靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

五里

明の『顧氏画譜』を眺めていて,妙な絵をみつけた。銭唐の李嵩という人の髑髏の図で,髑髏が髑髏の人形を操っていて,幼児がそれに這い寄っていくという極めて意味深な題材ではあるが,ここに妙なと言ったのはそのことではことではなくて,左上の塀のようなものの上にある「五里」のことである。
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どんな故事によった絵なのか分からないのだから,詮索のしようが無いのだけれど,私などは『霊枢』本輸篇の「尺動脈在五里,五輸之禁也」を思い浮かべてしまう。でも塀の上に五里穴の標識を立てるべき理由はない。あるいは本輸篇などの五里のほうが五里穴などではないのかも知れない。残念ながら「五里」は『漢語大詞典』などにも載ってないので,不吉な意味が有るのかどうかも確かめられない。
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孫羊店

「清明上河図」に描かれている最大の酒楼の名を,普通は「孫羊店」と呼んでいるようだが,これには合点がいかない。他の例では酒旗には「小酒」とか「新酒」とか書いているのに,ここだけが屋号を記しているなんてことが有るだろうか。
虹橋のたもとの脚店では,酒旗には「新酒」と書き,看板には「十干脚店」と記し,やや小型の看板を対にして「天之」「美禄」と掲げている。これは「十干脚店」が屋号だろう。
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春に北京へ行ったときに琉璃廠の本屋で買い求めた『清明上河図的千古奇冤』を眺めていたら,通説とは異なった説明があった。まず屋号は「孫家正店」である。上の画面の中央に対になった看板が有り,右の看板の上の字は「孫」の右半のようである。下の字はよく分からないが,料理屋の屋号を某家とするのは当時も普通だったらしいから,この推定は許せる。『東京夢華録』にもそうした例はいくつも載っている。酒楼の右のほうにもう一つ看板が有って上の字が「香」であるのは少し気になる。あるいは「香☐正店」ではないかとも思ったが,これは別の店に軒先を貸しているようなものと解釈したらしく,香火舗と説明している。そして,酒楼の左隣も同じようなもので,孫家正店が羊肉の小売りをやっているのであって,だから上のところに「斤六十足」と貼り紙がある。つまり「孫羊店」の旗は,むしろそちらの商売のためのものである。店の前に講釈師らしいものがいて,それに群がる人々がいるので,小売部の営業がちょっと分かりにくかった。
孫家正店の入り口もよく分からない。たぶん建物の中央なんだろうとは思うが,そうすると,向かって左手の対の看板の間は何なのか。本当は「香☐」の右にももうひとつ対になる看板があって,美酒とか名物料理とかを誇っているのではないかと思う。対の看板の間は飾り窓のようなものだろう。だから,店先に勝手に屋台を開いていてもそんなには気にしてない。
この『清明上河図的千古奇冤』の著者の王開儒という人は,「清明上河図」の複製を熱心にやっている画家のようで,別に正式に教育をうけた学者ではないらしい。でも,言っていることは結構おもしろい。折角,おもしろい材料がころがっているのだから,何もおとなしく首うなだれて学者の説を拝聴するばかりが能ではないということ。

稀星乍有無

稀星と書いてキララと読む名前を届け出たら,ある町では「星ではララとは読めない」と再考をうながし,ある市では「不受理にする法的根拠に乏しい」と受け付けたそうです。
ばかばかしい,親の気持ちとしては「まばらなほしがキラキラ」だからキララとしたんでしょう。別に稀はキで星がララというわけじゃない。私の母親の実家は服部で,勿論ハットリと読むのだけれど,べつに服がハッで部がトリというわけじゃない。服部はつまりハタツオリベで,まず部のベが省略されて,ついでハタツオリがハットリと変化したというか訛ったんでしょう。でも世の中には部田と書いてトリタと読む苗字が有る。日本人の苗字や名前の読み方なんて無茶苦茶なんです。
でも,稀星でキララなんて,私の趣味じゃない。どうしてもキララと名づけたかったら綺羅々と書くし,いっそ雲母でもいい。

