靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

發蒙解惑

「發蒙解惑」ということばが,『素問』にしばしば登場する。例えば,挙痛論に「今日發蒙解惑。藏之金匱。不敢復出。」とある。他の箇所も通して,概ね「耳目の蒙(覆いかくすもの)を発し(ひらき),心の惑(まどい)を解すれば(ときはなてば),真理はそれ自体の力によって,豁然と悟られるものである」というような意味合いである。この言い方は医書以外にもしばしば用いられている。
それでは,『霊枢』刺節真邪篇に『刺節』の言として挙げられる振埃、發矇、去爪、徹衣、解惑のうちの二つと共通するのは何故か。思うに,現代の鍼灸治療では,その施術方針は補と瀉に覆われているが,『霊枢』経脈篇あたりでは,「盛則寫之,虛則補之,熱則疾之,寒則留之,陷下則灸之,不盛不虛,以經取之。」と,もう少しひろい。あるいはもう一つ,それとはやや次元の異なる治療の大方針があったのではなかろうか。刺節真邪篇ではそれがすでに具体的な刺法の説明となって,ある意味では矮小化されている。
また去爪については,刺節真邪篇に相当する『太素』五節刺の楊上善注に「或水字錯爲爪字耳」と言う。しかし,『霊枢』五禁篇に發矇、解惑とならんで去爪も登場し,「戊己日自乗四季,無刺腹去爪寫水。」とある。すでに「去爪寫水」と言うからには,去爪が去水の誤りだとすると,その誤られた時期は相当に古いことになる。

そこであるいは,医療とはそもそも何をしようとすることであるか,というような哲学的なまとめが嘗て試みられ,そしてまとめきれなかった。あるいは定着しなかった。

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