本の「手陽明之本,在肘骨中,上至別陽,標在頬下合扵鉗上。」に対する楊上善注「......上至臂𦠌,臂𦠌手陽明胳,名曰別陽,......」について,脚注で次のように言う。
上至臂𦠌,臂𦠌:「𦠌」爲「臑」俗字。原鈔二「臑」字,蕭本皆誤作「臑」。
何のことだか分かりますか。私には分かりません。

実は春に北京へ行ったときに,現地でなら安いからということで,王洪図・李雲重校の『黄帝内経太素』を買ってきました。その脚注は次のようになっています。
臂臑,臂臑:蕭本誤作「背臑背臑」。今據仁和寺原鈔改正。
これで,新校正の誤りは分かったけれど,新校正も重校本も同じ人が共編者なんですよ。新校正のほうが校正ミスが多いということですか。ちなみに例の校注だって,ここでは流石にミスしてない。
背臑 仁和寺本作「臂臑」,當從。下「背臑」同。

四季に応じて

順気一日分為四時篇では,冬は井を刺し,春は滎を刺し,夏は輸を刺し,長夏は経を刺し,秋は合を刺す。本輸篇ではその他に,春には絡脈や分肉の間に取り,夏には肌肉皮膚の上を取り,秋には(春と法の如しというから)絡脈や分肉の間も取り,冬には諸輸を取る。他の季節との釣り合いから,ここでいう冬の諸輸はたんにツボの意味のはずである。そして寒熱病篇にも、春は絡脈を取り、夏は分腠を取り、秋は気口(腕関節橈側とは限らず、一般に気の発する口だろう)を取り、冬は経輸を取るとある。これは本輸篇から順気一日分為四時篇を引いた結果とほとんど同じである。ここで冬の経輸もたんにツボの意味のはずである。これは多紀元簡がそのように説明している。
井滎輸経合に季節を配当した理屈は何か。井穴から陽気は始まり,滎輸と亢まっていく。冬至に一陽が生じ,春夏と度がすすんでいく。両者を重ね合わせれば季節の配当はなる。あるいは,寒熱病篇の冬の経輸を,井滎輸経合の経と輸と誤解した人が,いや冬なら井だろう,と改正したつもりかも知れない。
おもしろいことに,四時気篇では,春は絡脈分肉の間(王冰注に引くもので校正済み),夏は盛経孫絡,秋は経輸,冬は井滎である。春夏には部位を指定し,秋冬には井滎輸経合からの選択になっている。これは二つの試みの混交と思える。そして経輸は秋にまわして,冬に井が登場する。何とも四苦八苦のあとが露わ,といいたいところだけれど,実はこれは『素問』水熱穴論と基本的に同じである。
つまり、季節による施術の差を工夫した人は何人もいた。そして,もうしわけないけれど,その中の幾通りかは,やっぱりこじつけに過ぎないと思う。

偽科学

またまた,中国では中医学は偽科学であるとかないとか,かしましい,らしい。
だけど,例えば日本のいわゆる古典派の鍼灸で,例えばこれは肺虚証であって,だから手の太陰を補う,というのはともかくとして,肺は金であってその虚証だから,金の母である土も補うべきで,土は脾で,脾は足の太陰で,だから足の太陰も取る,なんてのはやっぱり偽科学でしょう。真の科学というためにはせめて,より親指側の太陰はより表層を主どるのではないかとか,手と足ではやはり手のほうが上半身を主どるのではないかとか,手足の同名経脈を併用すると効果が高まるのではないかとか,それくらいは検討しないとまずいだろう。そこから科学までの道のりも,結構有るとは思うけどね。
まあ,実際のところは,肺虚証に手足の太陰を取って効果が有るのは,そこそこ本当らしいから,それを陰陽五行説で説明したところで効果が減るわけのものでないのなら,いっそのこと「偽科学で何が悪い!」と,開き直ったほうがまだしもなのではないか。

宴席

中国料理というと,テーブルの中央の大皿から,各自の箸で取り分けて食べるものと,なんとなく思っていたけれど,これは違うかも知れない。少なくともより上等のより正式な宴席では違うらしい。明末の張岱『陶庵夢憶』の泰安州客店という記事に,泰山に香を進めた後の,いわば精進落としの宴会について,「賀亦三等:上者專席,糖餅、五果、十餚、果核、演戯;次者二人一席,亦糖餅、亦餚核、亦演戯;下者三四人一席,亦糖餅、餚核、不演戯,用彈唱。」とあります。専席であれば,当然ながら料理は一人分づつ,めいめいの卓まで給仕してくれるはずである。絵は『清俗紀聞』のもの,つまり右ページが上と次,左ページが下に相当する。
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『陶庵夢憶』の文も,『清俗紀聞』の絵も,以前から見ていたのだけれど,気がそこに無ければ気付かないということ。

