靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

病之在藏

『霊枢』五色篇を読んでいて質問されて,言われてみれば変だねと思ったけれど,うまく説明できない。『太素』では巻14の人迎脈口診にある文章の,黄帝の答えの部分です。
外内皆在焉。
切其脉口,滑小緊以沉者,其病益甚,在中;
人迎氣大緊以浮者,其病益甚,在外。
其脉口滑而浮者,病日損;(『霊枢』は日進に作る。)
人迎沉而滑者,病日損;
其脉口滑以沉者,其病日進,在内;
其人迎脉滑盛以浮者,其病日進,在外。
脉之浮沉及人迎與寸口氣小大等者,其病難已。
病之在藏,沉而大者,易已,小爲逆;
病之在府,浮而大者,病易已。
人迎盛緊者,傷於寒;
脉口盛緊者,傷於食飲。
変だと思うのは,「病之在藏,沉而大者,易已,小爲逆;病之在府,浮而大者,病易已。」のところです。この脈を診るのは人迎か脈口か,と。
ここでは病が蔵に在るときは,にして大だと癒えやすいと言います。前には「人迎にして滑なるものは,病日に損ず」と言っています。では,蔵を人迎で診るんですか。
ここでは病が府に在るときは,にして大だと癒えやすいと言います。前には「脈口が滑にしてなるものは,病日に損ず」と言っています。では,府を脈口で診るんですか。
だらしないけれど,上手く解釈できません。どなたか何とかなりませんか。

しずけさや

たよりのないのが よいたより

多足生大釘腫

『太素』巻3調陰陽
膏梁之變,足生大釘,受如持虚。
楊注:膏梁血食之人,汗出見風,其變爲病,与布衣不同,多足生大釘腫 。膏梁身虚,見濕受病,如持虚器受物,言易得也。
『黄帝内経太素新校正』p45の脚注に:
足生大釘:「足」乃「多」、「饒」之義。楊注云:「足生大釘腫 。」訓「足」爲「脚」,誤。林億『素問・新校正』云:「按丁生之處,不常於足,蓋謂膏梁之變,饒生大丁,非偏著足也。」
この『黄帝内経太素新校正』の言い分がさっぱり理解できない。「足を訓みて脚と為す」の是非はさておく。「足」に「多」字を加え,「大釘」に「腫」字を加えて意味を明確にし,もって注釈としたと,どうして考えられないのだろう。そもそも『黄帝内経太素新校正』自身が,「足」には「多」の義が有ると言っているんでしょう。どうして楊上善の解釈が「脚に大釘腫を生じる」であるなどと決めつけられるのだろう。 楊上善は「足生大釘」はすなわち「多生腫」だと言っているのだろう。

抵,及也

巻27邪伝
是故虚耶之中人也,始於皮膚,皮膚緩則腠理開,從毛髮入,入則柩深,深則毛髮立泝然,皮膚痛。
楊上善注:皮膚緩者,皮膚為耶所中,无力不能収,故緩也。人毛髮中虚,故耶從虚中入也。柩,久也。耶氣逆入,久深腠理之時,振寒也。

「柩」(厳密には原鈔は手偏)について,杏雨書屋蔵の真本には鼇頭に「丁礼反,久也」の抄校者による朱書が有り,『玉篇』に「觝,丁礼切,觸也,或作抵」と見えるから、抄校者はこの字が「抵」であることを知っていたと考えられる。これはすでに昨年, 2006年の10月 5日にBLOG「太素を読む会」に書き込んでいます。その時,「久也」については「及也」の誤りではないかと言っておきました。今頃になって,抄者が「久」と「及」を書き間違えたのではないかという例を見つけました。

巻2壽限
黄帝曰:人之夭壽各不同,或夭,或壽,或卒死,或病久,願聞其道。
楊上善注:問有四意:夭、壽、卒死、病久。
この揚注の「病久」を原鈔では,どうも「病及」と書いているみたいです。

政治家は懐手

「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う。」
「死刑を受けるべき人間は執行されないといけないが、誰だって判子をついて死刑を執行したいと思わない。」
なんで,これが政治的失言として問題にならないんだろう。上の者は懐手で,つらい仕事は下の者におっかぶせるという典型じゃないか。現実に執行しなきゃならない人がいることに気付いているのかね。ベルトコンベヤーでことは進んだりしませんよ。
与党は勿論,野党も気付いてない。マスコミも何も言わない。「資金管理団体の政治資金収支報告書で記載ミス」のほうがそんなに大きな問題ですか。政治家にそんなことを言い出したら誰も残らないからですか。