杜甫「倦夜」詩
 竹涼侵臥内 野月滿庭隅 重露成涓滴 稀星乍有無
 暗飛螢自照 水宿鳥相呼 萬事干戈裏 空悲清夜徂
そもそも稀星なんてそんなに良い名前ですかね。まあ,このみの問題ですからとやかくいうこともないんですが。

開封の酒旗

酒旗というと,晩唐の杜牧の「水村山郭酒旗の風」のイメージ,あるいは明末の小説『水滸伝』の挿絵の知識で,竹竿のさきにくくりつけられた燕尾の麻布が風に翩翻,と思いこんでいたけれど,北宋の張択瑞が開封を題材に描いたとされる『清明上河図』を見るとちょっと違うようだ。巻末付近にある孫☐正店とか虹橋のたもとの十干脚店とか,店の規模による違いかとも思ったが,初めの方の小さな店の酒旗も同じようなので,やっぱりこれは(描かれた)時代差か,地域差それも場面のではなくて,描いた人の地域差なのだろう。
『清明上河図』の酒旗は,絵画自体は色あせているけれど青と白の縦縞らしい。陸亀蒙の詩に「酒旗の青紵,一行の書」,白居易の詞に「紅板の江橋,青き酒旗」などとあるから,青がまあ基本である。概ね「小酒」とか「新酒」とか書くが,屋号を書いたかと思われるものもある。十干脚店のは「新酒」で,孫☐正店のは「孫羊店」である。ただし,これも正式な店名とは違うはずだから,名物料理を掲げたのかも知れない。

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町外れの粗末な店は「小酒」である。向かって左隣は紙馬店,つまり墓参りに持って行って焼く紙製品の店である。右隣は饅頭屋のようで,少年らしき行商人が朝食を買い求めている。「小酒」店はたいした規模の店ではないが,それでも彩楼歓棚をしつらえて,酒旗を,竹竿の先に今日と同じようにくくりつけて道路に突き出している。店にはしょぼくれた男性客がいる。入り口に同じ布地を用いたのは暖簾のようである。暖簾の脇に客引き女がいるのかどうかは,絵の精密度の限界でよく分からない。中国では,日本のような暖簾は見かけないという人もあるが,そんなこともあるまい。画巻の中程の船着き場近くに中くらいの規模の店が有って,青白縦縞の一方は確実に酒旗だけれど,もう一方はあるいはこれも暖簾かも知れない。

弁明

モーニングブルードラゴンの弁明朝青竜を弁護する

俺は相撲のチャンピオンだから,いい加減な相撲はとれない。
本場所じゃあるまいし,いい加減じゃない相撲をとって,怪我を悪化させるわけにはいかない。
サッカーなんぞは,俺にとってはお遊びだから,どうとでもなる。

どこやらの野球の監督が,同じような理屈で弁護したらしいけれど,マスコミの扱いはほとんど変わっていない。そこで,全く影響力は無いけれど,もう一回。
大相撲は単なるスポーツではなくて,神事であり古典芸能でもあるそうだが,我々が見たいのは荒ぶる神であって,優にやさしい色男ではない。

壊れた

人が病むとは,故障したのか,それとも壊れたのか。無論,両方とも有る。
故障したのならば,調整すれば良い。壊れた時には,少なくとも壊れた部品は取り替えざるを得ない。それができるか,それで無事に動き出すかどうかは別として。厥頭痛や厥心痛は故障に喩える。真頭痛や真心痛は壊れたのである。これらははたして,自然治癒力でどうにかなるものなのか。
調律師は壊れたピアノの面倒までは見ない。修理屋が壊れた部品を取り外し,新たな部品を製作するか購入するかして,はめ込む。それだけでは演奏には耐えない。調律師が調整する。どちらが偉いかという問題ではなくて,別の仕事だろう。

