靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

月下美人

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花言葉:繊細,はかない美,はかない恋,つかのまの快楽,艶やかな美人,......妖怪。
中国の伝奇に美女がでてきたら,たいていは幽霊か妖怪である。

日進月歩

現代医学は日進月歩で,ついこの間まで不治とされていたものが,それほどまで絶望することはない,という。無論結構なことである。しかし,考えてみると,最先端の知識に基づいて摂生,治療していたのが,人の短い生涯の間に何度も覆されて,そんなことをしていたから病気になった,かえって良くなかったなどと言われたのではたまらない。卑近な例で,スポーツ選手が途中で水分を補給することは,ついこの間まで禁じられていた。これはコーチの精神主義,根性論が元凶だったのであろうが,すくなくともスポーツ医学による指導が根性論を打破するには無力だったということである,ついこの間までは。これでは熱中症で死んだ子供は浮かばれない。ひどい腰痛にはさっさとメスを入れるというのも30数年前には先端的な考えだったそうです。でもだいぶ前から反省が有って,むやみにメスを入れないというのが現在の先端的な考えだそうです。むかし最先端に走った人には取り返しがつかない。虫垂炎も,虫垂なんてものは人間にとって無用であるから,疑わしければ切除しておけ,というのが常識であった。明日から(盆休みとか年末年始の)休暇に入るから,今日の内に手術してしまう,なんてことも別に批判の対象にはならなかった。でもね,手術の痕が季節の変わり目に,やっぱり痛むんだそうです。なんとなく不調なんだそうです。そこで,不要な手術はするな,虫垂炎も散らせるんだったら散らし切れ,という傾向もぽちぽち出てきたそうです。虫垂炎の手遅れで亡くなる,なんてこともついこの間までは有ったんですから,疑わしければ切除してしまえという方針を今更批難するのもなんだけど,どうして手術なんかしたの?と同情される日ももうそこまで来ている。

日進月歩しない医学というのも,案外すてたものではないかも知れない。

發蒙解惑

「發蒙解惑」ということばが,『素問』にしばしば登場する。例えば,挙痛論に「今日發蒙解惑。藏之金匱。不敢復出。」とある。他の箇所も通して,概ね「耳目の蒙(覆いかくすもの)を発し(ひらき),心の惑(まどい)を解すれば(ときはなてば),真理はそれ自体の力によって,豁然と悟られるものである」というような意味合いである。この言い方は医書以外にもしばしば用いられている。
それでは,『霊枢』刺節真邪篇に『刺節』の言として挙げられる振埃、發矇、去爪、徹衣、解惑のうちの二つと共通するのは何故か。思うに,現代の鍼灸治療では,その施術方針は補と瀉に覆われているが,『霊枢』経脈篇あたりでは,「盛則寫之,虛則補之,熱則疾之,寒則留之,陷下則灸之,不盛不虛,以經取之。」と,もう少しひろい。あるいはもう一つ,それとはやや次元の異なる治療の大方針があったのではなかろうか。刺節真邪篇ではそれがすでに具体的な刺法の説明となって,ある意味では矮小化されている。
また去爪については,刺節真邪篇に相当する『太素』五節刺の楊上善注に「或水字錯爲爪字耳」と言う。しかし,『霊枢』五禁篇に發矇、解惑とならんで去爪も登場し,「戊己日自乗四季,無刺腹去爪寫水。」とある。すでに「去爪寫水」と言うからには,去爪が去水の誤りだとすると,その誤られた時期は相当に古いことになる。

そこであるいは,医療とはそもそも何をしようとすることであるか,というような哲学的なまとめが嘗て試みられ,そしてまとめきれなかった。あるいは定着しなかった。

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『説文解字』云:木菫なり。朝に華さき莫に落つる者なり。艸に従い,䑞の声。詩に「顔は蕣華の如し」と曰う。

