靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

泰山山頂はいつも工事中

taishan-old.jpg
実はむかし,多分1988年か1989年の夏に一度,泰山には登ったことがあるんです。そのときは麓から中天門まで歩いて,力尽きてロープウエイに乗りました。その時の山頂の宿はたしか岱頂賓館,工事中でした。今回は,中天門までは登山バスでいって,全山停電でゴンドラが運休だったから,仕方がないから,先に歩いて登ったものを追いかけて,中天門から南天門までを歩きました。今回の山頂の宿は神憩賓館,やっぱり工事中でした。この二つの賓館,なんだか似たような位置に在る。で,インターネットでいろいろ調べてみると,あるWEBで玉皇廟を紹介した中に,「いま殿宇完好,辟して岱頂賓館と為す,1982年に宫の西に賓館楼を建て,1989年に改造,1990年に重新開業,神憩賓館と改称する」とあるのを見つけました。やっぱり,と思ってさらに調べたら,「神憩賓館は高いから,岱頂賓館に泊まった」という紀行文も見つけました。何が何だかさっぱりわかりません。
taishan-beer.jpg
上はむかし飲んだビールと今回飲んだビールのラベル,やっぱり時代は移り変わってますねえ。どちらも泰山啤酒です。

楊上善は楚人ではない?

『太素』巻9経脈正別に「十二經脉者,此五藏六府之所以應天道也。夫十二經脉者,人之所以生,病之所以成,人之所以治,病之所以起,學之所始,工之所止也,粗之所易,工之所難也。」とあって,「粗之所易」の楊注に「愚人以經脉爲易,同楚人之賤寳也。」(愚人の経脈をもって易となすは,楚人の宝を賤しむと同じ)と言い,「工之所難也」の楊注に「智者以經脉爲妙,若和璧之難知也。」(知者の経脈をもって妙となすは,和璧の知り難きがごとし)と言う。これには「和氏の璧」の故事が用いられている。『韓非子』第十三篇「和氏」に:
楚人の和氏,玉璞を楚山の中に得,奉じてこれを厲王に献ず。厲王,玉人をしてこれを相せしむ。玉人曰く:石なり,と。王,和を以て誑と為して,その左足を刖る。厲王の薨ずるに及び,武王即位す。和,またその璞を奉じてこれを武王に献ず。武王,玉人をしてこれを相せしむ。また曰く:石なり,と。王,また和を以て誑と為して,その右足を刖る。武王薨じ,文王即位す。和,乃ちその璞を抱きて楚山の下に哭すること,三日三夜,泣尽きてこれに継ぐに血を以てす。王これを聞き,人をしてその故を問わしめて曰く:天下の刖らるるものは多し。子,なんぞ哭することの悲しきや?と。和,曰く:吾は刖らるるを悲しむに非ざるなり。かの宝玉にしてこれに題するに石を以てし,貞士にしてこれに名づくるに誑を以てするを悲しむ。これ吾が悲しむ所以なり,と。王,乃ち玉人をしてその璞を理せしめて宝を得たり。遂に命じて,和氏の璧と曰う。
これによって思うに,楊上善は楚人ではなかろう。たとえ和氏もまた楚人であるにせよ,このような楚人を馬鹿にしたような故事を,楚人がわざわざ使うわけはない,と常識的には考える。

重校と新校正と

王洪図、李雲重校の『黄帝内経太素』修訂版(科学技術文献出版社2005.5)と銭超塵、李雲校正の『黄帝内経太素新校正』(学苑出版社2006.6)には,そっくりなところが有るんですね。例えば巻21九鍼要道「取三脉者恇」の楊上善注に「恇,匡方反,怯也,氣少故怯。」とあって,王洪図、李雲重校の脚注に「仁和寺原鈔"匡"字漫漶,辨其殘筆,當作"匡"。盛文堂本、小曽戸摹寫本均作"區方反",恐未安。」と言う。で,銭超塵、李雲校正の脚注では,編集方針で原鈔の俗字を保存すると言っているからそれを説明した外には、仁和寺原鈔→原鈔,小曽戸摹寫本→日本摹寫本に改めて,恐未安でなく與原鈔殘筆不合と事実の紹介にとどめているくらいです。そっくりだと思いませんか。共編者が同じなんだから当然とも言えるけど。他に書きようがないかも知れないけど。
ちなみにこの脚注は誤りで,本当はやっぱり「區方反」だと思いますよ。原鈔は「區」の上部横棒にノを増画した俗字であって,原鈔では「歐」の左旁もこのように書かれている。新校正も「歐」については「匡」に「欠」などとは言わない。同じように誤るのを,偶然と言うのもねえ。