簡体字本太素

学苑出版社から中医古籍校注釈訳叢書の一冊として,またまた『黄帝内経太素(附黄帝内経明堂)』というのが出ましたね。点校者は李雲さんです。
しかしこの人,どういう神経の人なんですかね。2000年8月に王洪図さんと連名で『黄帝内経太素』増補点校を出し,2005年5月にはその修訂版を出し,2006年3月には銭超塵さんと連名で『黄帝内経太素新校正』を出し,2007年6月には自分の名前で点校を出す。たゆまぬ努力と言えば聞こえは良いけれど,今度の本なんかは実のところ『黄帝内経太素新校正』の簡体字版にして脚注省略版に過ぎないんじゃないか。まあ,自分だって校正者の一方なんですから,問題無いと言えば無いんですがね。当然のことだけれど,私がしつこく指摘した「状態の良い影印を見れば分かるはずの誤り」はそのままです。
でも,私は購入しましたし,人にも勧めますよ。これにBLOG「太素を読む会」の情報を書き込んで真っ赤にすれば,携行にも適した現在のところ一番ましな『太素』にはなる。
ことわっておきますが,『黄帝内経太素新校正』の代用にはなりません。衍誤奪倒を訂正するに際して,理由説明は一切省略してますからね。そうでもしなけりゃ『明堂』も附けてA5版456頁という訳にはいきません。

9月の読書会

8月はお休みにします。
夏休みです,寒いから,というのは冗談じゃなくて,会場の冷房がきつい。

で,次回は9月の9日(第2日曜日)の午後です。場所はいつも通り。

『霊枢』は禁服篇を予定していますが,その他の人迎気口診に関わる篇も一緒に再検討するつもりです。

公平に見て

自決命令が出ていたとすれば無惨であるに違いないが,命令されもしないのに自決しなければ無惨なことになると思いこんで自決していたとしたら,なおさら無惨である。
強制的に従軍慰安婦にしていたのは非道であるに違いないが,強制的に鉄砲を担がされて憎くもない人を殺しに行かされたのが非道でないわけではない。前者のほうが後者よりもさらに非道であるとしたら,戦後の社会に受け入れてもらえたかどうかも関わってくる。白い眼で見ていた同胞たちも,非道でないわけではない。
拉致事件は解決済みとする主張に納得できるわけがないが,戦後処理問題は解決済みとする主張にだって納得できるわけがないだろう。
仲間の釈放を求めて人質を取り,あまつさえ殺害することを許せるわけがないが,爆弾、銃弾を雨霰と注がれる人たちに,傷つける人と,その傷を癒しにくる人は別だと言い,とにかく話を聞けと叫んだって,多分無理であろう。彼らにしてみれば仲間だって同様に生命の危機に瀕している,一刻の猶予もならない。残念ながら,彼らの危惧も多分当たっている。許せるわけがないだろう。

陰氣雖少傷

『太素』巻14人迎脉口診(新校正p.296)
寸口大於人迎一倍,病在厥陰;寸口二倍,病在少陰;寸口三倍,病在太陰。

楊上善注:......陰氣雖少,過陽氣二倍,名曰少陰之病,則寸口之脉二倍大於人迎。......

新校正云:原鈔「仍」字触落左半,辨其殘筆,當作「仍」。蕭本作「得過陽氣二倍」;日本摹寫本「過」上闕一字,空一格。

原鈔に書かれている文字は,恐らくは「傷」であろう。(若干不安,でも「仍」ではありえない。)右に挙げたのは「不盛不虛,以經取之,名曰經刺。」の楊上善注中の「傷寒」,これは新校正も「傷寒」としている。ただし,書かれているのが「傷過陽氣二倍」であるとして,それで意味は通るのか,何かの字の誤りではないのか,いつものことながら,それは分からない。あるいは「陰氣雖少,過陽氣二倍」(陰気少しく傷なわると雖も,陽気に過ぐること二倍)では如何。
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