所發者廿六穴

『太素』巻11気府に「手太陽脉氣所發者廿六穴」とあるけれど,そもそも楊上善が「卅錯爲廿字也」と注しています。だから楊上善が挙げる穴も,「上天容四寸各一」のところで具体的な穴名を挙げずに簡略に「左右八穴」と言うけれど,合計して三十六穴になるように考えている。『素問』気府論では経文も「三十六穴」で,王冰の注も当然そのように数え挙げる。
でも,これはちょっとおかしい。「上天容四寸各一」を「左右八穴」,「肩解下三寸者各一」を「左右六穴」と解すれば,確かに合計は「卅六穴」になるが,もし「上天容四寸各一」を左右二穴,「肩解下三寸者各一」を左右二穴と解すれば,「廿六穴」のままでかまわない。
他の脈で,一句で数穴を挙げるときには,例えば足陽明で「下齊二寸俠之各六」といっている。ここの手太陽でも最後の「肘以下至于手小指本各六輸」は同文例である。「上天容四寸」と「肩解下三寸」については,明らかに「各一」というのであるから,左右に一穴づつである。
「上天容四寸」が今いうところのどの穴であるかは確定し難い。当時はまだ命名されてなかったのだろう。そこで『霊枢』本輸では足少陽というところの天容から上ると記述した。「肩解下三寸」もほぼ同様な意味合いだろう。肩関節の下三寸である。

次の手陽明では「鼻穴外廉頂上各一」を,『素問』気府論は「鼻空外廉頂上各二」に作っている。外廉と頂上である。それで計算はあう。手少陽では『太素』は三十三穴とするから,「項中足太陽之前各一」を楊上善は大椎一穴と大杼二穴とするが,『素問』気府論は三十二穴であり,王冰は風池二穴とする。「肩貞下三寸分間各一」については,一寸ごとの分間に各一と解すれば,左右六穴でそう問題はないだろう。もし「肩貞下三寸分間各一」を「肩貞の下三寸のところの分肉の間に各一」と解すれば,やっぱりこれも左右二穴で,総計は楊注にいう「一曰廿八」となる。
前の足少陽に至っては,そもそも『素問』と挙げる穴位も総数も異なるから論じにくい。「掖下三寸脅下下至胠八間各一」を,その範囲内の八つの間に在ると解すれば,左右で十六のはずであるが,掖下三寸に一つと,その下の八間にそれぞれ一つならば十八である。王冰はそのように解している。『太素』の現文で,「髀樞中傍各一」を左右で二つと考えれば,この計算法で四十六となり,経文の五十二には六つ足りない。ただ,『素問』気府論には『太素』には無い「直目上髮際内各五」,「耳前角下各一」,「鋭髮下各一」,「耳後陷中各一」が有る。これらを塩梅すれば,五十二にならないことも無い。

しょうがない

党籍を剥奪されて悲惨な目に遭いそうだが,それで選挙がなんとかなるんだという頭の整理で,しょうがないなと思っている。それに対して党を恨むつもりはない。(某大臣)

矩を踰えて

 医古文を通して考証学の方法を知り,それによって医学経典著作を読み直す。これが我々のグループ,さらには近年の日本に於いて,「古典を読む」ということであった。しかし,この堅実な道の先に,はたして果実は豊かに熟れていたか。甘いにせよ酸いにせよ,それをただ眺めているわけにはいかない。果実に手をさしのべるためには,矩を踰える必要が有るのではないか。例えば『霊枢』九針十二原篇の十二原に関する内容は,『太素』巻21の諸原所生に在って,『霊枢』で読む場合とは異なったまとまりを持っている。つまり,元来の「原」の意味は,現在の常識とは異なるのではないか。それを突きとめることには,必ずや意義が有る。矩を踰えることにも,あるいは情状酌量の余地は有るかも知れない。
五藏有六府,六府有十二原,十二原出于四關,四關主治五藏,五藏有疾,常取之十二原。十二原者,五藏之所以稟三百六十五節氣味者也。五藏有疾也,應出于十二原,而原各有所出,明知其原,覩其應,而知五藏之害矣。
 ここで言われていることを要約すれば,四関(両腕,両踵関節)に原が有り,それは五蔵の病の診断点であり,治療点であるというだけのことである。実質的には六府の原のことは言ってない。とすると,六府云々は衍文であろうし,十二原云々には誤りが有るに違いない。十二原が四関に出るとあるが,どう考えても四関に出るのは十原である。「十二原而原」を,『霊枢』では「十二原二原」に作る。これは「而」と「二」が同音であるからの紛れだろう。もしこの「二」字が,実はさらに代替符号(重文符号)であったとすれば,下の「原」字は衍文と考えて,「十〃原〃」乃ち「十原十原」となる。前の「十二原十二原」もこれに準じて考える。
陽中之少陰,肺也,其原出于大淵,大淵二。陽中之大陽,心也,其原出于大陵,大陵二。陽中之少陽,肝也,其原出于大衝,大衝二。陰中之大陰,腎也,其原出于大谿,大谿二。陰中之至陰,脾也,其原出于大白,大白二。
 五蔵の十原である。何も言うべきことは無いように思える。しかし,少し待ってもらいたい。実は九針十二原篇の九針の用法は一つの例外も無く病所に施すものである。しかるに原穴はいずれも腕踵関節部に在る。本当にそうなのか。ここで陽中とか陰中とか言うのは,躯幹に於ける部位の陰陽である。手、足の経脈に位置するから陰陽と言うわけではない。「陽中之少陽」の陽中を『霊枢』や『甲乙経』に従って「陰中」に改めるべしという意見も有るが,それは原穴が腕踵関節部に在るというのが常識になってからの改訂ではないか。躯幹に於いては,何処に陰陽の境を設けるかによって,肝の位置の表現には微妙なところが有る。