危険な中国製品

中国製のペットフードの問題が,アメリカで騒ぎをおこしているくらいだったら,中国本土だって無事なわけはない,と思っていたら案の定,有りました。食品管理当局者の話として,「一部の業者が利潤追求第一の商売を続けている。二酸化硫黄を多く使えば,(キクラゲやシイタケの)色つやなどが良くなるからだ」というのが新聞に載ってました。そう言えば,平凡社・東洋文庫『東京夢華録』の訳注に,『清波雑志』に「淮河流域で取れた蝦米が薦包みで都に届くと,みな黒く干からびて無味だったが,小便に一晩つけて水洗いすると,新品のように赤いつやが出てきた」というのを引いてありました。むかしから,変わってないんだねえ。多分,何処の国も。

督脈命名別解

教科書的には,督脈の督は督率(取り締まり指導する)の督ということになっているらしいけれど,本当は違うんじゃないか。『玉篇』に督は「都谷切,正也,目痛也」とあって,同じ都谷切の字として𡰪というのも載っていて,䐁(豚ではない)の俗字である。そして「䐁 猪博切,尻也」とある。尻には臀部の他に,肛門の意味も有る。𡰪という文字の成り立ちからすると,おそらくは肛門であろう。従って,督脈は肛門から起こる脈だからという可能性が有る。
その他,衣偏がついた𧝴という字が有って,これは『広韻』に「衣背縫也」とあるから,督脈とは単に背中の正中線というだけのことかも知れない。ちなみに袵はエリであるが,古代の衣服の様子からすると前の正中線とも言えそうである。ただし,この𧝴と袵の両字の生まれたのと,督任の脈の命名と,いずれが前であるかは知らない。

須作依經法

巻21九鍼要道p.409
令各有形,先立『鍼經』,願聞其情。
楊上善注:爲前五法,必須各立形狀,立前五形之本,須作倣經法,故請先立鍼經,欲聞微鍼之情也。
新校正云:倣,日本摹寫本作「假」,與原鈔不合。
神麴齋云:原鈔はやはり「依」です。右側は巻14四時脈診「脉弱以滑,是有胃氣,命曰易治,趣之以時。」楊上善注「四時之脉皆柔弱滑者,謂之胃氣,依此療病,稱曰合時也。」の「依此療病」です。ここは新校正も「依」としています。また『北史』齊本紀・幼主に,濫挙の甚だしいのを嘆いて,「庶姓封王者百數,不復可紀。開府千餘,儀同無數。領軍一時三十,連判文書,各作依字,不具姓名,莫知誰也。」とあるらしい。これによって考えるに,「須作依經法」という句も可能ではないかと思う。

読めてしまう

杏雨書屋所蔵の『太素』がカラー印刷で出版されて,ときどき「美術鑑賞」の気分で眺めているんですが,今まで気付かずに,何の疑問も無く読んでいたところに,俗字が見つかります。例えば,散には少なくとも三通り有ります。勿論,普通の「散」も有ります。
多いのは「𣪚」で,これは『干禄字書』に散の俗として載っています。その他に攵が支に変わった「𢻎」も有ります。攵はもともとは攴ですから,支にごくごく近いけれど,原鈔では右肩に一点が有るのだから,うっかり支と書いたのではなくて,しっかりと支と書いたわけです。原鈔では「支」にも「岐」にも右肩に一点が有ります。攵の右肩に一点という例は,今のところ見つけてません。
つまり,『太素』の原鈔の(変な言い方ですが)原本が書かれた時代には,俗字がどんどん生まれていたわけですね。「𢻎」は,『漢語大字典』を繙いたところ,『正字通』に「散字之譌」と載っている,とだけありました。俗字としてもあまり認識されてなかったみたいです。それでも,何の疑問も無く読んでいた。漢字っておもしろいです。知らない文字も読めてしまうと言う融通性が有る。でも,どこかでとんでもない読み間違いをしているという恐れも有る。
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