靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

郡上八幡・探鳥記

5月の連休に,古くからの友人と郡上八幡まで行ってきました。まだ郡上鮎は解禁前だし,牡丹鍋の季節は終わってしまったから,いま時分に行く物好きなんてそうはいまいと思っていたら,あまかった。高速八幡線も大渋滞で,予定の倍以上の時間がかかったし,で,だからまあ,到着後すぐに昼飯。どこもかしこも結構込んでいて,第三候補くらいに考えていた店に入りました。出てきたものには別に不満は無い。
gujou01.jpg
街中もかなり混み合っていて,いったい何をしに来るんだろう?って新緑と清流を観るに決まっているんですがね,怠惰な私としては旧庁舎の川沿いに設けられたデッキからぼーっと眺めていれば満足です。
たぶん鷺だと思う。獲物を狙っている。静かに待ちかまえていて,いきなり飛びかかるつもりみたいだけど,行動を起こしたのはただの一度,それも見事に失敗して,両翼を大きく開いてあやうく体勢をたてなおしてました。けれども場所を移動したりはしません。やっぱりずーっとその場でかまえています。そのへんは,ジタバタしがちな私なんぞよりはずっと賢い。清流はまあこのくらい,のあとは慈恩禅寺の新緑です。池に大きくはりだしていた楓の大枝は,切られていました。これにはちょっとがっかり,かなりの減点です。で,寝そべる位置をいろいろに工夫して,いろんなアングルを試みるとか言いながら,じつは昼寝。新しい参観者があるたびに放送される庭の紹介テープを十数回聴いて,耳にたこができる,とノソノソと起き出して,はやばやと今宵の宿へ。ご夫婦だけでやっている一日限定一組の民宿です。二階の部屋にあがると中央のへやには朝晩は冷えることがあるということで一応炬燵が用意されていて,その他に多分4つの部屋がある。少人数では申し訳ないみたい。
で,炬燵のへやで寛いでいると,下で女将さんの子供を呼ぶような声がして,はて子供なんていたかしらと思ったら,階段づたいに手乗りの文鳥が飛び込んできました。なんでも,お客さんが大好きとかで,ちょっと油断すると挨拶に来てしまうとのこと。こちらも嫌いじゃないからとお相手していたら,このおじさんたちは遊んでくれると思ったらしい。容易には下へ帰ろうとしない。かなりのやんちゃ坊主でね,寄って来るくせに不用意に指を近づけようものなら噛みつかれる。(つつかれるの間違いじゃないよ,つつかれもするけどね。)要するに,僕のやりたいように遊ぶのっ!ということ。食事は一階の囲炉裏のへやで,山菜を中心に盛りだくさん。酒は青竹のかっぽ酒と岩魚の骨酒。我々は大満足なんだけど,文鳥くんは,なんで僕を仲間に入れないのか?!と,廊下でご不満のご様子。
gujou04.jpg
と言うわけで,郡上八幡まで行って,鷺の漁を観察して,文鳥の坊やと遊んできました。

句読に苦闘

『太素』巻8経脈病解
所謂邑邑不能久立坐,起則目𥇀𥇀无所見者,萬物陰陽不定,未有主也,秋氣始至,微霜始下,而方煞萬物,陰陽内奪,故曰目𥇀𥇀无所見也。
王洪図、李雲重校も銭超塵、李雲新校正も,上のように句読するが,これにはいささか疑問が有る。楊上善注に「故從坐起目𥇀无所見也」と言う以上は,「久立」の下で断句,「坐起」云々と続けるべきだろう。重校も新校正も楊注原鈔の「從坐起」の「從」は「久」の訛ではないかなどと言うが,言語道断である。ましてやこの経脈病解が解釈の対象としている経脈連環には「坐而欲起,起目𥇀𥇀,如无所見,」(下の「起」は原鈔では代替符号であり,また『霊枢』および『甲乙経』には無い。)とある。その楊注にも「今少陰病,從坐而起,上引於目,目精氣散,故目𥇀𥇀无所見也。」と説明するが,これについては重校も新校正も何ら疑問を呈していない。