 お気づきいただけたかと思うが,ここで実は突飛なことを言っている。五蔵の十原は,もとは躯幹に在ったのではないか,と。
 『素問』三部九候論では,上部は対象の脈動を直接診るが,中部と下部では手足の五陰経脈で診ることになっている。しかし,それはもともとの方法ではなかったはずである。中下に手足の経脈を配した文章は,『太素』では篇末に在るし,『素問』でさえ実は宋改の際に移動させたと新校正は告白している。つまり,実は後人による解釈あるいは工夫のひとつではないかと思われる。どうして手足に移したのか。これには、臨床での都合が関わってる。古代の患者は医者よりも目上であることが多かった。王侯貴族にむかって、いきなり胸を出せ腹を見せろとは言いにくかろう。針具も今のものよりも粗大であった。五蔵の付近への施術には危険も伴ったろう。そこでそれらを回避する方法を求めて、誰かが偶然にか、あるいは熱心に捜してか、五蔵の異常に際しては、腕踵関節付近に特異点が生じることを発見した。そこで、その特異点の異常を何らかの方法で是正することができれば、躯幹に生じ五蔵に関連づけられた症候も軽減されるのではないかと考えた。また実際にそこそこ以上の実績を達成した。
 原穴を四関に移動させたことの意味は甚大であって,あるいは経脈説が成立するための一大契機であったかも知れない。此処と彼処が連動するのであれば、その間が真空であるわけがない。そこで五蔵と特異点をつなぐモノとして陰経脈が設定され、特異点は五蔵の原穴となった。しかし,馬王堆帛書に於ける五蔵と経脈の関連の薄さ,あるいはまた九針十二原篇の九針の用法がすべて局所施術であることからすると,「四關主治五藏」の認識は意外に新しいのかも知れない。
 また,三部九候診は『霊枢』には無いとか,早期に滅んだとかいうのが常識とされるが,上記のような考え方によれば,もともとは募穴診に近いものであったろうし,原穴診ならば現在でも用いる人は有る。
鬲之原,出于鳩尾,鳩尾一。肓之原,出于脖胦,脖胦一。
 残りの二つの原について,膏とか肓とかの説明は教科書に任せるとして,実は局所を対象にしている。膏の原と肓の原の用法については,四時気篇に記載が有る。邪が大腸に在るときには膏の原(『霊枢』四時気篇では「肓之原」に作るが,誤りのはずである。『太素』は「賁之原」に作り,楊上善注に「賁は,膈であり、膈の原は鳩尾に出る」と言っている。)と巨虚上廉と三里を刺せと言い,邪が小腸に在るときには肓の原と巨虚下廉を取れと言っている。これを邪が大腸あるいは小腸に在る場合の使い分けと考えれば,膏の原は大腸と,肓の原は小腸と関係が深いと言えそうである。大腸に在る場合に胃の下合穴である三里も刺せと言うところからすれば,膏の原は大腸と胃に関わると言うべきかも知れない。いずれにせよ,現場主義と言って良い。
 それでは上腹部と下腹部に在る膏、肓の原は,どうして下肢に移動しなかったのか。おそらくはそこにはすでに府の下合穴が有ったからであろう。そこで上腹部に問題がある場合には鳩尾を取り,下腹部に問題がある場合には脖胦を取って,下肢の下合穴と対にするという定式が成立した。
凡此十二原者,主治五藏六府之有疾者也。
 これは五蔵の十原と膏、肓の原をとりまとめて編集したときのものだろうから,「十二原」で良い。また言い換えれば,膏、肓の原が「六府之有疾者」を主治する。つまり,ここまでに挙げた十二原と篇末の三里および陰陽の陵泉とには,少なくとも編者にとっては,価値に微妙な差は有る。
脹取三陽,飡洩取三陰。
 脹満と飧泄が『霊枢』諸篇にしばしば対挙されることからすれば、ここでも上腹と下腹の主たる症状を挙げたのかもしれない。脹満に上腹の鳩尾を刺し,飧泄に下腹の脖胦を取ると言いたいところである。ただし、そうなると,「三」字には何かの誤りである可能性が出てくる。
 実は四時気篇には飧泄に「三陰之上」と「陰之陵泉」を補うという記述もある。楊上善は三陰の上を関元穴と解しているが,これもあるいは脖胦と解すべきかも知れない。してみると府の原穴と府の下合穴という組み合わせは、腹部の原穴と下肢の合穴という組み合わせまで拡張できそうである。
今夫五藏之有疾也,譬猶刺,猶汚也,猶結也,猶閉也。刺雖久,猶可拔也;汚雖久,猶可雪也;結雖久,猶可解也;閉雖久,猶可决也。或言久疾之不可取者,非其說也。夫善用鍼者,其取疾也,猶拔刺也,猶雪汚也,猶解結也,猶决閉也,疾雖久,猶可畢也。言不可者,未得其術也。
 こういう大げさな文章は、概ね宣伝文句のようなもので、大して実際的な意味は無かろうが,ここでは提唱した五蔵の原穴の威力の宣言である。それにしてもやはり,五蔵の原穴は別格なのである。
刺熱者,如以手探湯;刺寒凊者,如人不欲行。
 ここの針の手技の要諦は,九針十二原篇の冒頭に述べられている気血に対する補写とは異なる。対象が熱であるか寒であるかによって,速刺速抜か徐刺徐抜かを選択する。他の篇にも診断の大枠として,気血の多少ばかりでなく寒熱を考えていることはかなり有る。より原始的とは言われるかも知れないが,捨てたものでもない。
陰有陽疾者,取之下陵三里,正往無殆,氣下乃止,不下復始。
 脹論に「三里而寫,近者一下,遠者三下,毋問虚實,工在疾寫。」とあるのが,頗る似通っている。治療の要点は速やかに瀉すに在り,その目標は足の三里である。また,そこで岐伯は「脹者,皆在於府藏之外,排藏府而郭胸脇,脹皮膚」云々と説明しているが,これと「陰有陽疾」との折り合いはもう一つはっきりしない。
疾高而内者,取之陰之陵泉;疾高而外者,取之陽之陵泉。
 四時気篇の「飧洩には,三陰の上を補い,陰の陵泉を補う」という記載を基として,『明堂』などの主治を考察すると,脹満に陽陵泉,飧泄に陰陵泉という使い分けが成立する可能性は有る。気を下すべき状況で,脹満を外なるもの,飧泄を内なるものの代表とする。そうすると,つまり「脹取三陽,飡洩取三陰。」は,ここと大いに関わっている。
 楊上善は,「太陰第三輸陰陵泉」、「足少陽第三輸陽陵泉」と注するが不可解。「第三」を「第五」の誤りとする人があるが,それにしても大した解決にはならない。先の五蔵の原のところで,「原之脈氣,皆出其第三輸」ということを頻りに言っているが,それと何か関係が有るのだろうとは思う。
 いずれにせよ,少なくとも楊上善は,三里と陰陽の陵泉を別格の,言わば原穴並に扱っている。