個人的には,基本的には,死刑廃止派です,念のため。

何ぞ学びて得べけんや

人は死ぬとどうなるのか。中国の素朴な考えでは鬼になる。中国で鬼というと,日本の幽霊のことだといわれるが,これはあまり正確ではない。化けて出るのが幽霊だけど,鬼は化けて出なくても鬼である。で,鬼となるとどうなるか。別にどうということはない。鬼にも,人と同じように社会が有る。だから,あちらで城隍神にでもなれれば,こちらで地方長官となるのと大差無い。こちらで悪事を重ねて,あちらへ行ったら始めから獄の中ということは有る。あちらで鬼が死ぬとどうなるか。聻というものになる。鬼が聻を恐れるのは,あたかも人が鬼を恐れるようである。で,聻となるとどうなるか。聻にも,人と同じように社会が有るらしい。そこで聻が死ぬとどうなるか。さあ,そこまでは分からない。
それでは,人→鬼→聻→ という運命は免れ得ぬものなのか。いや,これ以外に神仙になるというのが有る。でも,神仙というのは,仙骨をもって生まれてくるものではないのか。つまり,学んだり修行して得る,なんてことはあるのか。少なくとも『抱朴子』では修行して到達可能だとしている。それはそうだろう。そうでなければ仙道の宣伝なんて成り立たない。
それでは,人の病を癒すという能力は,学んだり修行したりして得られるものなのか。そういう能力は天賦のものだとしたら,世の中の医療関係の教育機関は,ほとんどみんな詐欺のようなものである。しかし,『霊枢』官能篇に引く針論に「得其人乃傳,非其人勿言」とある。何以てその伝える可きものを知るかは,よく分からないが,少なくとも『史記』倉公伝では,公乗陽慶からみて淳于意は其の人であるけれど,淳于意のもとの師匠である公孫光は其の人ではない。
西洋中世には魔女と魔術師がいる。魔女は生まれながらに魔法使いである。魔術師は学んで,「うまくいけば」魔術の原理を知り,「うまくいけば」高度な魔法を使えるようになる。魔男なんてものは無いらしい。女の魔術師も極めて珍しいと聞く。

易とは何か?よく中る中国伝統の占い,ということなら興味は無い。そうじゃなくて,世界を陰と陽に分けて,その陽を陰と陽に分けて,その陽の陽をまた陰と陽に分けて八卦とし,陽の陽の陽をさらに陰と陽に分け,その陽の陽の陽の陽をさらに陰と陽に分け,その陽の陽の陽の陽の陽をさらに陰と陽にわけて六十四卦として,それによって森羅万象を解釈しようということなら,読んでみても良いかな,と思う。

「宇宙・人生の森羅万象を陰陽=爻の変化によって説明し予言する書」といううちの「予言する」には我慢がならない。『易経』に造詣が深い人は尊敬するが,易で占ってよく中てると言われても,なんだこの,としか思わない。