しょうがい

お役所で,「障害者」を「障がい者」と書き改めるのが流行っているそうです。「害」という字がマイナスの意味を持つことを嫌ってのことだそうです。なんだか変だと思いませんか。医学領域で「しょうがい」といえば,「身体や臓器の機能が一部または全部損なわれた状態」で,本来の用字は「障礙」または「障碍」なんでしょう。その漢字を見慣れないことを嫌って書き改めて,今度は漢字のイメージを嫌ってひらがなですか。それはまあ「礙」(碍は異体字)も「さまたげる」という意味ですから,マイナスの意味を持つでしょうがね,「障」だって,この場合「さしつかえ」という意味でしょう。こっちのほうは気にしないんですかね。

『太素』と『霊枢』

こと古医籍に関して,今なにを弄んでいるかと問われれば,『太素』と『霊枢』,と答えています。ここでひょっとすると誤解されるかも知れないけれど,『太素』は校正しているのであって,読んでいるのは『霊枢』です。『霊枢』を,想像力の手綱をはなして読んでいます。ようするにどうなんだ?!とか,嘘ばっかり!!とかね。だから,時に突拍子もないことを言い出します。だから,その読む対象としてのテキストはしっかりさせておきたい,というわけで『太素』をしこしこと校正しています。

それで,何故に『素問』とか『霊枢』とか,いわゆる医経に拘るかというと,つまるところ「賢者の石」を追い求めているのかも知れない。

八體成美

『太素』巻8経脈連環「穀入於胃,脉道以通,血氣乃行。」の楊上善注「八體成美,經脉血氣遂得通行。」の「八體成美」を新校正は「人體成長」に作り、「人」字の起筆の処はなお残迹の尋ぬべきものが有ると言い、「八體成美」に作るものは甚だしい誤りであるなどと言うが、原鈔は明らかに「八體成美」である。「八」の起筆の処は「人」の起筆の処にとどいていないし、「美」は巻19知方地「美其食」の「美」と同じ。そもそもこれより前に、楊上善は一の精から八の毛髪まで数え上げているではないか。新校正の説は誤りも甚だしい。
また同じ箇所についての脚注が,王洪図、李雲重校の『黄帝内経太素』修訂版(科学技術文献出版社2005.5)では,
仁和寺原鈔「人」字第一筆略殘,故字形似「八」。今細辨之,其起筆處尚有殘迹可尋,故當作「人」字。小曽戸摹寫本作「八體成美」,誤也。
銭超塵、李雲校正の『黄帝内経太素新校正』(学苑出版社2006.6)では,
原鈔「人」字第一筆略殘,故字形似「八」。今細辨之,其起筆處尚有殘迹可尋,故當作「人」。日本摹寫本作「八體成美」,誤甚。
これによって思えば,そもそもこの脚注が銭超塵教授によるものなのかどうかもいささか疑わしい。『黄帝内経太素』修訂版の編者は,修訂にあたって銭教授の処で仁和寺本影印を見て,それを主校本としたとは言っているが,銭教授の説を採ったとは断ってないように思う。