偽薬

新薬が開発されると、それが本当に効くのかどうかを確かめるためにテストをする。一方のグループには新たに開発したと称する成分が含まれる薬を投与し,もう一方のグループにはそれが全く入っていない偽の薬を投与する。本物(?)グループのほうが偽物グループより遙かに良い効果を得たならば,その新薬の効果が証明されるというわけだ。もしも差があまり大きくなかったら,新薬に期待された効果は錯覚ということになる。
でも,ちょっと待ってもらいたい。錯覚であろうと何であろうと,かなりの人にかなりの効果が有ったということでしょう。ひょっとすると,この道の先には医療という世界の秘密が潜んでいるのかも知れない。このプラシーボの謎を解き明かせば,あるいはせめてシステム化できたら,未来の医学と呼ぶに相応しいものになるかも知れない。
で,現代の鍼灸治療を似非科学だという人がいる。公平にみて,この意見には無視できないところがある。でも確かに効いていることも否定しがたい。何故か。プラシーボ効果ではあるまいか。こんなことを言うと,袋だたきにあいそうだけれど,別にけなしているつもりはない。考えてみると,比較的まともな,あるいはそこそこまともな,あるいはまあまあ批判に耐える実績を記録し検討している,唯一のプラシーボ効果運用システムという一面が有るのではないか,と言っているのです。
とは言うものの,運用者はそのプラシーボとしてのカラクリを知っているべきだと思う。ただし,魔女が魔術師を目指したとたんに,魔法が効かなくなってしまう,という恐れはある。そこのところが難しい。