10月の読書会

10月14日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの教養娯楽室。

『霊枢』は「五色」篇。

その他に,今までに読んだ(つもりになっている)篇についても,再検討したい。

人迎脈口診

所謂人迎脈口診は,『霊枢』の終始篇,経脈篇,禁服篇などに見える。篇によって名称は異なるが,脈口、寸口、気口は同じで腕関節部の橈骨動脈の搏動であり,人迎は頚動脈の搏動である。
禁服篇では寸口は内部の状況,人迎は外部の状況を診るもので,両者は同じ一つの身体に起こることとて,ほぼ同じであるべきであるが,春夏には陽を主どる人迎がやや大きく,秋冬には陰を主どる寸口がやや大きいのがまあまあの健康人だと言っている。予後の判定は『霊枢』の五色篇にあって,脈口が陰的な脈であったり,人迎が陽的な脈であるのは凶,脈口が陽的な脈であったり,人迎が陰的な脈であるのは吉と言っている。平衡状態にもどろうとしているのを良しとする。また,脈口が示すのは内部の問題であり,飲食に傷られたのであり,人迎が示すのは外部の問題であり,寒に傷られたのであると言う。
禁服篇にはさらに,人迎と寸口のいずれが他方よりも如何ほど大きいかによって,三陰三陽を弁別し,一方が他方より四倍も大きくなっては死は免れぬと言う。陰陽の理論を応用して判断を詳細にしようとする努力は分かるが,弁別してそれでどうするという記述は無い。なんだか添え物のような気配がある。
禁服篇の主要な内容は,脈状による病状の判断であり,それに対応した治療法が有る。診るべき脈状は盛、虚、緊、代であって,人迎が大きいときには病は外に在り,盛であれば熱であり,虚であれば寒であり,緊であれば痛痺であり,代であれば症状に間歇がある。盛、虚には当然補、瀉を施し,緊には緊張している肌肉に取り,代には血絡を去り投薬もする。また陥下していれば灸をすえる。そして虚実が明白でなければ,経を以てこれを取る。寸口が大きいときには病は中に在り,盛であれば脹満し,寒中して,食が下らないし,虚であれば熱中して,消化便を下し,呼吸が浅く,尿の色も変わる。緊であれば痺となる。代であればやはり痛みに間歇がある。盛、虚には当然補、瀉を施し,緊には先ず刺してから灸をすえ,代には血絡を去り,おそらくはやはり投薬する。陥下していればとにかく灸をすえる。そして虚実が明白でなければ,経を以てこれを取る。「経を以てこれを取る」とは如何なることか。難問であるが,禁服篇の末尾の「大数に曰く」の中には,「経治とは薬を飲ませることであり,また灸刺することであるともいう」とある。あるいはまた,とにかく刺して経過をみろということかも知れない。篇末に再び,大数に曰くとして,病状に応じた治療法を繰り返すことなども,もともとの関心の在りかを暗示しているように思える。三陰三陽を弁別することにはさして価値を置いてなさそうである。
   人迎は外を主る      寸口は中を主る
脈状:盛...熱          盛...脹満         
   虚...寒          寒...泄瀉
   緊...痛痺         緊...痺
   代            代
     治療方針の記述が有る
比較:人迎大于寸口一倍...足少陽 寸口大于人迎一倍...足厥陰 
         二倍...足太陽       二倍...足少陰
         三倍...足陽明       三倍...足太陰
   燥が有れば手
     治療方針の記述が無い
終始篇では,人迎の一、二、三盛で三陽を弁別し,脈口の一、二、三盛で三陰を弁別して,一方が他方の四倍になっては死は免れないと言う。ここには人迎と脈口の比較は無い。ただ,治療法において,人迎の盛は瀉陽補陰で,用いる経脈は当該の陽経脈およびその裏をなす陰経脈である。寸口の盛は瀉陰補陽で,用いる経脈は当該の陰経脈およびその裏をなす陽経脈である。どれほど瀉すか補すかも,一、二、三盛のいずれかで判断する。比較の記述は無いが,もうあと一歩とは言える。
人迎一盛...足少陽 脈口一盛...足厥陰
  二盛...足太陽   二盛...足少陰
  三盛...足陽明   三盛...足太陰
   燥が有れば手
   そもそも比較ではない
   治療方針...表裏の経を取って 盛の度合に応じて補瀉を加減
経脈篇は,実は流注と病症が主たる内容であって,脈診は添え物である。治療法も症状から判断して,「盛んなればこれを瀉し,虚なればこれを補し,熱するときはこれを疾くし,寒なればこれを留め,陥下すればこれに灸し,盛ならず虚ならざれば,経を以てこれを取る」と言うまでのことである。脈診については,盛であるときには,例えば陰経脈の実であれば気口のほうが人迎よりも大きくて,如何ほど大きいかは三陰の陰の度合いの違いによって異なる。虚であれば気口のほうがかえって小さい。つまり,しかじかの病の時の脈状はしかじかと言うのであって,しかじかの脈であればしかじかの経脈の病と判断するという訳じゃない。
流注
病症
治療方針:盛・虚・熱・陷下・不盛不虚...必ずしも脈診によらない
脈診  :盛...人迎と寸口を比較して何倍か
       陰経脈の場合:人迎<寸口
       陽経脈の場合:人迎>寸口
     虚...人迎と寸口の大小が逆転
人迎脈口診は,もともとは人体の顕著な搏動を選んで,陽の状態を人迎で,陰の状態を脈口(寸口、気口)で診ようとした方法であると思われる。これを進めて,一方が他方よりどれほど大きいかによって,三陽あるいは三陰に弁別しようとするのは新しい工夫には違いないが,充分な臨床での実績が有ってのことなのか,理論から割り出しただけなのか,実のところいささか疑わしい。また,人迎脈口診では人迎二倍で病は太陽に在り,人迎三倍で病は陽明に在るとするが,一般的には三陽は太陽ということになっている。例えば『素問』陰陽別論では一陽、二陽、三陽などの病が記述されているが,楊上善も王冰も三陽は太陽と解釈している。両者は太陽と陽明とどちらがより多く陽であるか,意見を異にしているようである。そもそも中国の脈診の歴史に比較という観点は乏しい。文献中にたまたま記載されたから後世に残ったけれど,本当は三陰三陽を弁別しようとする人迎脈口診は,少数派による試みであり,また実践に乏しかったのではないかと思う。
人迎と気口の単なる脈状診から切り替えて,上下の二点を押さえればその間に起こっている異常を知ることができるという発想自体は,興味深いところである。三陰三陽の弁別とは違った発展の可能性も有り得たのではないかと思う。後の時代の,人迎と気口を左右の腕関節に持ってくる脈診では,その両端を押さえて間を知るという趣旨も失われてしまうと思う。

扁鵲刺針図

山東の微山県両城山から出土した所謂「扁鵲刺針図」,実はずっと疑っていたんです。つまり,本当は「乃左握其手,右授之書,曰:慎之慎之」なんじゃないかとね。春の曲阜行きの目的も,一つにはそれを確かめることでした。
でも,やっぱり「刺針図」でした。やっとわかりました。実は図は二種類有る。
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上の図は巻物でも握っていそうだけれど,下の図は確かに針をつまんでいます。
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その背景に長方形のものが,ちょうど巻物のように見えて疑わしいけれど,右手の指の形はそれを握ってはいません。針らしきものをつまんでいます。ただ,患者とされる人物の腕から頭に何本も置針しているという説明は,やっぱり納得できない。単なる鑿痕ではあるまいか。

上の画像は『中国針灸史図鑑』からとりました。原物は曲阜市文管所に蔵されているともありました。しまったと思いましたね。これを見て行くべきでした。でも,曲阜市文管所がどこにあるかは,インターネットでは結局わからない。
下はその問題部分の拡大です。
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