靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

八脈交会穴

ある雑誌から,八脈交会穴について質問をいただいて,その質問自体には私は答えられないと言ったのですが,竇漢卿の『鍼経指南』に載っているもともとの「流注八穴」とは何であったのか,というようなことは考えてみました。
その苦し紛れの回答を,雑誌が引き取ってくれましたので,ここに詳しく書くのは憚られますが,簡単に言うと,これは手足を一対として取って卓越した治療効果を得ていたシステムではないか,そして実は手足を一対として取るシステムであるところの所謂「経絡治療」の先駆けではないか,と言うようなことです。
「流注八穴」には,奇経との関連なんてほとんど無いように思う。ただし,奇経の側から言えば,「流注八穴」を取り込まなければ,システムとしては何ほどのこともない。単に十二正経の他にさらに八つの奇経が有り,その流注と病証が有るというだけのことです。

6月の読書会

6月10日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの教養娯楽室。

『霊枢』は「順気一日分為四時」篇。
この篇には,五輸穴の使い分けといった要素が有ると思うので,『霊枢』の本輸篇、四時気篇、寒熱病篇,さらには『難経』六十八難などとの関連も考えてみたいと思っています。

循臂内上骨下廉

右は『明堂』に手太陰の脉の流注を述べるうちの,「循臂内上骨下廉」の「循」です。誤って「脩」と書いていると言って良いと思う。

循環

仁和寺本『太素』では,「循」と「脩」は極めて紛らわしいけれど,「循」が「脩」のようになってしまう過程の例を,永仁本『明堂』の序文の中に見つけました。「循環」だから「循」で間違いない。仁和寺本『太素』の「循」にも亻に従って「偱」と書かれているものは有る。
先ず,ノが丨に変わり,十はナに変わり,さらに目が月のように(月の末筆が大きくはねたように)書かれたら,もうこれはほとんど「脩」です。チか攵(末筆はさらに一となる)かの違いだけです。分かりますか。本当は右半上部は「脩」のほうが一画多い。本当は,ということです。実際の例ではチと書くべきところを,攵(末筆はさらに一となる)のように書いた例が多い。だから,新校正は一律に「循」の俗字と言い,時に「脩」の誤りと言うけれど,むしろ逆に,ほぼ一律に「脩」の俗字と言い,時に「循」の誤りと言ったほうがましなような気がする。

無という字の下部はレッカ(灬=火)かと思っていたら,違うみたいですね。『説文解字』にはそもそも無は載ってないようで,𣞣に「亡なり。亡に従い、無の声。无は奇字。无は元の通ずるものなり」と言うけれど,その篆体を見ると「亡に従い、橆の声」のようなんです。だから,無の下部はむしろ林。
魚という字の下部も火ではなくて,しっぽの形みたいです。だから,むしろ「𩵋」のほうが正しいのかも知れない。
なんでこんなことを言い出したかというと,『太素』巻21に,無の下部を炏と書いたものが有るんです。おいおい,レッカの四点は火の四画の変化じゃないのか,と思って調べたら,それどころではなかった。

去如絶絃

杏雨書屋蔵『太素』巻21の45行目,すなわち九鍼要道「去如絶絃」の楊上善注を翻字注では,次のようにしておいた。
得氣已去卽☐補☐☐補足☐
卽疾出鍼如絕絃者言其速也
缺巻覆刻は「即此補隂☐補得之」、新校正は「即与補洩行補洩已」に作る。今仔細に視るに、ほぼ確実な文字は翻字に示したものまでで、すなわち下から二番目が「𠯁」であるのはほぼ確実である。「𠯁」は「足」の異体字。
今,改めて検討するに,問題の部分は「即行補法行補足已」ではあるまいか。下の「已」の左下はおそらくはヲコト点である。問題はこの句が漢語としてまともかどうかに自信がない。

手陽明と少陽の大絡

『太素』巻九の經胳別異(新校正p149)に:
六經胳手陽明、少陽之大胳也,起於五指間,上合肘中。
楊上善注:
六陽胳中,手陽明胳,肺府之胳也;手少陽胳,三膲之胳也。手陽明大腸之經,起大指、次指之間,即大指、次指及中指内間,手陽明胳起也。手少陽經,起小指、次間,即小指、次指及中指外間,手少陽脉起也。故二脉胳起五指間也。
楊上善注の「手少陽經,起小指次間」の「次」の下に,恐らくは「指」字を脱している。蕭延平は補っている。新校正もそれに従うべきだと言う。
その他で気になるのは,次の「即小指、次指及中指外間,手少陽脉起也。」の「脉」字である。これは「胳」字の誤りではあるまいか。前の手陽明については,「即大指、次指及中指内間,手陽明胳起也。」としている。
つまり,手陽明と手少陽の経はそこから起こり,そして手陽明と手少陽の絡(胳)はここから起こる,と言っているのではあるまいか。
あるいはさらに,手陽明の経は大指と次指との間,手少陽の経は小指と次指との間から起こり,手陽明の絡(胳)は大指の次の指および中指との内間,手少陽の絡(胳)は小指の次の指および中指との外間から起こる,と言っているのではあるまいか。
してみれば,「手陽明大腸之經,起大指、次指之間;即大指次指及中指内間,手陽明胳起也。手少陽經,起小指、次指之間;即小指次指及中指外間,手少陽胳起也。」(陽明の経は親指と人差し指の間に起こり,絡は人差し指と中指の間に起こる。少陽の経は小指と薬指の間に起こり,絡は薬指と中指の間に起こる。)と解すべきではあるまいか。
問題は「即」字の用法に,「そして」あるいは「だからつまり」といったことが可能なのかどうか。
経文には,手陽明と少陽の大胳が五指間に起きると言う。楊上善の注文には,手陽明と少陽の二つの脉と胳,合わせて四条は五指間に起こると言っているらしい。経と注に齟齬は無いのか。