別に,患者の思いこみが全てであって,術者が何をしても同じだ,なんてことは言ってませんよ。勿論やるべきことには大枠が有って,起こるはずもしくは起こるかも知れないことしか起こらない。
喩えて言えば,捕手はこれしかないと思ってサインを出すのだろうが,その要求どおりのボールが来るかどうかは投手次第だし,第一,打たれるかどうかは結局は打者次第です。そもそもある捕手はこれしかないと思っても,別の捕手は別のコース、別の球種をこれしかないと思うわけでしょう。
ある術者はこれしかないと思う配穴にこれしかないと思う手技を施す。別の術者は別のこれしかないと思う配穴にこれしかないと思う別の手技を施す。どちらがより良く効くかには,患者の思いこみが関わっているんじゃないか。そして,俺の方法しか正しくない,あんなやつの方法はまやかしだと,本気で罵詈雑言するタイプの術者に,時により大きなカリスマ性が有って,患者の帰依もより強い,つまりより良く効くという,可能性も無くは無い。

句読に苦闘2

臂陽明有入鼽徧齒者,名曰人迎,下齒齲,取之臂,惡寒補之,不惡寒寫之。
足之大陽有入頰偏齒者,名曰角孫,上齒齲,取之在鼻與鼽前,方病之時,其脉盛則寫之,虛則補之。一曰取之出眉外,方病之時,盛寫虛補。
足陽明有俠鼻入於面者,名曰懸顱,屬口對入繫目本,視有過者取之,損有餘,益不足,反者益甚。
足太陽有通項入於腦者,正屬目本,名曰眼系,頭目固痛,取之在項中兩筋間,入腦乃別。
『太素』巻26寒熱雑説の一節の,新校正における句読である。重校も校注も同じ。しかし,この句読には疑問が有る。臂陽明の「名曰人迎」は,『霊枢』に拠って「名曰大迎」に改めるべきであろうが,それにしても「これを臂に取る」はおかしい。この部分は「下齒齲取之,臂惡寒補之」云々とすべきではないかと思う。つまり足陽明の「視有過者取之」と同文例である。また句読とは別に,角孫は「足之大陽」ではないだろう。それでは下の足太陽云々と重なるし,『甲乙』には「手足少陽、手陽明之會」とあり,『素問』氣府論王註には「手太陽、手足少陽三脉之會」と言い,『甲乙』もここに相当する文章では手太陽とする。また,位置も「在鼻與鼽前」ではなくて「出眉外」のはずである。
臂陽明有入鼽徧齒者,名曰大迎,下齒齲取之,臂惡寒補之,不惡寒寫之。
臂太陽有入頰偏齒者,名曰角孫,上齒齲取之,出眉外,方病之時,盛寫虛補。
足陽明有俠鼻入於面者,名曰懸顱,屬口對入繫目本,視有過者取之,損有餘,益不足,反者益甚。
足太陽有通項入於腦者,正屬目本,名曰眼系,頭目固痛取之,在項中兩筋間,入腦乃別。
いくらなんでも突拍子もない意見かと,少し不安になって郭靄春の『黄帝内経霊枢校注語訳』を確かめてみたら,ちゃんと「下齒齲取之,臂惡寒補之」云々となっていました。安心するとともに,ちょっとがっかりです。私が言い出しっぺではなかった。それどころか,私の調べたいくつかの『霊枢』の参考書はたいていそのように句読していました。『太素』の研究者と『霊枢』の研究者の違いがこれほど際だつのも珍しいのではなかろうか。
もっとも,経文に「一曰取之出眉外」云々とあって,「一曰出眉外」云々ではない,つまり「取之」の二字は古くから後に属していると考えられていたらしいのがなんとしても不安で......。

7月の読書会

7月8日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの教養娯楽室。

『霊枢』は「本蔵」篇あたり。
その他に,今までに読んだ(つもりになっている)篇についても,再検討したい。
また,漢文の基本的な知識,例えば同訓の虚詞の微妙なちがい,といったようなお勉強にも時間を割こうかと。
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