靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

得気

またぞろ得気は術者のものか患者のものかと,かしましいけれど,本来は施術の信号がたしかに到達したとか,それに応じてたしかに身体が反応したとか,いう意味のはずではないか。はたからそれがわかるかどうかは二義的なものだと思う。それはまあ,我々は術者の立場にいるのだから,やった行為が有効であったかどうかに無関心ではいられない。けれども厳密にいえば,有効であるのと,術者が有効であるはずだと自己満足するのとは別である。それは確かに,患者にそれがわかるかどうかは,さらに別物であるにちがいない。神経を刺激して患者にギャッといわせることが得気であろうはずがない。
得気は患者の身体が確かに反応したかどうかが問題であり,術者はそれを確認できなければならない。自明のことである。なにもいまさら喋々する必要はない。ましてや,「最近は中国の優れた施術家も,得気は術者のものと言い出した」などと悦にいるのは,他国の人がどう思うかをやたらと気にする日本人特有の(でもないかも知れないが)感情に過ぎないのではないか。

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