郡上八幡・探鳥記
- 雑事
- by shenquzhai
- 2007/05/06
5月の連休に,古くからの友人と郡上八幡まで行ってきました。まだ郡上鮎は解禁前だし,牡丹鍋の季節は終わってしまったから,いま時分に行く物好きなんてそうはいまいと思っていたら,あまかった。高速八幡線も大渋滞で,予定の倍以上の時間がかかったし,で,だからまあ,到着後すぐに昼飯。どこもかしこも結構込んでいて,第三候補くらいに考えていた店に入りました。出てきたものには別に不満は無い。

街中もかなり混み合っていて,いったい何をしに来るんだろう?って新緑と清流を観るに決まっているんですがね,怠惰な私としては旧庁舎の川沿いに設けられたデッキからぼーっと眺めていれば満足です。
たぶん鷺だと思う。獲物を狙っている。静かに待ちかまえていて,いきなり飛びかかるつもりみたいだけど,行動を起こしたのはただの一度,それも見事に失敗して,両翼を大きく開いてあやうく体勢をたてなおしてました。けれども場所を移動したりはしません。やっぱりずーっとその場でかまえています。そのへんは,ジタバタしがちな私なんぞよりはずっと賢い。清流はまあこのくらい,のあとは慈恩禅寺の新緑です。池に大きくはりだしていた楓の大枝は,切られていました。これにはちょっとがっかり,かなりの減点です。で,寝そべる位置をいろいろに工夫して,いろんなアングルを試みるとか言いながら,じつは昼寝。新しい参観者があるたびに放送される庭の紹介テープを十数回聴いて,耳にたこができる,とノソノソと起き出して,はやばやと今宵の宿へ。ご夫婦だけでやっている一日限定一組の民宿です。二階の部屋にあがると中央のへやには朝晩は冷えることがあるということで一応炬燵が用意されていて,その他に多分4つの部屋がある。少人数では申し訳ないみたい。
で,炬燵のへやで寛いでいると,下で女将さんの子供を呼ぶような声がして,はて子供なんていたかしらと思ったら,階段づたいに手乗りの文鳥が飛び込んできました。なんでも,お客さんが大好きとかで,ちょっと油断すると挨拶に来てしまうとのこと。こちらも嫌いじゃないからとお相手していたら,このおじさんたちは遊んでくれると思ったらしい。容易には下へ帰ろうとしない。かなりのやんちゃ坊主でね,寄って来るくせに不用意に指を近づけようものなら噛みつかれる。(つつかれるの間違いじゃないよ,つつかれもするけどね。)要するに,僕のやりたいように遊ぶのっ!ということ。食事は一階の囲炉裏のへやで,山菜を中心に盛りだくさん。酒は青竹のかっぽ酒と岩魚の骨酒。我々は大満足なんだけど,文鳥くんは,なんで僕を仲間に入れないのか?!と,廊下でご不満のご様子。

と言うわけで,郡上八幡まで行って,鷺の漁を観察して,文鳥の坊やと遊んできました。

街中もかなり混み合っていて,いったい何をしに来るんだろう?って新緑と清流を観るに決まっているんですがね,怠惰な私としては旧庁舎の川沿いに設けられたデッキからぼーっと眺めていれば満足です。
たぶん鷺だと思う。獲物を狙っている。静かに待ちかまえていて,いきなり飛びかかるつもりみたいだけど,行動を起こしたのはただの一度,それも見事に失敗して,両翼を大きく開いてあやうく体勢をたてなおしてました。けれども場所を移動したりはしません。やっぱりずーっとその場でかまえています。そのへんは,ジタバタしがちな私なんぞよりはずっと賢い。清流はまあこのくらい,のあとは慈恩禅寺の新緑です。池に大きくはりだしていた楓の大枝は,切られていました。これにはちょっとがっかり,かなりの減点です。で,寝そべる位置をいろいろに工夫して,いろんなアングルを試みるとか言いながら,じつは昼寝。新しい参観者があるたびに放送される庭の紹介テープを十数回聴いて,耳にたこができる,とノソノソと起き出して,はやばやと今宵の宿へ。ご夫婦だけでやっている一日限定一組の民宿です。二階の部屋にあがると中央のへやには朝晩は冷えることがあるということで一応炬燵が用意されていて,その他に多分4つの部屋がある。少人数では申し訳ないみたい。
で,炬燵のへやで寛いでいると,下で女将さんの子供を呼ぶような声がして,はて子供なんていたかしらと思ったら,階段づたいに手乗りの文鳥が飛び込んできました。なんでも,お客さんが大好きとかで,ちょっと油断すると挨拶に来てしまうとのこと。こちらも嫌いじゃないからとお相手していたら,このおじさんたちは遊んでくれると思ったらしい。容易には下へ帰ろうとしない。かなりのやんちゃ坊主でね,寄って来るくせに不用意に指を近づけようものなら噛みつかれる。(つつかれるの間違いじゃないよ,つつかれもするけどね。)要するに,僕のやりたいように遊ぶのっ!ということ。食事は一階の囲炉裏のへやで,山菜を中心に盛りだくさん。酒は青竹のかっぽ酒と岩魚の骨酒。我々は大満足なんだけど,文鳥くんは,なんで僕を仲間に入れないのか?!と,廊下でご不満のご様子。
と言うわけで,郡上八幡まで行って,鷺の漁を観察して,文鳥の坊やと遊んできました。
『太素』巻8経脈連環「穀入於胃,脉道以通,血氣乃行。」の楊上善注「八體成美,經脉血氣遂得通行。」の「八體成美」を新校正は「人體成長」に作り、「人」字の起筆の処はなお残迹の尋ぬべきものが有ると言い、「八體成美」に作るものは甚だしい誤りであるなどと言うが、原鈔は明らかに「八體成美」である。「八」の起筆の処は「人」の起筆の処にとどいていないし、「美」は巻19知方地「美其食」の「美」と同じ。そもそもこれより前に、楊上善は一の精から八の毛髪まで数え上げているではないか。新校正の説は誤りも甚だしい。
『太素新校正』巻6蔵府応候は「皮緩腹果,腹果大者大腸大而長,皮急者大腸急而短。」p.98とするけれども,原鈔には実は代替符号が用いられていて,しかも果の下には代替符号は無い。従って「皮緩腹果腹果大者」ではなくて,「皮緩腹腹果大者」のはずである。しかしそれでは意味がよくわからない。ところで,この部分は『霊枢』では「皮緩腹裏大者」,『甲乙経』は「皮緩腹裹大者」に作る。してみると,「腹」の下の代替符号をいっそのこと「之」の誤りと考えてみてはどうだろう。そうすれば「皮緩,腹之果大者大腸大而長,皮急者大腸急而短。」まあ何とか意味はわかる。腹の果とはつまり腹裹で,蔵府つまり禁器をしまいこむ匣匱のごきものであって,皮の緩と急は結局のところ腹の大小で診ることになる。