泰山山頂はいつも工事中
- 雑事
- by shenquzhai
- 2007/04/21

実はむかし,多分1988年か1989年の夏に一度,泰山には登ったことがあるんです。そのときは麓から中天門まで歩いて,力尽きてロープウエイに乗りました。その時の山頂の宿はたしか岱頂賓館,工事中でした。今回は,中天門までは登山バスでいって,全山停電でゴンドラが運休だったから,仕方がないから,先に歩いて登ったものを追いかけて,中天門から南天門までを歩きました。今回の山頂の宿は神憩賓館,やっぱり工事中でした。この二つの賓館,なんだか似たような位置に在る。で,インターネットでいろいろ調べてみると,あるWEBで玉皇廟を紹介した中に,「いま殿宇完好,辟して岱頂賓館と為す,1982年に宫の西に賓館楼を建て,1989年に改造,1990年に重新開業,神憩賓館と改称する」とあるのを見つけました。やっぱり,と思ってさらに調べたら,「神憩賓館は高いから,岱頂賓館に泊まった」という紀行文も見つけました。何が何だかさっぱりわかりません。

上はむかし飲んだビールと今回飲んだビールのラベル,やっぱり時代は移り変わってますねえ。どちらも泰山啤酒です。
王洪図、李雲重校の『黄帝内経太素』修訂版(科学技術文献出版社2005.5)と銭超塵、李雲校正の『黄帝内経太素新校正』(学苑出版社2006.6)には,そっくりなところが有るんですね。例えば巻21九鍼要道「取三脉者恇」の楊上善注に「恇,匡方反,怯也,氣少故怯。」とあって,王洪図、李雲重校の脚注に「仁和寺原鈔"匡"字漫漶,辨其殘筆,當作"匡"。盛文堂本、小曽戸摹寫本均作"區方反",恐未安。」と言う。で,銭超塵、李雲校正の脚注では,編集方針で原鈔の俗字を保存すると言っているからそれを説明した外には、仁和寺原鈔→原鈔,小曽戸摹寫本→日本摹寫本に改めて,恐未安でなく與原鈔殘筆不合と事実の紹介にとどめているくらいです。そっくりだと思いませんか。共編者が同じなんだから当然とも言えるけど。他に書きようがないかも知れないけど。