太谿一穴

太谿は腎の原穴であり,腎は生命の根源であるから,太谿一穴で多くの病を治療できる,という論はもっともらしいが,実は古代医学の解釈において安易にすぎると思う。『霊枢』経脈篇にはそれぞれの脈について是動病が述べられている。是動病とはそもそも何か。これに答えるには,まず陰経脈の本質を考えたい。病にはある部位が動かないとか痛いとかの他に,ある意味で抽象的な身体不舒服な状態というものがある。それを,五行説の盛んな時代の風潮に則って,おおまとめに五つに分けて,さてそれを診断し治療するポイントを手足に求めて,腕関節と踵関節の付近に原穴を設定した。陰経脈とは原穴と五蔵を接続させる仮設の線条である。逆に言えば,あるポイントが搏動しているときに想定される病を是動病とし,つまり五蔵の病症とする。ポイントに術を施して,搏動をおさめることができれば,病もおさまるものと期待する。してみれば,是動病と原穴の主治症は,おおむね一致すべきである。ところが経脈篇で足少陰の是動病として挙げられる病症は二類で、前半は『甲乙経』では、むしろ照海、然谷、水泉、復留などに見える。すなわち照海に「面塵黒,病飢不欲食」とあり、然谷に「欬唾有血」と有り、「目盳盳」は水泉、復留に見え、「心如懸」は復留に見える。後半の気不足の場合の病症は、然谷の主治症中に多く見られる。すなわち『甲乙経』巻九・第五に「心如懸,哀而亂,善恐,嗌内腫,心愓愓恐,如人將捕之,多㵪出喘,少氣吸吸不足以息,然谷主之」とある。足少陰経脈発想の起点となったのは大谿とは限らない。したがって,腎が生命の根源であり,腎の脈は足少陰であるから,足少陰を運用して多くの病を治療できる,とはまでは何とか言えたとしても,それには太谿一穴を使えば良い,とまで言うのはいささか安易に過ぎると思う。ただし,安易であろうがなかろうが,こうと決めつければ効いてしまうのもまた事実であろう。断じて行えば鬼神もこれを避けるとは,臨床の世界においてもまた一つの真実である。

かんかんのう

落語の「らくだ」にでてくる「かんかんのう」が,明清楽「九連環」の替え歌であることは,インターネットのおかげで容易に知れた。(九連環は知恵の輪。)
看看兮 賜奴的九連環 九呀九連環 双手拿來解不解 拿把刀兒割 割不斷了也也呦
青木正児先生の訳では,
見やしやんせ 妾が貰うた九連環 両手に取り持ち 解けども解けず ホーカイ 小束で切ろうか 切れはせぬ 切れはせぬ
これが「かんかんのう」では,
かんかんのう きゅうれんす きゅうはきゅうできゅう さんしょならぇ さぁいほう しいかんさん びんびんたいたい やぁんろ めんこがこかくて きゅうれんそ
ところで,これの解説に「情緒的な歌詞とは似つかぬ卑猥な歌に変わった」というのが,どうにも分からない。そこでさらにいろいろ調べた結果,『曲亭雑記』に「かんかんのう踊唱歌の訳並ニ評」および「再評再訳附」を見つけました。そこに文句は少し違うが「かんかんのう」に漢字を当てたものが載っている。
看看阿 久阿恋思 久久恋思 久阿久恋思 三叔阿 財副 二官様 戒指大大 送你 面孔不好的 心肝 男根大 陰門好好
たしかにまあ......。

このあと,例によって滝沢解(曲亭馬琴)の考証癖が繰り広げられているわけだけれど,「再評再訳附」の末尾は依田百川の次のような評で締めくくられている。なるほど。
曲亭の博覧なるも,原文を見ざりければ,又さらに推量を加へて,その説益密にしてその訳ますます謬れり。これによって考れば,古の文章などに力を極めて考証を述るも実に中れりや否らずや,いとも危きことなりかし

もとうたの全文は:

看看兮。賜奴的九連環。九呀九連環。双手拿來解不解。拿把刀兒割。割不斷了也也呦。

誰人兮。解奴的九連環。九呀九連環。奴就與他做夫妻。他門是个男。男子漢了也也呦。

情過河。在岸的妹住船。妹呀妹住船。雖然與他隔不遠。閉了雙門難。難得見了也也呦。

變個兮。鳥兒的飛上天。飛呀飛上天。唭哩呱嚧落下来。還有一個春。春相會了也也呦。

雪花兮。飄下的三尺高。三呀三尺高。飄下一個雪美人。落在懐中抱。懐中抱了也也呦。

一更兮。好奴的爹爹呦。爹呀爹爹呦。二更等你不來了。三更鼓兒敲。敲不斷了也也呦。

四更兮。金鶏的報曉天。報呀報曉天。五更三點天明了。害得奴家想。想思病了也也呦。

唯佛明言

『太素』巻6首篇の「兩精相摶謂之神」に対する楊上善の注は,新校正では次のようになっている。(ただし,俗字は新校正の脚注に従っておおむね正字に改めた。)
即前兩精相摶,共成一形,一形之中,靈者謂之神者也,斯乃身之微也。問曰:謂之神者,未知於此精中始生?未知先有今來?荅曰:案此《内經》但有神傷、神去,并無神之言,是知來者,非同始生也。又案,釋教精合之時,有神氣來託,則知先有,理不虛也。故孔丘不荅。有知無知,量有所,唯佛明言,是可依。
中国の新式標点はよくわからないから棚上げにするとして,いくつかの文字は原鈔と異なると思う。「并無神灭之言」の「灭」は実は「死」であろうし,「量有所由」の「由」にはいささか疑問が有る。問答の部分を推測を交えて訳せば,次のようになるはずである。
問:これを神と謂うというけれど,それはここではじめて精の中から生ずるものなのか,それとももともと有ったものが今来るというのかがわからない。
答:この『内経』をしらべてみると,神が傷なわれるとか神が去るとかは有るけれど,神が死ぬという言葉は無い。だから来るというのは,ここではじめて生ずるというのと同じではないことがわかる。また釈教(仏教)をみてみると,精合のときに神気が来たり託すといっているから,つまりもともと有ったのだと考えるほうに,理があることがわかる。だから孔丘が,有るとか無いとかを答えないのには,たぶん理由が有るのだろう。ただ仏だけがこのことを明らかに説明している。これには従ってよい。
思うに,「神が死ぬという言葉は無い」では文意がよく通らない。新校正が誤り甚しいという蕭延平本の「生」には捨てがたいところが有るように思う。また「たぶん理由が有るのだろう」よりは「思うに理解の及ばないところが有るのだろう」のほうが良いだろう。「由」は何かの誤りではないか。如何。

なぜこれを話題にするかと言うと,楊上善は本物の道教の信者なのか,それとも建前としての道士なのかという疑問が有るんです。だってここでは仏教を持ち上げているみたいでしょう。
唐室は老子を遠祖として崇めたてまっていたから,出世の方便として道士になったのも結構いたようですからね。上善というのは『老子』第8章の「上善は水の若し,水は善く万物を利して而も争わず」から取ったのだろうから,ばりばりの道教的な名前だけれど,だから逆にあやしいような感じもする。もっともあの数多くの老荘哲学の研究は,生半可な態度では無理だろうがね。

5月の読書会

5月13日(日)午後1時~5時

場所はいつものところの教養娯楽室。

『霊枢』はたぶん「五変」から。

でも,杏雨書屋蔵の『黄帝内経太素』が出版されたことだし,その話題もね。

代替符号か之か

『太素新校正』巻6蔵府応候は「皮緩腹果,腹果大者大腸大而長,皮急者大腸急而短。」p.98とするけれども,原鈔には実は代替符号が用いられていて,しかも果の下には代替符号は無い。従って「皮緩腹果腹果大者」ではなくて,「皮緩腹腹果大者」のはずである。しかしそれでは意味がよくわからない。ところで,この部分は『霊枢』では「皮緩腹裏大者」,『甲乙経』は「皮緩腹裹大者」に作る。してみると,「腹」の下の代替符号をいっそのこと「之」の誤りと考えてみてはどうだろう。そうすれば「皮緩,腹之果大者大腸大而長,皮急者大腸急而短。」まあ何とか意味はわかる。腹の果とはつまり腹裹で,蔵府つまり禁器をしまいこむ匣匱のごきものであって,皮の緩と急は結局のところ腹の大小で診ることになる。
<< 31/50 >>