靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

楊上善は楚人ではない?

『太素』巻9経脈正別に「十二經脉者,此五藏六府之所以應天道也。夫十二經脉者,人之所以生,病之所以成,人之所以治,病之所以起,學之所始,工之所止也,粗之所易,工之所難也。」とあって,「粗之所易」の楊注に「愚人以經脉爲易,同楚人之賤寳也。」(愚人の経脈をもって易となすは,楚人の宝を賤しむと同じ)と言い,「工之所難也」の楊注に「智者以經脉爲妙,若和璧之難知也。」(知者の経脈をもって妙となすは,和璧の知り難きがごとし)と言う。これには「和氏の璧」の故事が用いられている。『韓非子』第十三篇「和氏」に:
楚人の和氏,玉璞を楚山の中に得,奉じてこれを厲王に献ず。厲王,玉人をしてこれを相せしむ。玉人曰く:石なり,と。王,和を以て誑と為して,その左足を刖る。厲王の薨ずるに及び,武王即位す。和,またその璞を奉じてこれを武王に献ず。武王,玉人をしてこれを相せしむ。また曰く:石なり,と。王,また和を以て誑と為して,その右足を刖る。武王薨じ,文王即位す。和,乃ちその璞を抱きて楚山の下に哭すること,三日三夜,泣尽きてこれに継ぐに血を以てす。王これを聞き,人をしてその故を問わしめて曰く:天下の刖らるるものは多し。子,なんぞ哭することの悲しきや?と。和,曰く:吾は刖らるるを悲しむに非ざるなり。かの宝玉にしてこれに題するに石を以てし,貞士にしてこれに名づくるに誑を以てするを悲しむ。これ吾が悲しむ所以なり,と。王,乃ち玉人をしてその璞を理せしめて宝を得たり。遂に命じて,和氏の璧と曰う。
これによって思うに,楊上善は楚人ではなかろう。たとえ和氏もまた楚人であるにせよ,このような楚人を馬鹿にしたような故事を,楚人がわざわざ使うわけはない,と常識的には考える。

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