刀削

『霊枢』五変篇の一節を,渋江全善『霊枢講義』は「匠人磨斧斤,礪刀,削斲材木。」と句読しているようだが,誤りである。正しくは「匠人磨斧斤,礪刀削,斲材木。」(匠人は斧斤を磨き,刀削を礪ぎ,材木を斲る。)とすべきである。「削」はここでは竹簡や木簡の訂正すべき部分を削り取るための小刀,つまり「刀削」はカタナやコガタナ。この部分は『太素』に缺くので,銭超塵教授の意見が分からないのは残念だが,郭靄春教授の『霊枢校注語訳』はそのように断句している。流石だと思う。
ただし,自筆本の『霊枢講義』でも「削」の下に句読らしきものが見える。単なる汚れかも知れないし,抹消した句読の痕跡かも知れないけれど,訂正して打ちなおした朱点かも知れない。こうなってくると,影印を見たからといって安心はできない。朱墨が不明で困るのは,なにも王冰注ばかりではないということ。

なんじゃもんじゃ

ちょっと盛りはすぎてしまったけれど,金神社の「なんじゃもんじゃ」です。
nanjamonja.jpg
金神社の主祭神は景行天皇の皇女・渟熨斗姫命で,伊奈波神社の祭神である五十瓊敷入彦命の妻ということになっているけれど,神社の由緒書には、成務天皇の時代に物部臣賀夫良が国造として赴任して、ここに国府を定めて金大神を篤く尊崇したとも伝えられているらしい。金大神とは何か?ひょっとすると,新羅の金姓と関係が有るんじゃないか。渡来して定住した土地に祭祀の場を設けた。
そもそも朝鮮を蔑視するなんてことは,ごく歴史が浅い。江戸時代の通信使は人気のまとだったみたいだし,秀吉の侵略だって憧れの裏返しだったかも知れない。おおよそ侵略というのは憧れの地を求めて,ではなかったか。だから元寇も黄金の国ジパングを求めて,というのは,でも本当は違うみたいで,実は当時の地理認識に誤りがあって,日本列島はもっと南に偏在していると思われていたらしい。だから,日本を取れば元・朝鮮とで南宋を挟み撃ちにできると考えたのだ,という説を読んだことがある。つまり,本当は南宋の文化に憧れての侵略だった,というお話。

「なんじゃもんじゃ」は,朝鮮半島には多いらしい。ひょっとすると,渡来民が携えてきたんじゃないか。

考えてみれば亜米利加の中近東への侵略だって,憧れの地を求めてなんだろうけれど,石油という富に憧れてだからより下品です。元が宋に求めたのは文明,少なくとも高度な文明によって生み出された洗練された富だったであろう。少しは可愛げがある。侵略される側にしてみれば同じことですがね。

筆の勢いで......

これは批判ではなくて,大変だよね,というお話です。『太素新校正』p.145に次のような経文が有ります。たまたまここはユニコードに有る漢字しか使ってないので,厳密にこの通りです。
故本輸者,皆因其氣之實虛疾徐以取之,是謂囙衝而寫,囙衰而補,如是者耶氣得去,真氣堅固,是謂因天之序。
で,話題にしたいのは四つ出てくる因(囙)のことです。こんなのを書き分ける意義が有りますか。それはまあ確かに,『干禄字書』に「囙因 上俗下正」とは載っています。でもこれは大の ̄/\が筆の勢いでZのようになって,ついにコになっただけのことでしょう。画像には原鈔の四つの因だけを抜き出しました。二番目なんてまさにZじゃないですか。三番目は大の上部に剥落が有るだけで,そもそも因なのかも知れない。四番目は大がナ一になっているとも言えそうで,囗の中に士あるいはいっそ匕なんて俗字を生み出しかねない。一番目だけはまあ因だろう。だから,いろんな異体字のうちのどれがここには書かれているのか?なんて決めようがない,大変だよね,と言うこと。でもね,「本」は明らかに「夲」と書かれています。全巻を通してそうだと思う。どうでもいい,とは思うけどね。
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