巻16虚実脉診「行步恇然也」の楊注には「恇,■方反,怯也」として,重校脚注に「"■",當作"偘"字。與"侃"同。《玉篇・人部》:"偘",同 "侃"。」,あるいは新校正脚注に「"■"爲"偘"俗字,與"侃"同。《玉篇・人部》:"偘",同"侃"。」と言う。脚注は恐らくは誤りである。■は臨の右半の形。原鈔では「區」字は横「一」に「ノ」を増画している。ここではさらに「乚」が省略されているのだろう。

関帝聖迹図

曲阜の新華書店で買った本のなかに,『関帝聖迹図』というのがあります。なんで曲阜で関羽かというと,孔子は「文聖」,関羽が「武聖」なんだそうです,というのは嘘で,本当は偶然です。古い木刻画にひかれただけです。
20070417-1.jpg
ところが仲間に,華陀が格好良くないと言われてしまいました。図は華陀が関羽の矢傷を治療中で,主役は勿論関羽なんだけど,華陀だってまあ良い役回りだと思いますよ。この図だって結構いい感じなんだけれど,『四大奇書第一種』(明羅本撰 清毛宗崗評 江南省城敦化堂刊本同志堂蔵版)に比べると,好みにもよるけれど,やや拙なのかなあ。
20070417-2.jpg
こちらには,曹操の侍医になるのをこばんで,捕らえられたところもある。これは場面としては,あんまり格好良くないねえ。
20070417-3.jpg
続きを読む>>

杏雨書屋蔵の『太素』

杏雨書屋蔵の『黄帝内経太素』巻21と27の影印がついに出版されました。みごとな出来映えです。現物よりも寧ろ見やすいかも知れない。翻字を担当しておいてこんなことを言うのもなんだけど,翻字注で「こうでもあろうか」と言っておいたところも,図版を見ると自信をもって「こうである」と言えそうです。
20070415.jpg
ただ,それにしても「非売品」限定三〇〇部です。主立った研究機関には一応行き渡るだろうけれど,秘かに研究しているというレベルでは手に入れそこなう人も多そうです。だから,この記事は見せびらかしです。

酒餘茶後

《漢語大詞典》云:
【酒餘茶後】 指隨意消遣的空閑時刻。魯迅《集外集拾遺・帮忙文學與帮閑文學》:"但依我們中國的老眼睛看起來,小説是給人消閑的,是爲酒餘茶後之用。" 亦作"酒後茶餘"。老舎《青蛙騎手》第二場:"人人都會在你身後指指點,拿你呀當作酒後茶餘的小笑話。"
 或作【茶餘酒後】

得気

またぞろ得気は術者のものか患者のものかと,かしましいけれど,本来は施術の信号がたしかに到達したとか,それに応じてたしかに身体が反応したとか,いう意味のはずではないか。はたからそれがわかるかどうかは二義的なものだと思う。それはまあ,我々は術者の立場にいるのだから,やった行為が有効であったかどうかに無関心ではいられない。けれども厳密にいえば,有効であるのと,術者が有効であるはずだと自己満足するのとは別である。それは確かに,患者にそれがわかるかどうかは,さらに別物であるにちがいない。神経を刺激して患者にギャッといわせることが得気であろうはずがない。
得気は患者の身体が確かに反応したかどうかが問題であり,術者はそれを確認できなければならない。自明のことである。なにもいまさら喋々する必要はない。ましてや,「最近は中国の優れた施術家も,得気は術者のものと言い出した」などと悦にいるのは,他国の人がどう思うかをやたらと気にする日本人特有の(でもないかも知れないが)感情に過ぎないのではないか。

旧暦に寄り添う暮らし

「旧暦に寄り添う暮らし」には賛同するけれど、
骨、脳、肺。人間の体を表す漢字に"月"が多いのも、生理の月の周期と同じであるのも、旧暦が人間のリズムに合っているのを示している。
には絶句。馬鹿じゃなかろか。

加納城の桜

20070408.jpg
8日の読書会の前に,加納城跡で花見をしてきました。
今年は咲いてからまた寒くなったので,なんとか間に合いました。

タイザン鳴動

ちょっと気になって調べてみたんですが、泰山鳴動なのか大山鳴動なのか。タイザン鳴動してネズミ一匹というのは、中国の諺じゃなくて、ましてや日本の諺じゃなくて、出典はホラーティウスの『詩論』で、ギリシアの諺「山が産気づいた。そして鼠一匹を生み落とした」にもとづくものらしい。とするとその山はギリシャのオリンポスである可能性が高くて、東洋に訳し移せばやっぱり泰山でしょう。多分、明治の漢学の素養のある人が訳したんでしょうから。

これ本当は泰山の山頂のホテルで書き込むつもりだったんだけど、さきの紀行文のような事情でダメだったんで,いま書き込んでおきます。
<< 32/50 >>