靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

関帝聖迹図

曲阜の新華書店で買った本のなかに,『関帝聖迹図』というのがあります。なんで曲阜で関羽かというと,孔子は「文聖」,関羽が「武聖」なんだそうです,というのは嘘で,本当は偶然です。古い木刻画にひかれただけです。
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ところが仲間に,華陀が格好良くないと言われてしまいました。図は華陀が関羽の矢傷を治療中で,主役は勿論関羽なんだけど,華陀だってまあ良い役回りだと思いますよ。この図だって結構いい感じなんだけれど,『四大奇書第一種』(明羅本撰 清毛宗崗評 江南省城敦化堂刊本同志堂蔵版)に比べると,好みにもよるけれど,やや拙なのかなあ。
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こちらには,曹操の侍医になるのをこばんで,捕らえられたところもある。これは場面としては,あんまり格好良くないねえ。
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華陀はどうして曹操に殺されたか。華陀が関羽の矢傷を治療したことがあったから,それで華陀は蜀に心をよせるものであって,折りあらば治療にことよせて曹操を暗殺しようと企んでいる,と邪推された。なんていうのは『三国演義』における小説的趣向であって,華陀が死んだのは,関羽の矢傷の前らしい。つまり,治療したのは別の医者であった。
実は医は賎業である。華陀は医学の心得はあったけれど,本人としては士人のつもりで,だから当然,士人として曹操に仕え,士人として出世するつもりであった。ところが,曹操には単なる医者ー技術者として扱われた。そこで,逃げ出した。そこで曹操はそれを,恐らくは,分に過ぎた行為と考えた。
実は曹操も華陀も,同じく沛国譙県の出身なんです。ここらに秘密があるんじゃなかろうか。華陀は同郷の曹操に期待するところがあった。ところが曹操はそれに応えなかった。賎業の出身のものは,所詮は賎業者である,と。

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